【早稲田大学】渡部直己7【俺の女になれ】
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ここで噂撒いてる時点で勝算少なくなると思うよ
音声の証拠揃えてメディアにダイレクトにかけあえ >>102
えらく沸騰してますね。もしかすると身に覚えある人?笑
実際にあらぬ場所で目撃者がいて、なんか写真はあるみたいです。
どこに持ち込むのが効果的か教えてくれ >>104
一番は文春だろうけど、プレジデントかなあ >>105
サンキュー、だが一番は大学関係者だろ。 なんで「勝ち方」指南してるのに身に覚えがあるやつ呼ばわりなんだか…
大学関係者に持ち込むやり方をミスると隠蔽もあり得るだろうに >>107
え、102に言ったんだけど、もしかして105も同じ人?
いや、文春もプレジデントもありだよ。順番の問題。
あと所属学会とかはどうなん? >>109
大学に持ち込む方法をミスると持ち込んだあなたが不利になる可能性まであるので気をつけたほうがいいよってこと 今の5chは終わってる場所だから、私怨とみなされ発言が重んじられない恐れも大きい スマホで録音してあったり、メール内容で告発とうケースだろな。証拠としては。 ニモーニック・メモ
2008/10/25
批評チャンプルー
10.19に行われた早稲田文学十時間連続公開シンポジウムがニコニコ動画にアップされていた
渡部直己。彼は夏目漱石やヌーボーロマンを引き合いに出して近代小説イコール「描写」なのだと言い
(ここでいう「描写」は東の「自然主義的リアリズム」とほぼ同じことだと渡辺は補足している)、
最近の小説には「描写」がなくなって「語り」しかないと言う。
近代小説が見出した「描写」の困難や可能性を今の小説に見出せない。
(小説を読んで感動して小説を書きたいとかではなく)小説を読んで何らかのアクションを起こすという、
その人の人生を変えうるような事件性が小説の可能性なのではないか。
東浩紀は、それに対して、当時は前衛だった「描写」
(や小説中の人称の変化)が今では普通になっていると指摘。
映画における「ショット」と小説における「描写」というのは、ほとんど同じことを指していると思う
(僕の誤解や曲解でなければ・・)。渡部直己の言う「描写」は視覚的なものに由来すると、
シンポジウムでも誰かが指摘していたし、渡部は蓮實重彦に影響を受けているから当然といえば当然か。
で、僕は僕なりに彼らの言う「ショット」や「描写」のコダワリはすごくよくワカる気がする。
音楽の話に持っていくと、メロディやリズムやハーモニーといったストラクチャーの部分ではなく、
テクスチャーとか質感とかアトモスフィアとか細部のディティールで楽しむことにも通じると思う。
例えば、ブレイクビーツひとつとっても、ジェイ・ディーやマッドリブの作るブレイクビーツは
明らかに他のトラックメイカーとは雲泥の差がある。ストラクチャーに回収されない豊かさがある。 「ショット」や「描写」のない映画や小説は貧しくてやせ細ったものに映るかもしれない。
しかし、こうした見方も結局は、ある時代のカルチャーが要請した
パースペクティヴ=視点に過ぎないのかもしれない。蓮實重彦らが対談で言っていたように、
「ショット」を巡る言説はある種のフィクションであり、
そのフィクションを共有しない人々からすれば、何の意味もない。
「ショット」や「描写」のない映画や小説が増えているという現実を
どう受け止めるかということが問題であって、その現実を否定してしまっては話が始まらない。
抽象的な話はともかく、渡辺直己が舞城王太郎や佐藤友哉の「1000の小説とバックベアード」や
高橋源一郎を認めないというのはよくわかった。「高橋源一郎を殺すために批評をやっている」
という剣呑な発言もあり、それに対して、池田雄一が
「高橋源一郎はもはや作家はキャラクターとしてしか成り立たないことをわかっていて、
(あえて戦略的に)作家というキャラクターを演じている」などと言っていた。
大森望は舞城の最新長編「ディスコ探偵水曜日」を
