平野啓一郎 part31
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他がダメすぎるんだよ。タナシンとケンタは色物だし、、、結局。 >>412
それで平野かね探せばいるじゃねてんてん・・・光だぞ勘弁してくれ 松浦寿輝というのは結局こういう人なんだな
小説が理解できないのか、
あるいは賞欲しさに何でもするのか。 >>415
論評の後段は、よーく読むと、作品の欠点を承知の上で、開き直っているようにも見える。
行間から漂う気不味い雰囲気が、むしろこの人の読み手としての手堅さというか、誠実さを感じさせるw ノーベル賞とか今ではまともな小説好きならありがたみは感じないものだ
それよりも本物の傑作を残してほしいものだね 松浦寿輝ひとりが選んだわけではない
強く推したのは別の選考委員
おまえらって結局ド素人w >>419
松浦先生、そんな汚い言い方は、お立場をお考えになって、ぜひ自重なさって下さい。なんちて。 それでは、玄人のあなたにご教示願いたいが、誰が強く推したのでしょう? 池澤夏樹、沼野充義でなかっただろうことは、流石に想像つくけど。
つうか、普通、強く推した者が、責任持って論評まで書くのではナイデショウカ。 >>416
1) 小説が理解できないのか
2) あるいは賞欲しさに何でもするのか
つまり、1)ではなくて2)であると。 >>389
>そういや、コイツ、東大総文研の飯田橋文学会で古井由吉とかの茶坊主やってたもんな。評者の松浦寿輝は総文研の教授だった。
松浦寿輝が芥川賞を受賞したときに、
最も強く推したのは古井由吉だった。
古井由吉-松浦寿輝-平野てんてん
の系列ができているのか。 「トム・ソーヤーの冒険」の柴田元幸訳を読んでいたら
「The final feather broke the camel’s back」が「この最後の一枚の羽によって、ラクダの背骨はついにおれてしまった。」と直訳になっている
「 break the camel’s back」って「破局を迎える」という慣用句で有名なのにそれも知らなかったのかな
「この最後の一枚の羽によって破局が訪れた」つまりちょっとしたことが最後のひと押しになって破局を迎えるという文脈なのに この二十年、平野を超える新人が一人も出てない。綿矢りさには期待したが主婦のオバハンになってしまったし。 >>426
吉村萬壱は?
円城塔は?
田中慎弥は? 平野啓一郎
『伯爵夫人』は、第二次大戦を背景に、体質的とも言える文体で、
「魔羅」と「睾丸」と「おまんこ」の逸話を綴ってゆくが、ページを捲る
ほどに、生臭い大きな陰嚢に包まれてゆくような息苦しさがあった。
「活劇」として配置された「金玉潰し」は、ペンチで爪を剥がすといった
類いと同様で、文学とは無関係に強烈な痛みの感覚を引き起こすが、
それに見合う高揚感や象徴性は欠けていた。知的な意味では、読後に
こそ始まる小説なのだろうが、主人公の祖父が射精なしで、「女を狂喜
させる」ことに徹していた理由が、「『近代』への絶望」と仄めかされる点など、
私は、つきあいきれないものを感じた。
本作を推した委員の一人は、自分はこの小説が好きではなく、新しいとも
思わず、内容的にも無意味だが、この趣味の世界の完成度には頭を垂れ
ざるを得ないとの意見だったが、私は全く賛同出来なかった。 >>426
大江健三郎以後、偉大な作家が一人も現れていない、が正しい。
古井由吉も石牟礼道子も、大分上の世代だもんなあ(石牟礼道子は死んじまったし)。 >>427
その三人も頑張ってるんだろうけど軽すぎる。村上龍クラスの新人が出てこないと。 >>430
平野は自分は大江に負けてるって言ってたはずだが。平野以後の新人のことを言ってるのに、あんたの論理はおかしい。 >>431
吉村萬壱のバーストゾーンとかボラード病とかすごいのに
他の二人もすごいけど >>426
>この二十年、平野を超える新人が一人も出てない。
「新人」と見た場合、「日蝕」はそれほど大したことは無いと思う
作家としてのキャリアを考えると「決壊」あたりから順調に軌道に乗り始めた
他にそういう作家は阿部や川上くらいだろうか
新人として話題になった綿矢や朝吹は出世作からの停滞が長く
又吉なども次作までの期間が長かった
平野啓一郎はコンスタントに作品を発表して
そのうえで世間の反応を見て作風にも修正を加えている
そういう実直さと賢さがある >>433
吉村の作品悪くないと思うけどな…
平野はやたらとアゲアゲされるから、作品見る前に嫌悪感抱く人たちいてもしょうがないかな?
