この路線も、かつては毎朝、寿司詰(すしづ)めの状態だったというのは、沿線の高齢者が口を揃(そろ)えて言うことだった。郷愁にも、瑞々(みずみず)しいものと、どことなく干からびたようなものとがあるが、きっとその記憶が含んでいた汁気
を、寄って集(たか)って吸い尽くしてしまったせいなのだろう。母もよくそう言っていたが、その時代を、一応、知っているはずの僕は、年齢的にそれを経験しなかった。

 当時は、朝からこんなに疲労が我(わ)が物顔で車内を陣取ることはなかったのだろう。それは、満員の車内で、押し潰(つぶ)される人が眉間に寄せた皺(しわ)や、不機嫌に結ばれた口許(くちもと)に、辛うじて居場所を見つけて、しがみついていたに違いない。

 疲労そのものが、どんな姿をしているのかに、本当に気づいたのは、今のように人気(ひとけ)が引いていってからのことだった。

 なるほど、それには色があった。粗野な圧迫感があり、嫌な臭いがある。あとは、何だろう?……車内は閑散としているのに、寛(くつろ)いだ雰囲気とは、ほど遠い。この時間に、この電車に乗る度に感じることだった。