「どうでもいいウソを突き詰めたドンキホーテ的な壮大さ」と高く評価していたので、
「書いてて上機嫌なんでしょう」と舞城を批判する渡辺と、もう少し突っ込んだ対決を聞きたかった。
渡辺は、苦しんで呻吟しながら「描写」の困難に立ち向かう
昔ながらの小説家のイメージにこだわっているのだろう。
ポッド2で、福田和也が日本の文芸批評は後進国ならではの発展の仕方をしていて、
欧米のようなレビューのテクスチャーとしての厚みはない
(どっちが良い悪いという問題ではない)と言っていた。 河村書店
RT @forthofeditor ちなみに、早稲田大学で行われた10時間シンポジウムで、
中森氏が、宇野常寛氏に、佐々木敦氏を殴るようにけしかけてるのを覚えているなう。
2010年10月13日
栗原裕一郎
東と宇野が蜜月にあったとき『早稲田文学』がその他もろもろ呼んで、
東と宇野を看板にした5時間だか8時間だかのシンポジウムを開催したことがあったんですよ。
まあ、市川真人あたりが糸引いた茶番だったんだが、ともかくそういうお笑い草があったのです。
ワセブンの恥として語り継ぎたい事案ですね。
2016年12月6日
issaku
当時、ABCで行われた早稲田文学のシンポジウムで客席にいた池田雄一さんが
金井美恵子について質問した際に福田和也さんが「あれは田舎者ですね」と
バッサリ斬り捨てたのにはシビレましたね。
他の出席者は絓秀実先生、渡部直己さん、芳川泰久さんで司会は市川真人さんでした。
2018年3月26日
naokki
早稲田文学」の10時間シンポジウムって2008年だから10年前になるのか。
この年に渡部直己が近畿大学から早稲田大学に移っている。
サプライズゲストが阿部和重で会場には川上未映子もおりこの場で2人が出会い結婚する。
10年後にこんなことになるとは誰も思っていなかったのでは。
2018年10月12日
Kentaro_SUZUKI
絓秀実氏は「渡部直己」を活字50枚も書くのなら、この頃の出来事の真実からこそ書かないものだろうか。
PC批判のような話ならそれこそTwitterで毎度、囀っているのだから。
「川上未映子」問題がいかなるものだったか、薄々に想像する者の一人で私もあるけど、
それが「渡部直己」問題の起源ではないの?
2018年10月13日 渡部さんは小説読んで女学生食いというアクションに走ったのでしょうかw 僕は昔、美人大学院生と一緒に新聞記事書いてたら、美人大学院生が新聞社の部長に口説かれて断ったら以後の連載はなくなったな。
マスコミ系にはよくある話だ。 >「川上未映子」問題がいかなるものだったか、薄々に想像する者の一人で私もあるけど、
>それが「渡部直己」問題の起源ではないの?
禿禿しく同感。
川上未映子問題と渡部直己問題は直結していて
ワセブンこそがその現場だったのだから。 >>112
ホテルに二人でいるとこの写真とかはどお? 他にもあるけどね、ここでは明かさない。特定されるとヤバイ、方法は考たほうがいいな 個人特定出来ない書き込みの仕方はいくらでもあるな。 渡部はフェイドアウトでいいじゃん。
蓮實、渡部、金井の批評とかカスだよ。 渡部直己は佐々木敦の代筆とかやれば良いじゃんw
福田和也の「金井美恵子は田舎者」というのは浅田彰の物真似。
大森望といい、福田、栗原といい、渡部、スガこれらゼロの人達の発言何の意味も無しw >>122
その現場に居合わせた者とか特定の者しか知らないことの書き込みは
個人特定に繋がりますよね。
大学に通報する時、通報者の秘密は守られるのかな。
社会規範を個人の欲望のために勝手に都合よく解釈して自分の研究室の女子院生と
不倫してる准教授なんぞ駆除されないと、真面目に研究してる者がバカをみる。
女子院生が院進したのも学部の時から件の准教授と親しい仲だったからじゃないかと
疑いたくなる。理工、環資の話ですが。 >>127
じゃ、いきなり写真添えてマスコミとかですかね 渡部の件も、院生複数が協力的な教員を巻き込んでやっと告発できたわけで。 >>130
それで件の准教授も高を括ってるのかもわからんな、大胆不敵にやってるし、外ヅラはいいが...