Twitter見たらちょっと不自然、、気のせいかもしれないけど 平野はリア充とリア充男にに憧れる女向きの作風だからな。オタクとかノラ博士やってるような奴が読むと違和感が出るのはわかる。 平野はリア充とリア充男にに憧れる女向きの作風だからな。オタクとかノラ博士やってるような奴が読むと違和感が出るのはわかる。 ナルシストの自己保身みたいな内容を無批判に垂れ流してる
汚らしい 社会の問題に対峙する文学をやっている人が平野さん以外にあまりいないってのはある
ただ、考えすぎてエンタメとして弱くなる傾向があるかな
なにも考えないほうがエンタメになるんだが なにも考えていないと
「てんてんてん、ひかりっ!」になって、
そうか確かにエンタメだな。 小説の質は低いままだが、
外面的な成功を追い求めている。 >>439
>社会の問題に対峙する文学をやっている人が
>平野さん以外にあまりいないってのはある
田中慎弥や中村文則でもやっているよ
田中慎弥は自我問題の延長線上に政治や社会を投影している
うまり私小説手に社会問題を接続しただけで
文則の場合はエンタメ的アプローチとして表面的に取り込んでいるだけだから
平野啓一郎がそこそこ批評性を確保している
そのあたりのバランスがいいんだよ >>社会の問題に対峙する
吉村萬壱のボラード病のすごさ この人時折赤旗の記事rtしてるけど、共産党員なの?
だとしたらあんなクッソ寒い美文もどきの作文を
称賛してる人がいるのも納得。 なんだかんだと言って平野には知性を感じるから需要はある。 >>444
>そこそこの批評性ならエンタメでよくね
たとえばブンソクの場合はエンタメ路線で読者を集めているのに
思想書からの引用と変なスローガンだけで終わっているからね
平野啓一郎のように教養小説方式のロールプレイングで
キャラクターを動かしている方が分かりやすいんだよ
「決壊」以降のマス向け小説はだいたいそんなものだよ
エンタメにしてはキレが悪いけどね
そこが文学的重みとしてありがたがられるというところもある 書いてるテーマは嫌いじゃないんだが
文章がプロの書き手じゃない 文章に関しては写実的に流すべき箇所なのに
心理描写にしてくどくなったりするところがある
これが三島だと軽く流すし
大江だと細かいレトリックにも大江ならではの世界観が反映される
平野氏はそういう手練れではないね こんな文章書ける作家は日本で平野さんだけ
あなたと同じ両親、あなたと同じ土地、あなたと同じ容貌、あなたと同じ性格。――知能、体力、
境遇、すべて同じならば、当然にその人間が殺人を犯さなければならない。いや、
違う!と反論する人間がいるね。しかし、その人間の遺伝的特徴と環境とを、あなたが
与えられていたならば、あなたが、違う!と叫び、交換に、あなたとして生まれてきた
その人間は、やはり否応なく殺人を犯すのだよ!――いいかね?人間とは、単なる
データの束だ。そして、その束のあり様が、たまたまあなたの場合、殺人者であるために
最適だった!世界は、直接には感じ取れないような、ありとあらゆる微細な作用を、
多年に亘って、偏執狂的に根気強くあなたに及ぼし続けて――そう、遺伝のための
気の遠くなるような時間と、固体の成育のための、あなたのせいぜい十数年!――、
ようやく植えつけられた一個の殺意を、今、活性化することに成功しつつある。
あなたの固有名詞をラベルとして貼ってね。」
「人間は、それを運命と呼び慣わしている。しかし、それもまた、欺瞞の一形式に過ぎない
がね。」
――ナザレにイエスは、死ぬ直前にそれに気がついて慌てふためいたのだよ。しまった!
とね。あの処刑は、つまり、運命というものの支配の完成だよ。イエスは、両手と両脚とを
三本の釘で打ちつけられた。三本!クロト、ラケシス、アトロポス!モイライは――
運命の三女神は、高が大工の倅が神の子になることを断じて許さなかった!
だからこそ、ナザレのイエスは、釘と、金槌とで、材木に打ちつけられて死んだのだ!
――いいか?どんな人間も、運命に釘打たれている。絶対に、それからは逃れられない。
しかも、その釘を打っているのは、この世界そのものなのだ!」 また自画自賛か。
やっぱりちょっとメンヘルだな。
>三本!クロト、ラケシス、アトロポス!モイライは――
クロト!、ラケシス!、アトロポス!!モイライは!!!
てんてんてんてん、ひかりっ!!
