【早稲田大学】渡部直己7【俺の女になれ】
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>>836
セクハラ騒動が起きる前から、文藝評論家風情に文学的価値なんてないよ笑
彼の功績があるなら簡単に説明してくれよ。
文藝フリーク向けじゃなくて、一般紙の訃報記事に載るような感じで。
早稲田大学の教授やった、ってことくらいしか一般の人にわかる功績っぽいことはない。 渡部さんはハナレイベイを観て春樹に癒されるといいよ 功績は知らんが色々お騒がせしたのは間違いない。筒井道隆の事件とか『村上春樹を読むのは田舎者』発言とか。 村上春樹がゴミってのは単なる正論だが
渡辺に言われて初めて気がついたやつとかいないだろう 渡部直己もそうだしこの板にもいるようだが村上春樹を全く認めず得意になっているバカ。村上が日本中世界中で高く評価され多くの読者集めていることをどう思ってるのかね。渡部直己はセクハラスケベ教師の最低の人間のクズだがクズと同じように呼ばれたいのかね。 くぼた
政治的に問題のある行為や発言をした作家について「もともと好きじゃなかった」
「くだらない作家だ」と語るのは、政治的な問題を美的な趣味判断に還元してしまうという点で問題だが、
渡部直己の批評にもそういう傾向はあったように思う
渡部直己の批評は「文学的な才能がないから」「技術がないから」差別をするのだ、
みたいな論理に帰着するところがあり、
それは政治の問題を(きわめて素朴な)「文学」の問題へと占有してしまうところがあった
2018年12月16日
猫飛ニャン助
15日@京大の質疑応答で、挑発的にあえて国民皆兵論を言ったら、
車椅子で来場していた津村喬の怒りを買ったようだ。不徳を恥じる。討論できる時間ない場である。
以前からそうだったようだが、津村、あまり健康状態が良くないのか。自愛されること祈る。
同じく質疑応答で、昨今のポリコレ・イデオロギーを批判したら、
二次会で、発表者の女性から糾問受けた。丁寧に応答したつもりだが多少は理解していただけたか?
私は10数年前からpcの意義は認めてきた者だが、今や状況は転換していることに嘆息。
2018年12月19日
構成主義ツイッター
渡部直己のセクハラとゲンロンの閉鎖もしくは縮小によって
早稲田大学文化構想学部の学生はなんかしらの夢から醒める
2018年12月20日 津村喬という奴、全く知らないが昔毛沢東を礼讃してた奴みたいだな。スガ秀実らしい。 >>845
>>ゲンロンの閉鎖もしくは縮小
それに関しては俺も少しは功績あったかもなw 佐々木敦がまたこんなことを言っているけど、真実があるならはっきり言えばいいのねえ
巨悪がいるとか言っていてその後だんまりした時と同じだよね
ネットの表面だけで、事の次第が全部判断出来ると、たとえ無意識であっても思ってるらしい人たちが存外に多くて、うんざりしてくる。
From: sasakiatsushi うんざりなのはこっちだよ
佐々木敦の評論読まされる身にもなってみろ >>845スガの理解するところでは渡部直己はポリコレとフェミニズムに刺されたということなのだろうな。 >>853
ガースー的にはカーゲーベーやケーベーウーに刺されたってこと。
実際は助平禿が単なる自業自得だったってだけ。 ネトウヨもポリティかル コレクトネスを眼の敵にしているようだ。スガとネトウヨ。気が合いそうだ。ネトウヨ顔だし。 スガは近大のネトサポ連中の方がリベラルよりは好き
というかリベラルとポリコレを叩くためならどんなやつとでも手を結ぶ 文芸この1年 佐々木敦さん×安藤礼二さん 対談
安藤 女性作家が増えたとはいえ、やはり文学界は根本的に男社会だったことが露呈したのが、
早稲田大の文学学術院で起きたセクハラ問題。大学の問題と文学の問題が連動している面があります。
教育現場では、教える側と教わる側が非対称で、権力関係が醸成されやすい。
