春樹の問題は文壇どうこうみたいな曖昧な話じゃなくて批評を受け付けない態度を取りながらポストモダンやらニューアカに近づくそぶりを見せたり、社会問題(オウムのルポやイスラエル問題)に中途半端に近づいてみたり、
その態度もだがテクストが渡部直己だけじゃなく柄谷、蓮實、浅田彰、絓秀実やら様々な批評家や作家に批判されてる

渡部直己はその批判の急先鋒で村上春樹のテクストそのものが天皇制に近く、今挙げたような所謂左寄りというか新左翼とも言われるような批評家達から批判されてきた
簡単にいうと問題にすべきものそのものを描いているようで周辺しか描かず、中心を曖昧にするということだが大江や中上などは出来不出来はどうあれ真の小説家の資質を持っていて、どうしても中心に切れ込んでしまう
そのような対比を使って批評してきた(ゴダールも作品の批評には対比が重要だと言っている)

ただその渡部直己がこんな問題を起こすとはね
自分の言説に説得力を持たせるためにはあってはならないあやまちだな