ドピュッ!! >>453
若い人はこんな紛い物じゃなく、カラマーゾフや悪霊をちゃんと読んで欲しい。 >>453
若い人はこんな紛い物じゃなく、カラマーゾフや悪霊をちゃんと読んで欲しい。 平野「ドストエフスキーは「決壊」で乗り越えてみせた」 >>461
「罪と罰」なんて反動だ
「病と治療」というべきだ
というビジョンを反語的に提出している ほう! 素晴らしい! まるで天啓だ!
罪と罰ではなく病と治療!
日本はもとより世界に喧伝すべき、人類の恩恵となる大発見!! 何たる奇跡!!!
皆さん、これからは罪ではなく病、罰ではなく治療ですよ!! 「決壊」もいま読むと重要な部分が「惜しみなく愛は奪う」の丸パクリなんで・・・ 日蝕・決壊(平野啓一郎)
2016/09/01 01:00
http://blog.livedoor.jp/dokusyo_lv99/archives/6054047.html
で、「決壊」なんですけど……。
これはもう全然オススメできません。
読まなくていいです。私が読んどきましたから。ええ、遠慮なく読まないで下さい。(`・ω・´) 思想らしい思想も無いしなあ。
生まれ付きの資質・性向が人の運命を決め、コネ権力で成り上がる如才なさは分人に拠り、ハイソサエティを批判する奴らはルサンチマン。
「リベラルな発言」を一皮剥くと、出て来る本音はこんな感じだもんな。 ミスった。
>>467の批評者は確かにエンタメ的な構成に拘り過ぎているが、相当の読み手で、批判はそれなりに正鵠を射ていると思う。 文体もファッションも髪型も全部田舎者のセンスだと思うわ。 言い方は失礼かも知れないけど、佐村河内守や小保方晴子に近い人だと思う。明確な作品の盗用・データの改竄こそないけど、作品の独自性や完成度(の低さ)に関わらず、コネ権力やマスコミ操作(だけ)で不自然に高い評価が積み上がっていく胡散臭さが。
映画の販促で一枚噛んでいる広告会社も問題だが、NHKにもいい加減にしろと言いたい。公共放送だろ。 >>475
作品の独自性とか完成度の低さって具体的には何(どのような)を念頭に置いてんの?
詳しくどうぞ >>476
何を成し遂げたのか言わなきゃ
具体的に、端的にどうぞ >>477
文句つけた方が相手に要求するものじゃない >>453
>>462
のようなちゃちな擁護じゃなくて >>477
平野が何か成し遂げたと俺が言ったの?
何を成し遂げたか、という論点自体を問題にしていないが
批判するからにはそれなりの理由提示してみろと言っただけ
別に俺は平野を称賛も擁護もしていない 『決壊』までの作品については、Amazonレビュー★1~3の、批判的な見解を読みなさい。
各論としては、それぞれ読むべきものがある。
そもそも平野を擁護する人って、聞く耳を持たず、同じ見解を繰り返すだけだよね。 >>480
君も耳を貸さない信者の一人か。春樹?
なんのことやら。 >>481
群像新人文学賞(1979年)
野間文芸新人賞(1982年)
谷崎潤一郎賞(1985年)
読売文学賞(1996年)
桑原武夫学芸賞(1999年)
フランツ・カフカ賞(2006年)
世界幻想文学大賞(2006年)
朝日賞(2007年)
早稲田大学坪内逍遙大賞(2007年)
バークレー日本賞(2008年)
エルサレム賞(2009年)
毎日出版文化賞(2009年)
スペイン芸術文学勲章(2009年)
小林秀雄賞(2012年)
ヴェルト文学賞(2014年)
アンデルセン文学賞(2016年) >>485
賞を受賞したのが文学的になんの達成なの?