そして、文学というものを本当に教えられるのかという点も問われました。誰もが作家になれるわけではない。
小説を書きたい学生が大学の教員から学ぶのは、不幸な出会いではないかと以前から感じていました。
佐々木 あの案件については一切擁護できない。
被害を申し立てた元大学院生の勇気ある行為によって問題が表面化したことはたいへん良かったし、
再発に対する歯止めにもなり得る。また、寄稿がLGBT(性的少数者)への差別的表現だと批判され、
『新潮45』が廃刊になった問題では、文芸誌が意外なほどビビッドに反応しました。
そうしないわけにもいかないということもあったでしょうが。
安藤 右と左に分かれがちな論壇誌を見ると、どちら側も異質の意見を入れる余地が全くなく、うんざりします。
佐々木 今は自分と価値観を同じくする人にだけ語りかけていればOKという構造があらゆるところで見られます。
他者を批判したり嫌悪したりするというよりも、他者がそもそも見えていない状態。
佐々木 第百五十九回芥川賞の候補作「美しい顔」の問題にも触れたい。
東日本大震災で家族を失った少女を主人公にした小説で、ノンフィクション作品との類似表現が問題になりました。
デビュー作だった北条裕子に脇が甘いところがあったのは事実。
この作家は二作目が書けるかどうかが勝負でしょう。
佐々木 確かに、本人も被災地に行かずに書いたと公言していて、
盗作疑惑がなくても批判される可能性はありました。
ただ、それでも擁護したいと僕が思うのは、あれが新人の第一作だったからです。
推測するに、彼女はテレビ報道で震災ポルノ的なものを見て、心の底からムカついたんだと思う。
だから主人公の少女はやっぱり作者自身なんです。その個としての切実さは認めたい。 >震災ポルノ的なものを見て、心の底からムカついた
どんだけ薄っぺらいんだよ >>858
さらに作者のルックスも認めたいんです。 よく悲劇を忘れない語り継ぐっていうけどさ
レイプジャーナリストとか剽窃作家の悪行も
メディアや文学に行く奴のために
冊子にして語り継いだほうがいいよな
噂話だけで終わるからダメなんだよ >>858
佐々木は新人のパクリを認めるのか
アホか >>858 ここに書かれてあること全く同感。このスレ見て発言したのではないかとすら思える。文芸科の意味とか再三話題になった。
渡部直己だって本当はわかっているはず。ただ大学教授という肩書と収入。これを断れる奴はそうはいないだけ。 ちょっと甘いな
パワハラセクハラなんて大学ならどこでも起こる
美大音大はどうだよ
みんな食っていけるわけない
それにイシグロなんて典型的なクリエイティブライティング
教育の申し子だぞw 育てるで言えば
出版社が作家を育てるという麗しいコトバがある
じゃあその中身はなんだよ
実態があるならカリキュラムにできるだろう
芸術系見てみろ
抽象画とか教えてるんだぞw https://news.nifty.com/article/item/neta/12113-153910/
世界的人権派ジャーナリストの広河隆一氏に性暴力疑惑 7人もの女性が証言
2018年12月26日 19時40分 文春オンライン
世界的人権派ジャーナリストの広河隆一氏の性暴力疑惑を週刊文春が報じている
広河隆一氏はチェルノブイリ原発事故、薬害エイズ問題などに取り組んできた
ホテルに誘われたり、ヌードを撮影されたりした被害女性7人の証言などが掲載される >>869
オカルトでしょ
曼荼羅・折口信夫・井筒俊彦・・・
神秘主義に逃げ込んでいる人 音大を卒業してプロの音楽家になれる奴は少ないだろうが音楽の先生、音楽学校の講師、アマチュアの楽団を結成することもあるだろう。優れた技術を学ぶには音楽大学はやはり必要。だが小説家になろうと思う人間が文芸科を選ぶ理由は何1つない。 >>872
小説は総合的な言語芸術の一大ジャンル
美大でデザインやってたやつがその後、油画書いたり
つまり視覚芸術全般にアクセスできる
文芸もそういうこと
その総合性は大学に相応しい
お前のような意見はかえって俗な芸術至上主義 安藤礼二は早稲田出身の編集者だから反大学を唱えながら美大教員やってるわけよ。
よくいるタイプ >>873音大では毎年数は少ないが必ずプロは生まれる。早稲田でも近畿大学でもいいが小説家は何人誕生したのかね ?イシグロだって最初から文芸科に入ったわけではない。
百歩譲って文芸科の講義に意味があったとして、そんなものを学ぶよりは他に学ぶべき学問など幾らでもある。 それは文章書く業務全般で生き残ればいいだけの話
そもそも芸術創作は狭義の学問ではないし
学問に関心があって何か専門を身につけて
卒業する大学生の方が少ないので不毛
日本はトップ大が芸術系学部を持っていないのが
実は弱点で早稲田はその意味では正しい方向
こういう時の文学至上主義はかえってマヌケ
例えばパワハラで文学がうんたらと語るとかな
いや文学に引きつける必要なんてどこにもない マキューアンはマスターの卒論で創作作品提出を
選んだらしいがこういう環境も大切だな
最初から成功者が出ないからという根性では
未来は暗い 海外の例は知らん。
ただ日本の場合、実際には大学やカルチャーセンターの創作科の講師なんかもう30年ぐ
らい前からずっと「イマドキの学生・ワナビーはロクに本も読んでいない」「あれで何
か書こうなんて」とブツブツ言ってるだけですけどね。
それは亡くなった安原顯だってそれしか言ってなかったよ(安原在籍時代からメタローグ
はCWSを経営していた)
それでも表向きは「でもそんな学生たちでも指導すれば書けるようになる者はいる」
「だからやりがいはある」とか言ってたけどね、でも本音では「業界の義理で(薄謝でも)
断れない」「薄謝の非常勤でも続けていればいずれはテニュアになれるかもしれない」
「テニュアの定収は美味しい」、、だから続けていただけ。
、、この辺は映画やシナリオの講座にも通ずる部分だね。
あと昔から「書けなくなった」人が小遣い稼ぎや暇潰しにそういう疑似徒弟制みたいな事をや
りたがるというのもあってな、、シナリオ作家や映画監督も暇になったらすぐに私塾や劇
団を作りたがる人ばかりだし、、
ま、例えば村上春樹や山田太一がそういう「講師」をやるかといったら、それはやらんもんなあ、、、
あと「読書量だけは膨大、でも自分で書くと何も書けなかった」人が代わりに院進して
大学の人文系テニュアになるみたいなのもあってな、、
それはそれで屈折してそうで、もうね、、
表向きの「理想」と「現実」は違うんや。 安原顕あたりが渡部直己やスガ秀実のようなゴミをのさばらせた。村上春樹の悪口を言い大学を否定する癖に大学教授に収まりセクハラで追放。哀れな連中だ。 総会屋ロジック。昔は左翼総会屋がいたが今はほぼ全員そういうのは右翼。
スガぎ時折ネトウヨに近いのは、
要するに総会屋ってことだ 大体、ここの奴らの文章って主語や目的語が欠けてて意味が曖昧なんだよなw
脈絡の説明も無いしなw
要するに自分の主張に自信が無いから及び腰なんだよ。 >>882 『創』とかいうタイトルの雑誌だったな。全共闘くずれみたいなやつらが書いていた。 主語はインサイダーが一番知ってる
この世には固有名詞すぎるからぼかして小出しにするってこともある 今思えば8〜90年代の文藝春秋とか食えてない文系大卒おじさんのひがみが凄かったからな
同世代に負けただけならまだしも平気で目下に清貧や完璧主義を押し付けて醜くかった
そういう人ってなぜか西部邁とか宮台みたいに本筋とは関係ない語源の知識披露でマウントとるよね Horikoshi Hidemi
かつての渡部直己教授も必読書リストに挙げていた『成熟と喪失 ”母”の崩壊』に、
女はもともと「子」を無限に受容して限りない至福をあたえる母性を持っているが
近代に憧れるようになってそれが崩壊したみたいなことが書いてあって
えートンデモじゃん!と当時思ったのだが(続く)
女のことをそう思ってるじいさんたちが若い女の子をだましたり恫喝したり泥酔させたりして
性行為に及ぶのを恋愛だと信じるのは不思議じゃないなあと、昨今の事件をみて思うのだった…。
ジャーナリストや文学を志す女性は近代化によって主体を獲得したせいで
母性が崩壊した哀れな存在なのだから、
主体を奪って自分を受容する望ましい母性を取り戻してやろうそれが彼女たちのため、
くらいの感覚だったんじゃないかしら。
2018年12月29日 >>890そういう事かもな。江藤淳は左の連中に実は意外と人気があった。
スガ秀実がフェミニズムを目の敵にしてのも同じ理由だろう。 何も勉強してない連中だな
上野千鶴子は『成熟と喪失』を高く評価して江藤と対談までしているよ
その当否は別として
その他もろもろ
ちゃんと調べてから書き込めよ 『成熟と喪失』の江藤淳は、今ではやってる人があまりいない「原型批評」
一概に全否定するよりは、使えるところ使えないところを選り分けるべきだと思った
精神分析イコール電波という否定論も一周回ってきたので、
原型批評もそろそろ再評価されてもいいのでは
ただ、江藤はそっちよりもWGIP陰謀論の罪のほうが大きい >>892上野千鶴子が『成熟と喪失』評価しようがしまいがそんな事は関係ない。あの本の中の江藤淳のジェンダー観をいっている。 ユングがオカルトとか攻撃されてたが
ポストモダンは疑似科学だった、てなオチか ユングはフロイトに比べて成績優秀じゃないからね。質は低いだろう。 ユングフロイトの体格が違うところに注目してゲームでも別々のゲームに出てたことを
想い出してみてね。精神の格も違うのですよ。 >>895日本の場合は擬似科学じゃないな。浅田彰 中沢新一のような言葉で表層のゲーム出来る奴が遊んでたお遊び。 浅田と中沢って全く違うじゃないか
中沢に取り入ってアカポスとったのが同じオカルトの安藤礼二 去年の渡部直己のセクハラによる大学及び文壇追放、東貴紀のゲンロン辞任。平成の終わりとともに日本のポストモダンも完全に終わり。 中沢忠之
磯崎さんのこの時評はやや我田引水があると思う。
確かに、週末医療の切り捨てと読めるところはオーバトークですが、
プロットが好きだからという部分のみ切り取って身体性がないというのは敵認定しすぎです。
朝吹さんの『timeless』が好きって言ってるじゃないですか。
それから、文芸誌体制から逸脱せずに、
そのキャリアで規定路線の大学教員にまでなった作家に身体性とか言われてもまるで僕には説得力ない。
磯崎さんが批判する若い二人の方が、ジャンルの庇護なく試行錯誤してますよ。
2018年12月31日
昨日磯崎さんの批判をしてしまったのは、特定のジャンルの支えなく場所
(個人的な居場所も含め)のデザインをしている若手を、
「文学は身体性が大事」という特定ジャンルの主張のための根拠にしているように見えたから。
2019年1月1日
磯崎さんが最近時評で身体性が大事だみたいなことをおっしゃっているのは意義深いと思いますし
(価値観は違いますが)、平成の初め頃に出た作家まではそういう緊張感があったように記憶してます。
黙説法を駆使するとされる村上春樹氏も実際はパラテクストの非常に豊富な作家です。
確かに文学が無条件に教養として読まれえたり、批評家との論争や文学史が機能していた時代はあったけれど、
そのような支えの崩壊は昭和の終わりに明かになり、若い作家は独自にパラテクストを増やしたはず。
高橋島田春樹ばなななどから阿部まで。
2019年1月2日
僕は、古市氏を外から連れてきて年号と安楽死という政治的なテーマをもった
『平成くん』を書かせた文学界には感謝してます。ジャンルにはシンボルが必要な時もある。
そしてそれが書けるのは才能があるからだとも思います。シンボルに対する批判的な視線もありますし。
古市氏には芥川賞をとってリベラル心性が強い文壇を色々掻き回していただければとも思いもします。
文学になんて興味ないだろうけどさ。
2019年1月3日 >>903
周りが次々に古市落合批判をはじめたら日和るのな 栗原裕一郎
昨年はゾンビ化したニューアカの急所がいくつも射貫かれた年で、
渡部直己のセクハラ事件や四方田犬彦のニューアカ総括小説、
ゲンロンの破綻などもっぱら形而下からの矢だったんだけど、
「やれやれようやく終わるのか」と思ったところに落合陽一がバズったという流れになってしまったわけですね。
キクマコ先生や黒木玄さんは、落合陽一がやにわにニューアカしぐさを再演したと見ているようだけど、
落合が宇野常寛プロデュースで出てきたという点を見落としていると思われる。
宇野は、東浩紀を批判する身振りで東に取り入り足場を築いた、
ニューアカと宮台社会学が悪魔合体したような存在ですよ。
情けないといったのは、宇野常寛に騙された(あるいは騙された振りをして担ぎ上げた)人文思想文芸界隈が、
懲りずに古市憲寿あたりを担ぎ上げている光景についてで(落合陽一はよくわからんので一端保留)、
お前ら学習能力ないんか or まだ柳の下に泥鰌がいると思っているのか、という諦観からです。
2019年1月2日
かれこれ20年近く間欠的に文芸時評のようなことをやってますが、質・水準はどうだろうなあ。
あんまり変わらないと言えば変わらないかも。それより文芸業界の保守化傾向が強まり、
文芸誌小説のほとんどが批判批評どころか人目にすら晒されずに消えることの弊害が
出てきているのかもしれません。
文壇(文芸業界)それ自体が外界と切れてオルタナティブ・ファクト化していると言いますか、
後年、文芸誌だけを資料にしたら、昨年の文芸的重大事件である渡部直己セクハラ事件も「美しい顔」事件も、
起こったことにすら気づかない可能性があります。
『文學界』がなぜ古市憲寿×落合陽一の対談を載せるのかという疑問を見かけたけど、
たぶん古市の「平成くん、さようなら」に落合がレトルトカレーをストローで飲む例のエピソードが出てくるので
芥川賞に向けてマッチングしたんでしょう。大炎上になるとは予想も覚悟もしてなかったんじゃないですかね。
2019年1月3日 とりあえずリベラルを小馬鹿にするしぐさでいいんだから楽よ 音楽ライター栗原に寄生される文芸誌ってのが落ちるところまで落ちた証明だ ニューアカは左翼と結びついていた。浅田は言うに及ばず中沢もレーニン。柄谷行人も左翼。渡部直己、スガ秀実も。
渡部直己やスガ達は自分たちが日本の文学と思想を動かしているつもりだったろう。ところが世間は左翼の物書きを相手にしなくなっていた。
連中の愚かしさと欺瞞が吹き出たのが『俺の女になれ』事件。いずれ書かれる平成文学史にどう書かれるか楽しみ。 >>912
村上春樹がゴミのインチキだって結論のようですな よくわからない点で文壇批判といいながら作家名しか
挙げられないことがある
出版社支配なら現在の出版社の力のある人物も
どんどん実名で俎上に上げるべきだろう
やる気ないやん >>912
早稲田がいつものように犯罪を犯して隠蔽したって話をごまかしてはいけないね 栗原がしょせんゴシップ野郎なのはそこ
文学の権威の源泉には手を触れられないから、
担い手のスキャンダルを書くしかできない でも佐々木敦みたいな批評になっていない批評もどうかと思う 佐々木敦はCDのバイヤーズガイドをずっとやqっていればよかったのに 保守ってなにかよくわからないけどキチガイしかいない印象
「HANADA」「WILL」「正論」雑誌も宗教じみているし
「新潮45」廃刊原因の記事も狂っていたし、百田尚樹、有田香なんちゃら
菊地誠、栗原裕一郎とか >>916 左翼の反対を右翼だと思うな。
左翼と右翼は似た者同士。左翼の反対語は公正な自由主義者。民主主義者のことだ。 Pはマルクス主義者になればいいのに
それは嫌みたい
実家を相続したいからかな ゴシップ屋としての格は中森の方が上だからなあ
小説も書いてるし プレジデントを叩きたいけど叩けないから代わりに栗原を叩いているように見える いや。渡部は告発されて当然。
なんで渡部を嫌うイコール栗原の応援しなければならないんだ?
そういう誘導が扇動屋の手口で嫌いなんだよ >>922
「日本が好きな普通の日本人」ってSNSのプロフに書いてる奴らだろ(笑) すばるでモブ・ノリオが、浅田彰が渡部セクハラ騒動を終わらせようと関係者にメールを送っていたことを告発していたが
古市落合の炎上騒動で中森がニューアカ擁護をしていたことと組み合わせると
何が起きているのかよくわかる気がする
渡部的なマッチョイズムで得をしていた人間は、浅田彰以外にもいたというわけだ
浅田彰も男子学生へのセクハラが噂されていたわけだよね 浅田がどこで渡辺を擁護したの?
ごまかすんじゃないよ 実際恋愛沙汰で学生と揉めること
はよくあるだろうな
渡部のような一方的なものだけじゃない
内心ヒヤヒヤしている著名人も多いだろう >>931
すばるで仄めかしていただろ
ちゃんと読んだの? >>933
直接的に隠蔽を図ったのはもちろん同じ学科にいる市川だが、
モブの話によれば、浅田もまた著名な評論家や作家にメールを送っていたらしいし、そのなかに中森がいた可能性は言うまでもなく高い なぜ浅田彰が渡部直己をかばおうとしたか?スガ秀実もそうだが、連中にとっても、これがポストモダン、ニューアカの終焉だということがわかっていたから。
セクハラだぜ。かっこ悪すぎな終わり方。 なぜ浅田彰がハードコアな近代人と思われていたのか謎 日本でmetooが盛り上がらないわけだよ
ロクに訴えが出てこないうちに
慎重な態度表明でメールだもん
マルクス主義が入ってくる前に
対策を始めてた大日本帝国と同じw 日本では近代人的なスタンスを「お気持ちリベラル〜」と指差してあらかじめ潰すクソ社会
これ、マルクス主義者も同罪だったろ 「俺の女になれ」は権力と対峙する左翼運動の戦士が女に言うのなら分かる気がする。
女の側でも、男はそれなりに危険な事に挑むのだから、寄り添ってあげようという気にも
なるのではないか?
スガが上野千鶴子を引き合いに出すのは上野の夫の松尾真との縁があるから?
とにかく、渡部にしても、スガ、上野らも、権力との闘争状況下での男女観を
引きずってるように思う。党派によっての違いもあるだろうが。
早稲田が情報を外に出さないようにしてる限り、問題は解決せんだろ。
フェミニストなら上野や小倉千加子よりも藤本由香里に意見を聴いた方が余程まし。
浅田彰が渡部を擁護するとは到底思えないが、浅田から渡部を批判する側に一言は
あって良いだろう。
スガなんかもう批評家としては完全に出涸らしなんだから、特攻隊でもやってくれりゃ
良いんだが。 俺のオンナになれ?他動詞は他人行儀っであって、自分は無駄死に。にすらない。 どうしても早稲田文学部と新潮社を傷つけたくないと思ってる奴らが文学板の大勢だから、ここ文学板では何も進まんよ。
文壇=新潮社ー早稲田文学部なんだから、これを破壊しないことにはどうしようもない。
日本文化停滞の根源が文壇=新潮社―早稲田文学部なんだから、これを叩き潰さないことには何も始まらん。 >>942
「左翼運動の戦士」が言っても普通にセクハラだと思う。収監するべき 浅田彰は結局なんて言ったのですか?想像でしかないけど「事態の収束を図った」とか「渡部直己を擁護した」とまとめられるような書き方を彼がするとは思えないんだが。 一個もキズないでしょ。そのために彼は本を書かなかったわけで、キズができようがない。まあ、対談とかは残ってるけど。 東とホテルで同室みたいなやばいふるまいをしらないのか そこで性的なバイオレーションがあったという事が前提なわけ? 性的少数者に対してそういう「疑惑」を向けることは本当の意味でのセクハラなのでは? 昼ドラかなんかでワザとB級Ⅽ級を狙ってならまだしも