渡部と違うのは相手と合意してるっぽいとこ。女子院生も指導教員に目をかけられて打算もあるだろうし。
告発が難しいならやっぱりマスコミか案外、妻に通報とか?(笑) 芸能人の不倫はマスコミ総動員で叩きまくるというのに、
大学教員が自分の.教え子と不倫してる告発が困難っておかしいよ。
いやしくも教育、研究の現場だぞ。それこそ大学当局も社会も厳しく糾弾する風潮になってほしいものだ。
他の学生の平等な権利の侵害にもつながる。 >>134
妻子があるくせに自分の研究室の院生とイチャイチャしてる
奴は気持ち悪くないんか。
あんたの感覚壊れてるだろ。 大学教授はモテるから、正義を装ったルサンチマンが溢れている。 社会的地位があり女にももてる大学教授という人種が落ちていくのは面白い。 アニメの音響監督みたいなモテ方な
女は彼の持つ権力に惹かれる >>133
動機が私怨ぽいので、ハラスメントとしての告発はできないんじゃないの ここで騒いでるの男だろ?院生の女むかつくみたいなミソジニーを感じる 動機とかミソジニーとか、どうでもいいんじゃないか?
渡部直己の件も、理工の先生の件も事実をどう考えるか
という問題だろ 文学者なんてのは風流人、数寄者である必要はあるが渡辺は遊び下手。それは問題である。 >>126
環境資源工学科だっけ?そいつの氏名言っちゃえばいいんじゃん
早稲田内部の者や理工が見るスレとかで。
やっちゃいけないことやってるという点で渡部もその准教授も同類だろ。
告発までに至らないとしても、コミュニティー内制裁は受けるだろう。
そういう奴はどこかで痛い目に合わないと繰り返す。 院進学とかは別にたいした利権ではないが、正規教員採用は利権ではある。 法学部の中島徹を放置している時点で狂っているでしょこの大学 >>144
いや、その必要もないだろ
そのイメージって何かこう文士こうあるべしっていう理想像の押し付けを感じる 一応文士のはしくれなら銀座のクラブのママとか銀座のバーのマダムとか口説けばいいのにね
垢抜けない学生じゃな 教授マニアの女学生の性的欲求が侵害されてるとも言える。 女が将来を見据えたセックスをしたがるのは三十近くなってからで、若いときは不倫だろが貧乏なヤリチンだろが、恋愛市場では面白い男がもてる。
真面目なハイスペックも三十近くなってからの結婚市場ではもてる。 >>138
地位はあるが女にモテなかったから
ハゲナオミンはセクハラパワハラに走ったんだろ そもそも文学部に来て小説を読み書きしたり批評したりするやつがモテるわけないだろ 斎藤美奈子はダンマリしてなかったわ
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1472
おかしいと思った点
・早稲田大学の隠蔽工作に触れていない
・「渡部早稲田大学教授は、相手も自分に好意を持っていると思い込んでいた。」と本人の言い訳を鵜呑みにしている。
しかも「こういう人は存外多く、訴えられても、合意の上だ、恋愛関係にあった、と主張することが少なくない。」と事実関係と異なることを書いている。 特に組織ぐるみの隠蔽に触れず加害者だけを問題視しているのは完全におかしい。
セクハラを成立させる力関係は組織に源泉を持つのだから。
「未然に防ぐには」という論点にしたのは早稲田を叩きたくないという打算から来ているのかな。 >>149
銀座のママを口説けるほど早稲田は高給じゃないだろw アスペ率高そうなスレだ。躁鬱とADHDはわりかしモテるがアスペはモテない。 渡部直己セクハラ事件みたいな問題は福嶋亮太らも含めた文壇やアカデミズム内では
解決できないんだよ。
文壇の外から批判するという事をやらなければ。
スガや栗原なんかも結局は文壇に絡めとられてるんだよな。
件の女子院生が5chで情報出せば、文壇やアカデミズムの外からの批判が可能になるんだよ。 5chじゃ駄目でしょ