笑っちゃうんだけど
村上春樹を一切認めていない人には届かないぞ 俺は春樹について何も言ってないし、批判するからにはそれなりに理由を述べる必要があると言ったまで
人として当然のことを指摘しているのに
なぜそれで擁護になるのか
アンチにはアンチするのに理由が必要ないのだね
因みに俺は平野の作風は好きじゃない。ペダンティックな所がね 最近の作品はそれほど「ペダンティック」ともいえないような気がするけど 初期作品に顕著な過剰なペダンティズムやレトリシズムを抑制した大衆化路線が
最近の傾向で、それゆえに多くの読者を獲得したのだと思う
そういうことは「空白を満たしなさ」連載前くらいから意識していた
対談とかでもとにかく多くの読者に受け入れられないといけないと言っていたしね
まあ、それでも無駄に冗長な記述とかが見られるわけだけど 「空白を満たしなさい」って、どう考えても無関係のキモメンに自分が自殺したことの責任押し付ける話やん
ようは卑怯者なんだよ
ネオリベ支持者にああいうのがウケるのはわかる気がするけどねえ 自信満々に見えるけど、妥協したり限界を感じながら、惰性ぽく続けているのかなと思う。 >>493
>ネオリベ支持者にああいうのがウケるのはわかる気がするけどねえ
平野はネオリベ批判派だよ
さいきんはこの傾向がますます強く
急進的ともいえるほどの激しさが見られる
だからといって排外主義という訳でもない
このあたりの立ち位置は大江に近い
だから論壇や文壇で一定の地位を確保できるんだろうけど
そういう政治性はともかく
最近の作風や文章が議論の対象になっているわけであってね 分人主義者だから大衆向けには優しそうなこと言うだろ
しかし小説の内容は、社会格差を容認するものとしか思えない 分人主義wって
格差ok
不倫とか二股三股ok
ってことでしかないからなあ それから過去は変えられる
ってのも、歴史修正主義okってことを言っちゃってるので
この人ちゃんと哲学の基礎からやり直したほうがいいと思う。 >>499
新たな史料が出てくれば歴史は修正されるものですよ >>500
史料が出てきたら修正とかの話じゃなくて
単なる感情論での修正もOKと言いそうってことでしょ >>502
それも分人なんだよ平野的に思考しないと >>496
「形骸化したリベラル」を振りかざす、実質排外主義だと思う。 攻撃の対象は反知性主義勢力全体で、これを叩くと欧米リベラルにウケが良く、ノーベル文学賞に近くなると算盤を弾いてるんだろう。
>>496も>> 497も>> 498も矛盾しないと思う。 >>499
>この人ちゃんと哲学の基礎からやり直したほうがいいと思う。
前世紀後半の主に言語哲学界隈あたりでは
歴史とは歴史観でありそれ故に常に改変されると指摘されている
20世紀に入ってからは哲学の世界でも心理主義が台頭しているので
「事実」というのは集団真理が根底にある共同主観的なものになる
だから歴史なんてその程度のものと考えた方が良い
歴史主義なんてロクなものじゃないからね >>504
>「形骸化したリベラル」を振りかざす、実質排外主義だと思う。
どうなんだろうね
日本ではリベラルの定義があいまいなんだよね
米国のように個人の自立と契約の自由を前提とする開かれた社会なら
保護主義的施策や政府の介入を出来るだけ軽減して
民間部門の自立性を公正なルールの下で確率しなければならない
簡単に言うと個人主義だよね
ただ日本の場合は政府の介入を批判しつつ
保護主義や平等主義に基づく弱者救済を目指す
そうすると富者や優生者は貧者や劣生者のために忍従を強いられる
大江健三郎の作品だとこの両者間に深刻な緊張関係が生じる
とうぜん在日のようなマイノリティーへの差別や抗争にも目が向けられる
大江健三郎の優れたところはこういった緊張関係に目を背けないことだね
平野啓一郎のばあいはいわゆるグローバリストの一部分だけを取り上げて
批判的に描写するだけで終わる
きわめて情緒的なんだよね
そういう意味では戦後的左派リベラルなんだけどさ >>505
歴史学的には史料批判された一次史料に基づいて「歴史的事実」は決められるそうですよ >>506
格差を全肯定して、経済原理のみがルールとして採用され、家畜のような生活を強いられるのなら、弱者には国家を認めるメリット、意味がない
法律などのルールを押し付けられるだけだから
無論それは不自由だ
富者が富の再分配に協力するのは自分のためだよ
国家がなければ、消費者がいなければ、手広く商売できないのだから すぐれた思想って解決不能なアポリアを突きつけるじゃん?
隣人愛とか。
で、アポリアそのものを構造からみて、さらにひっくり返して
それが倫理なんだってのが通説的二〇世紀後半。
アポリア解決できないから対処療法的にケアで行きましょうというのが
これも通説的二一世紀初頭。
分人主義で二股OKとか、過去は変えられるとか、思想的な深みはなにもないし
自己啓発的だし都合よくみんな多かれ少なかれやってることだからねえ。 で、それで?という。
マチネとかもハイスペ同士の恋愛をつまらん女のスマホ小細工で邪魔が入って、
そのつまらん女と一発やってめでたし、結婚しちゃいました。
でもハイスペ女が忘れられません、って話だと思うけど、まず小細工が下らないすぎる。
せいぜいハイスペ女が実はネトウヨだった、とかであればもうちょっと普遍性のある
ストーリーになっただろう。 >>510
マチネのヒロインは確かハーフじゃなかった?
ハーフのネトウヨってあんまり想像できないな
しかも彼女は確かジャーナリストで国際的に活躍してる設定じゃなかったっけ?
それがネトウヨ?
ネトウヨって自尊心をナショナリズムで満たしてるっていう特徴があると思うけど
マチネのヒロインはそんなイメージ全然ないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています