一連の“『新潮45』問題”、『新潮』始め各文芸誌での反応
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)

「文芸」と言えば世間では、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と
打(ぶ)った特集で大炎上し休刊した『新潮45』と、
LGBTを「性的嗜好」と言い放ち「痴漢症候群の男」と並べて火元となった
文藝評論家・小川榮太郎の話題で持ちきりだ。

同版元の『新潮』11月号は高橋源一郎による
「『文藝評論家』小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」を「緊急掲載」し、
編集長・矢野優が編集後記で小川の記事を「認識不足としか言いようのない差別的表現」だと断じて、
「小誌寄稿者」たちも非難の声を上げたことを受け「他人事ではありません」と「傷つかれた方々」に謝罪した。

まずは主にTwitterでなされた自身への批判に対し、小川はFacebookで「暴言」「恫喝」だと言い、
「『きちんとした文章』で反論してください」と批判者を列挙した。
名を挙げられた武田砂鉄が『文學界』11月号の連載「時事殺し」で「きちんとした文章」で応答している。
『すばる』11月号には詩人の榎本櫻湖が「それでも杉田水脈はわたしを差別していないと言い張るのだろうか」
を寄せている。『新潮45』が自爆するそもそもの発端となった「論文」への批判である。
榎本は渡部直己と早稲田大学大学院現代文芸コースのセクハラ事件にも言及している。

矢野が言うとおり、『新潮45』および小川の事件には文芸関係者も多く批判を表明した。
小川の原稿とそれを載せた『新潮45』は論外で糾弾されて当然とはいえ、
渡部の事件には無言を貫いた方々がここぞと声を荒げている、その対照が訝しい。
小川榮太郎は存分に叩いてOKな安パイと見なされたということなのだろう。

10月号も小説は少なかった。完成度では小山田浩子「ヒヨドリ」(群像)が抜けていたが、
日常に潜む不穏さを炙り出す手法に、小山田に限らないルーチンを感じる。
坂上秋成「私のたしかな娘」(文學界)は叙述的仕掛けが面白いものの見え透いてしまっていた。
週刊新潮2018年10月25日号