プレジデントオンラインに早稲田大学はびびったがここだったら放置されてた アメリカだとこういったケースで懲罰的賠償といって、身包みはぐような巨額賠償金が科されるが、日本だとぺこりと謝って終わり。知識人が犯す犯罪について日本は非常に甘い国。
たいした罪にならないから、ちょっと無茶して老いらくの恋を楽しもうとする偉い人が続出する。
性的快楽というのは何事にも変えられない根源的な快楽であるので。
法制度の問題もありますね。似たような事件が繰り返されるのは。 名前をつけて保存
2018-06-26
リスク分散としてのフェミニズム(と、渡部直己のセクハラ問題)
ちょっとでも文学かフェミニズムに関心のある人であれば、渡部直己が学生に対してセクハラを働いて、
さらに早稲田大学側がそれを揉み消そうとして問題になっているのはご存知の通り。
そして非常に残念なことに、文学関係者の多くは口を閉ざしている。ぼくの知っている限りではあるが、
豊崎由美とか栗原裕一郎みたいな「文学利権」からは比較的遠そうな人とか、
アマチュアの文学ファンとかはわりと批判的に言及をしている。
でも、ぼくが好きだった、よくフェミニズム小説を書いている人や、
metooなどを含むフェミニズムに対して好意的に言及していた人とかがだんまりなのにはかなりがっかりした
(そんな状況なので、松田青子がこの件に関して批判的に言及しているのを見つけて、
それだけで感動してしまいましたよ。今度なんか読みます)。
たとえば渡部直己の問題を、文学界隈の外から見てみよう。
渡部らのようなセクハラを許すような人たちを批判することは、男女不平等の改善などいろいろな形で、
彼女らの利益となるだろう。そしてそれより重要なのは、外部の人は文学界隈から嫌われたとしても、
別に痛くも痒くもないということだ。この構造があるおかげで、
多くのフェミニスト(除く文学関係者)は少ないリスクで渡部らに抗議できるというわけ。
じゃあ、フェミニストを自称しているのに今口を閉ざしている文学関係者はフェミニスト失格なのか?
そんなことはない。彼女ら彼らは、他の分野で問題が起こったときに、ちゃんと口を開けばいい。
おそらくその分野の関係者のフェミニストは、今の文学関係者と同様に口を閉ざすだろうから、
そのときにその人たちのかわりに抗議してあげればいい。
一応予防線を張っておくと、こういうふうに「女性」というくくりで雑に連帯するのは、
若干の危うさを孕むものではある。もっともわかりやすい例は、アメリカで、
主流派フェミニストのいう「女性」は「白人のインテリ女性」だといって、
黒人女性がフェミニズムのメインストリームから離れていった、という話だろう
(たしか大塚愛子『フェミニズム入門』で読んだ)。
フェミニズム入門 (ちくま新書 (062))大越愛子 フェミニストの定義はどうでもいい
女性論でリベラルな批判をしてきた
言論人がもし仮に渡部問題で、
意識的に発言しないでいるとしたら失格だよ
でそれと他の分野で起こった際も批判頑張れ
というのは別問題
なんでそんな簡単なことを理解できないのだ 所詮日本
どこもかしこも文壇も
ナアナアのズルズルベッタリ 日本のフェミニストは渡部のセクハラを批判できない。
それは何故かと言うと、彼等がyahwistヤハべ崇拝者であることが鮮明化してたから。
杉田水脈なんかも同様だが上野千鶴子や冨岡多恵子やハーチュウらが童貞を愚弄したりのオナニー否定、生殖礼賛などが明らかで、彼等の立場からはセクハラ批判は無理。 セクハラスレが伸びる不愉快。人気が出ているのはセクハラの多さに比例か。 そういえば筒井康隆がツィッターで若い頃は美男でモテモテだったのだろう
と言っていたけど40代の頃の写真を見てもそうだったとは思えない
元モテ男が老化にともなう容貌の劣化を自覚せずにちょっかいを出してしまった
また、文士は基本的に虞犯者の集団であるという
基本認識を欠いた女性にも問題がある
という変な擁護をしていたけどこの件はセクハラではなくアカハラなんだね