現実世界で「俺の女になれ」は「この泥棒猫!」と同じくらい爆笑ワードでっせ大学教授様 浅田彰はオウムでも中沢新一を擁護している。『騙された方が悪い』そういってね。奴にはサリンで何人死のうが構わない。自分が中心にいたニューアカ、ポストモダンが全て。人が死んでも構わないのだからセクハラなんか問題外だろう。 >>962
古市のスタンスに近いじゃん
浅田って今でいう古市みたいなもんか >>945
世間的には一緒だろ
学部というよりマンモス大学早稲田の体質でしょ >>968
古市憲寿みたいなクソ恥ずかしいモンと浅田彰が一緒にされたらさすがに怒るよ。 浅田マンセーほど恥ずかしいものもない
いつまで持ち上げてんだ 浅田と古市の根本にあるものを同一視出来ないような奴は直己みたいに事件を起こしでもしない限り化けの皮を見破れないんだろうな
お気の毒様 中沢本はフィクションなんだから信じる奴が
バカ、と事後的にいう冷笑系だからな
マウンティングのモンスター 早稲田の関係者が書き込みしてるみたいだが自分たちで思ってるほど世間は早稲田を重く見てないぜ。ああ、また早稲田か、その程度。 文章を読んでも書いてる人間の知性が同じようなもんに見えるんだろ?お気の毒様と言うしかない。 【日航機123便ロックオン事件】 中曽根「真実は墓場まで持っていく(=原因は圧力隔壁ではない)」
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1546740721/l50
2008年 12808万人 + 5万 △△△△△
2009年 12803万人 − 5万 ▼▼▼▼▼
2010年 12806万人 + 3万 △△△
2011年 12780万人 −26万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2012年 12752万人 −28万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2013年 12730万人 −22万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2014年 12709万人 −21万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1546600138/l50 スタイルにしか知性を読み込めないとなるとただのファッションバカ、ギャル並みの鑑賞眼だわ
妬み嫉みもほどほどにな >>973その通り!古市の方がまだ自分に正直な分救いがある。 単なる「スタイル」だと思ってんのか。所詮「ニューアカ」みたいな記号として認識してるだけだろ(笑) 土人発言も酷かったな
カッコつけたい気持ちが強すぎて 渡部直己は文壇の中で、女の作家の中ではましな容姿の女達を肉便器として男性作家達に
デリバリーしてたんじゃないかな。
津原泰水やミルフルが川上未映子や彼女と村上春樹の関係に狙いをつけたり、
清水博子を哀れがったり、飛び降り自殺した二階堂奥歯を惜しんだりしてるのも
関連あるような。
容姿のマシな女性作家達を文壇の肉便器として使う慣習があったのかも。
肉便器にされたら、女の大体は病むわな。
それが原因で韓国の女性タレント達は自殺した。
「美しい顔」の北条裕子の登場時の褒められ方も不自然だった。
女性作家を持ち上げといて落とせば、高慢になった女は落ちるかもな。
清水博子なんかそれの被害者だったかも。 >>983
特に3〜5行目が意味不明なんだけど?
津原さんを中傷してんの? 噂の真相があった頃は文壇の嘘かマコトかわからない与太話もそれなりに面白く読めた。
渡部直己は大嫌いで奴がセクハラでコケた事は大歓迎。だが全く根拠のない妄想を書き連ねているのは許せない。 「京王電鉄は国民に謝罪せよ」
・駅名の案内板にハングルを使うのを
やめよ!
