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本日は批評再生塾第三期#3。今回は佐々木敦×渡部直己を講師に講義&講評が行われます!
テーマは「小説の『自由』度について」!

渡部「そのジャンルに出来ることを『自由』として論じても凡庸。
そのジャンルの制約から抜け出ようとする時、新しい表現が生じる」

渡部「小説の制約の一つは、同時性を描けないこと。これに挑戦して成功した例が、
『ボヴァリー婦人』の農業共進会の場面。」

渡部「話者や視点の転換や心理描写は、むしろ小説に与えられた『自由』で、制約ではない。
心理描写は目に見えないもので、矛盾が生じ得ないから。」

渡部「レッシングが言うように、対物描写は過剰に行うと対象自体を破壊してしまう。
明治の日本文学のベースには、すでにこの理論が存在している。」

渡部「国木田独歩の対物描写は、移動の速度と文章のスピードを一致させている。
逆に長く描くときは対象は不動。この原則に挑んだのが、『虞美人草』や古井由吉」

渡部「泉鏡花の描写は読んでも絵が浮かばない。その分描写に使われた言葉自体が浮き出して
独立した系を作り出し、それが物語を呼び込む。これが描写の産出性。」

渡部「あらゆる芸術のジャンルは、そのデッドロックに突き当たり、より鮮やかに失敗してみせること。
その意味で全ての芸術は人生に似ている。」

佐々木「批評は評価と捉えられるが、それは『自由』と抵触してしまう。」
渡部「一方で、賞を与えるという価値判断は小説家が担っている。その接点が無いのは問題。」
2017年7月12日