女性が迂闊にも近づいたのは指導教授だからであり女性にそれほど責任はない
この件に関しては変な擁護が多いね
でもまあ、文士は虞犯者という筒井康隆の基本認識(これは正しい)から
渡部の行為と筒井の擁護は事実として納得できるのだが
それを容認するほど世間は甘くない
文士の愚行を3面記事的に楽しみつつ、やっぱり叩きのめすのが世間なんだね ガバガバだな
アカハラは主に学問の教授/研究現場での
立場の差を悪用した嫌がらせだ
一方セクハラは性的な嫌がらせ
俺の女、これはセックスする関係という
含意がある
でこの2つを同時に満たすことは
現実社会で可能だし実際に起きている
今回の事件がそうだ
なんで君は語彙力があって本も読んでいるのに
その力の使い方が下手なのよ 安里ミゲル(facebook)
「渡部教授が学生との性的課外活動に熱心な先生だったらしいというのは、
私もしってたよ。スガ秀実さんらと早稲田のどっかで飲んでるときに、渡部
さんが持ってたライターだかマッチだかが大学周辺にあるラブホテルだか
連れ込み旅館だかのものだったらしく、スガさんに、おまえそんなとこ通って
て大丈夫かよ、とか言われて、エヘヘヘという微笑ましいやりとがあったっけ。
ちょうど早稲田のなんとかいう教授がやはりセクハラ問題で学校を追い出
された矢先だったとおもいます。私がおもうに、渡部教授は、兄貴分である
スガ先生のセクハラ理論を実践していたにすぎなかったのではないか。
その理論とは、『セクハラ行為というものは存在しない』というものです。
現状のセクハラ基準が、『相手がセクハラと感じればセクハラ』というもので
しかない以上、『セクハラ』と相手が感じる(判断する)以前の『行為』それじ
たいへの無価値判断は不当であり、法的安定性を損なうから、というのが
スガセクハラ理論の骨子です。この理論によれば、かりに権力関係的に
非対称だったとしても、相手がセクハラとも感じてないどころか尊敬する
教授に触れられて嬉しいと感じる学生がいれば、それはそれでOK」 ミスター
2010年代の頭ぐらいには、言論とは違った批評や思想の入り口があった。
これは西部邁と中野剛志から入るやつで、基本的に俺も西部のテレビを見て小林秀雄へ入った。
呉智英か西部邁へ至り、新保守になる系の人とは別に
若い同世代で西部邁の影響を受けている人はけっこういるのだ。
今なら先崎彰容や浜崎洋介もこの文脈に入ってくるだろうし、この文脈だと、
柄谷行人はおそらく読まないが福田恒存を読むだろうし絓秀実も読まれるだろう。
しかし渡部直己は読まれないかもしれない。
2016年11月17日
take4
浜崎洋介氏「戦後直後、戦前の文学における小説家は尊敬に値する。彼等は批評家よりも勉強した。
だから、僕らは小説家を畏怖した。今は畏怖の関係が全く無い。むしろ、批評家の方が勉強している。
そうすると(今の小説を)誰も読まないに決っている。」
2017年12月25日
KAJIO
先日浜崎氏と喋ったとき、保守論壇に勧誘されたのだが、そんなん無理に決まってる。
2018年6月12日
レコロ
ただ、やはり90年代の『批評空間』の影響下にあった浜崎・梶尾では、同じ磁場を共有しているだけに、
柄谷行人を選ぶか、蓮實・浅田を選ぶかが重要であり、
それによって文学に対する現在の態度も決まっているかのように読めた。
ところで、いくつかの感想を見てると、浜崎洋介の発言に対して反発してる人もいるようだが、
ぼくには浜崎が「保守論客のことば」を一生懸命に暗記してお勉強した人にしか見えなくて、
真面目に反論するのもアホくさいというか、むしろその厚みのなさというか器の小ささを哀れに思った。
2018年10月9日 naokki
凡庸の会『文学+』を入手。巻頭の座談会「文芸批評と文学研究、そのあいまいな関係をめぐって」
がかなり面白い。浜崎洋介がとにかくトバしまくっており、学会を「物知り自慢大会」、
