ニッポンの文学
著 者:佐々木 敦
出版社:講談社
評者:町口 哲生(評論家)

第一章から第三章は、村上春樹をメインに村上龍、高橋源一郎、島田雅彦、吉本ばなな、田中康夫ら
八〇年代の「文学」を論じている。
とりわけ村上春樹の作品における一人称=「僕」の系譜を論じたパートが秀逸で、
サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)の「僕」、庄司薫作品の「ぼく」などを先駆とし、
栗本薫作品の「ぼく」との同時代性を指摘している。栗本といえばジャンル小説、
すなわち「グイン・サーガ」などエンタメ小説や「ぼくらシリーズ」などミステリを著したが、
元々文芸評論家としてデビューした。中島梓名義の『文学の輪郭』における、文学の輪郭が崩れ、
崩れているからこそその流れの幅と向きを見定めるという問題意識から、
栗本がジャンル小説を執筆したという佐々木の読みに納得した。
要するに七〇年代終わりから「文学」も一種のジャンル小説と化していたわけである。

第四章の本格、新本格、日常の謎などサブジャンルからなる日本のミステリでは、
新本格ブームとバブル景気(浮世離れ)の符合、第五章の日本のSFでは、
第二世代の山田正紀と第三世代の神林長平の作品分析が読み応えがある。第六章では、
八〇年代と九〇年代を通して「文学」はミステリやSFなどの外部によって相対化したと佐々木は読み、
それを大塚英志の『サブカルチャー文学論』などの再読を通じて、九〇年代の「文学」へ切り結んだ。
注目すべきはその九〇年代を扱った第七章である。佐々木によると、
九〇年代前半は物語とは何かを問い直すような「物語論」的な志向と同時に、
「言語」というものへの関心が見受けられるのに対して、
九五年に起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を契機とした後半は、
リアルな現実に対峙したものが増えたという。

同時期に刊行した『例外小説論』(朝日選書)では複数のジャンル小説を横断しつつ、
いずれにも例外たりえる小説を例外小説と名づけ、その草分けの筒井康隆、
継承者として舞城王太郎とともに円城塔、伊藤計劃、阿部和重だけでなく、
本書では言及されてない古川日出男、星野智幸らの作品をとりあげ論じており、
第七章以降は同時並行して読むとより理解が深まるだろう。