ハングルは6000万人しか使っていない
弱小文字にもかかわらず、
これを使うということは
京王電鉄の中に、不正な手段で
管理職になった者がいることを
意味する。祖母が朝鮮人の場合が
一番 多いケースである。
・戦前または朝鮮戦争時に日本にいた者は
戦争難民として在日を許された者であり
戦争状態が終結したらすぐに半島に
帰る人たちである。
・フランスは他言語を禁止しているように
日本もこのままだと大変なことになる。
→参考文献「国家とは言語である」。 安里 朖
〈今オキナワに必要なのは、数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、
一人のアメリカ人の幼児の死〉という目取真俊「希望」内声明文について、
〈この暗喩を本当に咀嚼できる奴が何人いるんだ〉と息巻きつつ、
暗喩としてどころか咀嚼もせず鵜呑みにして興奮してるのが当の辺見庸という知識人。
対談相手の目取真が、幼児殺しのような〈そんな人間を出さない、出したくないからこそ…書いた〉
というのに、辺見は〈自分の中にああいう人間を抱えている〉といい〈どこかで、実際に期待している〉
とも語る。これをよんで私は、日本の知識人は野間宏『真空地帯』以来一歩も進歩してねえな、と思った。
自分の中に抱えてもいない人物を描き出せる小説家がいるかどうかは別として、
〈どこかで、実際に期待している〉とは何ごとか。これこそ傍観者的立場といわずして何であるか。
ちなみに本書の帯には〈だれも傍観者、忘却者であってはならぬ〉という文字が虚しく躍っている。
語るに落ちるとはこのことだ。
この日本知識人的、あまりに日本知識人的にフヤケた感じ。
当人は「フヤケた」とは対極の硬派な位置で孤高を持して踏ん張ってると思い込んでおり、
周囲からもそんなふうに見られてそうなだけに、傍ら痛いこと夥しい。
こうした俗流「硬派」全共闘世代知識分子を見るにつけ、つくづく絓秀実は偉いと実感。
〈あと10年間ずっと海に出てカヌーを漕いでですね、
自分の作品は書けないまま人生終わるのかと考えたらやりきれない〉という目取真に対し
〈ぐうの音もでないね〉としか応じられない辺見は、そもそも対談者としての資格を欠いている。
絓ならそんな目取真の活動を「愚行」として讚えるに吝かでない筈だ。
2019年1月11日 安里 朖
無論目取真の愚行と絓のそれとはイコールではない。
植民地沖縄の現実と帝国主義本国日本のそれとがイコールではないからである。
そこで話はズレるが、私が未だにややひっかかってるのは、
渡部直己が果して絓の愚行を「讚えるべき愚行」と正しく認識してたかどうかだが、
この点につき、私は疑っている。
渡部は絓の愚行を正しく認識していたか。
ひょっとして「絓秀実ともあろう批評家が何バカなことにウツツ抜かしてやがんのか」
という誤った認識を抱いていたのではないか。もしそうだとすると、
渡部は目取真の愚行に接しても辺見同様「ぐうの音もでない」か「そんな事すぐやめて作品をかけ」という筈だ。
『〈電通〉文学にまみれて』は名著だと思う。まだ読了してないが。その中で渡部は、
「バカと思われる事を恐れてはいけない」とか恐れずにかけ、とゆうようなことをいっていた。
いいアドバイスだと思った。しかし渡部本人は、
絓のように「バカ」と思われるような物や事をかいたりやったりはしなかった。
否、やったときには遅かった、というべきか。やってたけど、それはコソコソ人目を忍んでであった。
そんなそんじょそこらの会社員でもやってそうな「バカ」は、「讚えるべきバカ」の内には入らない。
しかし渡部は今回の件で初めて「バカ」にされた。これは文学者にとって、とても貴重なことではないか。
hosh
渡部直己の指導スタイルは「バカと思われることを恐れながら書く」姿勢を生み出す画一的なものだったと思う。
こういうダブルスタンダードも渡部直己の特徴。
2019年1月11日 日本の文学左翼は大変だな
何周も回って異常に細やかな理屈を
嗜む必要があるんだもん
クラクラしてくる 左藤 青(砂糖)
柄谷や絓においては、芸術と政治(批評と運動?)の二分法自体が失効しているはずなのだが、
渡部直己ではそこが分かれてる。
渡部は現在の批評状況を柄谷の「キルケゴール的側面」と「マルクス的側面」を引き継いだ批評家たち
(前者は山城、後者はなんと東!)といっている。むろん、柄谷ではこの二つは切れなくなっているわけだし、
東はそれに関しては理解しているのだが…
しかしまあ、じつはこれは芸術と政治の二分法が復活してしまったという意味にとれば
的確な指摘かもしれないのだが、実際には若手にマルクス的批評家は存在しないので(笑)、
結局批評から政治の問題が滑落したことのみを意味していると捉えるべきだろう。
2019年1月12日 このスレッドは1000を超えました。
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