蓮實重彦を「没落貴族が見せる維持としてのディレッタンティズム」と舌鋒鋭い。
凡庸の会『文学+』巻頭座談会、浜崎洋介は学生から「先生は『すばる派』ですか」と問われる。
大澤信亮、杉田俊介とは1年に1度会うくらい。
「すばるクリティーク賞」も一人の編集者とつながっているだけで、「すばる派」なんてない。
浜崎洋介は保守というより、文学(研究)者がデフォルトでまとっている
文化左翼的なムードが嫌いなようにも。学生時代にNAMに参加し裏切られたトラウマが強く
「僕は保守を見つけたもんね。早くお前らも気づいてこっち来いよ」と言っているようにも。
成熟と幼さの同居は人間くさく面白い。
2018年10月16日
issaku
『文学+』浜崎洋介×坂口周×梶尾文武による討議での浜崎の発言に
「もし、今、渡部直己が批評性を失っているのだとしたら、それは政治性の喪失と関係しています。」
とありますが、昔から渡部直己にはあまり政治性を感じないのだが。
タッグパートナーである絓秀実には感じるけども。
2018年10月18日
猫飛ニャン助
「文学+」創刊号を一部読む。私は「批評空間」の特権化というのもわからないし、
NAM傷痍軍人(兵隊?)の転向も何だかな〜だが、誰かが「研究」すべきかな(座談会について)。
梶尾文武の初期大江論、よく調べてあり、大変面白かった。
2018年10月18日 >>175
暴論、教授と教え子の関係なんぞ、あかんもんはあかん。
キモイものはキモイ。おっさんはおっさんらしくな 「微笑ましい」とか被害者からしたらゾッとする表現だな >>177-178
「転校できるやつが羨ましいなあ」という想いが透けて見える文章だな >>175
これ教育委員会なんかのいじめはなかった理論と同じじゃね
そりゃ学校としても学生1人守れないわ スガの根底にあるのは「悪を為すのは国家権力のみ」という発想だと思われる。
そう考えると彼の屁理屈は渡部擁護のためのアドホックなものではない。 東西の最高峰
国立・・・・東の東大、西の京大
私立・・・・東の早慶、西の立同
東の早慶>>>>>>>>>>>>マーチ
西の立同>>>>>>>>>>>>関関 >>185
その矛盾は質こそ違うだけで渡部直己の矛盾と同じ型のもんだよな
スガ・渡部の迷コンビって結局マクロレベルでは
死ぬまで権力と戯れたいおっさんと男根至上主義のおっさんだったという
ただの同属嫌悪を「批評する俺カッケー」のためのリビドーに変えていただけ
その点いつまでも夢見がちな柄谷青年と貴族丸出しの蓮實大先生は素直でいいわ >>175
相手が感じたんだからすでにアウトなのに何いってんだろうw
これでOKならてめーの身くらい法にもルールにも依拠せずてめーで守れってことになるし
これが「理論」なら「理論」なんか何の役にも立たないから引きこもってろってことになるわなw
バカの自己主張でしかないだろこんなもん
この手のバカとネットで声だけデカいキチガイとの区別がつかねーけど一緒ってことでいいかな それにしてもこいつら自分のザーメン臭さに全く気づいてないのかね?
くっせえんだよな
自分から発酵させた匂いまき散らしておいてなんでも権威のせいにしたらあかんわ >>187
スガも01年頃の早大学館闘争に顔を出してたんだっけ?
あれもスガは何をやりたかったのやら、、そもそもが学生たちも大半は今さらサークル部室の
事なんかどうでもいいんだよ。どうせ大学なんか4年いたらそれで終わりなんだからさ。
大半の学生はそんなもんに過剰な思い入れはない。どうでもいい。
井土紀州の『レフト・アローン』とか観れば分かるの?、、まあもう観る事もないとは思うが。
井土だのあの辺がスガとかと親しくする理由もさっぱり分からない。井土は法政のシアター・ゼロに
いたらしいのでその辺から早大学館闘争⇒スガなのか?
スガが外山恒一を評価してるらしい(?)のも分からない。
ちなみにスガの友人の荒井晴彦は今もまだ某映画大の特任教授だっけなあ?
あの辺のニューアカ系サヨクみたいな人たちはじゃあ具体的に何がしたいのかもう
さっぱり分からない。とにかくまともに関わるもんじゃない。 >>187
>その点いつまでも夢見がちな柄谷青年と貴族丸出しの蓮實大先生は素直でいいわ
微笑ましいから(笑)この二人はまあモテてしまうのもわかる
それに比してガースーとナオミンはくっさくて小さい男根ふりまわしすぎ
ナオミンの末路はこれ以上無いというくらいふさわしいものだったと思う >>190
早大学館闘争の実態は早稲田が革マルの資金源になってるのを潰そうという動きだった。
革マルは教授の個人的弱味を握るとかして、なりふりかまわず早稲田に浸透してたので
ああいう形でないと追い出せなかった
だったっけ >>190
エクスキューズだけ置き逃げできたら御の字ってなものなんでしょ
でもそれって時代の推移にちゃっかり迎合し続けただけなのでは?とも見えなくもない
批評なんてそんなもんかもしれんけど 「当然のことながら、小説を書かぬ谷崎など、たんなる変態にすぎぬ」
「『陰翳礼賛』とは、さらにつまるところ、日本女性の“陰毛礼賛”にほかならぬのである」
渡部直己『谷崎潤一郎 擬態の誘惑』
シノ
「互いの好意が読者にわかっている恋愛ものはつまらない」という渡部直己の指摘はやっぱり解せない
2009年6月24日
Kojiman@Aventurisme
『重力の都』漸く読破。渡部直己氏の解説を読む。男女の性愛に積極的女性を見出す。
省みれば、時代も積極的にそのような女性を肯定した。昨今屡々指摘されることであるが、
an anの提示する時代の女性像は媚び、娼婦化し、従属物として後天的に加工された、いわば工業製品だ。
2012年8月13日
たさい
渡部直己のサバティカルの後釜、大澤真幸と開沼博とかすごいね。
近現代史関係も森田先生が戻ってきたこともあって充実しとる(ように見える)。
文、文構の授業は毎度毎度シラバスだけで判断する限りでは、魅力的なものばかりですね(。-_-。)
2014年3月18日
トーテン
大澤真幸『恋愛の不可能性について』。内省と遡行や探究あたりの柄谷行人から
相当影響を受けている思われるが、哲学的な議論を社会的な事象に適用する視点が常にあるので、
何について書かれた本かすら理解しづらい当時の柄谷よりもこちらの方が主題が明確で完成度が高い。
解説で永井均がべた褒め。
2016年7月29日
ぱんだ
渡部直己が恋愛小説で三人称複数だと駄目って言ってたけど(これももっと分けれるけど)
他者性を確保するために相手の心理を空白しとくのはテクニックとしてはそりゃあるだろうと
2017年4月16日 fune guattaru
少女万歳ですな!
(田山花袋「少女病」)
?秀実氏によると無垢な「少女」の表象は神聖不可侵でイノセントな天皇をモデルとして造形された。
「少女」は革命の代補(恋愛)の代補であるが革命=享楽は必ず裏切られることで無垢であり続ける。
管野すが子は無垢な「少女」であることを徹底的に拒否したことで「大逆」たりえたとのこと。
春樹やらばななもこの系列と思われ。あと、小林よしのり氏をみているとAKBなんかは
もろに「少女」=「天皇」で革命の代補である恋愛の代補という図式が当てはまるでしょう。
安吾の「堕落論」はそういった無垢に抵抗しているのかもしれませんが、
天皇に関してはちょっと微妙な感じでよくわからん。
2014年10月24日
「少女」=「天皇」問題により意識的でアイロニカルなのが会田誠氏でしょう。あと、松浦寿輝氏の小説。
これらの人々を三島系とすると、それと対立する安吾系の人があんま思い浮かばない。
島田氏や高橋氏は違うでしょう。岡崎京子?
2014年10月25日
と!
佐々木敦+東浩紀『再起動する批評』終えた。大澤真幸「現代社会に神はいるのか?」面白い。
渡部直己「『秋幸』という名」夏に生まれる秋幸への違和に焦点が当てられてんだけど
幸徳秋水との関係はさておき、秋に行為があったと考えるのアリでは?って自説。
作者の投影ポジにいる秋幸なんだしなおさら。
2017年5月10日
issaku
渡部直己は今こそ、セクハラの先輩である大澤真幸の『恋愛の不可能性について』を読むべきだろう。
2018年6月20日 ゴミツイートを燃料投下に晒し続ける人生ってなんなの? 渡部は今までこの手口で生徒を食いまくってたのかもしれん。
しかしこれが生徒をとことん追い詰めることになるかもしれんという想像力がなかったことが恐ろしい。 >>196
おまえの無意味なゴミレスよりはよっぽど有益 ゴミを蔑むやつとゴミを有難がって反発する乞食の対決ですね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています