平野啓一郎 part31
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>>691 現状、区別があるから芥川&直木という 同時発表の並びがある。 だが、そんなことより遥かに大事なのは 「平野の「日蝕」がマラルメ作品のモチフから〇〇分捕ってることは丸わかりだね。 」の部分だ。 君は自分の知能を心配した方が良い。 まあとにかく文学板のレベル低いわな。 新潮社が文学板をコントロールしてるん だろうが。 実際に文学板に、矢野・馬鹿編集長が来てるからな。 >>693 文藝春秋社の私的な賞でしょ? そんなもの後生大事に信じているおめでたい人だ 馬鹿すぎてワロタ >692 平野啓一郎が所属するコルクの手法はポスト・トゥルース、すべてが嘘の時代を象徴するやり方として後世批判されるだろうな。阿部和重は敏感に察知してコルクを袂をわかったんだろうか。 >>690 >「逆差別」って何か説明してみ。 たとえばアファーマティブアクションとしての是正措置や支援があるわけだな これは平等原則から言えば依怙贔屓に見える そこで依怙贔屓は平等原則に反するので そういう人種は蔑視しても良いんだ、という反動的動きがある これは5chでよく見られる被差別部落民や在日韓国人に対する動きだね たしかに行政支援は利権や癒着が生じやすいんだけど しかしそれは手法的な問題に由来することが多いし この種の癒着はそこら辺の地域公民館の人事や農業委員会による 農地改良事業などでもあるわけです それをことさら取り上げるのは「平等」という理想と現実 とのギャップもあるわけですが やはり差別意識もあるんですね 「××のくせに生意気だ!」というのが本音でしょうね アファーマティブアクションは支援ではあるが正義とは言い難い結果を生み この部分は問題である、ただそれだけの話です また、政治とは差別やそこから派生する対立や暴力を和らげることが目的なので 生意気だから差別してやれ!と開き直った時点でオシマイです ただこの種の政治的言説を芸術や文化の場で「商品」として売り込むのは あまり上品な行為とは思いませんね 少なくとも私は興味が無い >>692 の言う通りだと思うな。 出版社は、商売としてはこれで利益が出るからいいのだろうけれど、 作品は後に残って、誰もが読むことができるので、 こいつら何やってたんだと、後世において笑われることになる。 >>697 長々と書いてるけど「アファーマティブアクション=逆差別」とか書いてる時点で終わってるんだよ。 >>693 レベル低いよね ぼこぼことか言っちゃうくらいだしwww 身体は大人で、頭は小学生www >>701 新潮と平野をぼこぼこ(失笑)にできちゃう俺くん リアルライブ 2019年6月21日 23時0分 https://news.livedoor.com/lite/article_detail/16658028/ 福山といえば、主演映画「マチネの終わりに」(西谷弘監督、11月1日公開)が公開を控えるが、一部スポーツ紙によると、同作でクラシックギターに初挑戦し、同映画のメインテーマ「幸福の硬貨」を演奏していることが、すでに報じられている。 同映画は、天才クラシックギタリスト(福山)と、フランスの通信社に勤務するジャーナリスト(石田ゆり子)が、互いにひかれ合いながらも、思わぬ障害ですれ違う切ない 大人のラブストーリー。練習期間は3か月ほどしかなかったというが、福山は何度も爪を割り、関節を痛めながらも技術を習得。 本番では見事に演奏を披露したというのだ。 「吹石一恵と結婚して子どもが産まれ、以前よりも人気がダウンしていることを実感しているようで、仕事に対する真剣さがどんどんアップしている。とはいえ、既婚者の福山のラブストーリーを見に、劇場に足を運ぶファンがそこまでいるかどうか」(映画業界関係者) 主演ドラマに続いて映画もコケたら、いよいよ崖っぷちのようだ。 天才ギタリスト、 「てんてんてんてん、… … (身が出た)」 「(身が出たのは)誓ってわざとでないいっ!」 さてこのウンコは、どこに流れていくのかな。 パリかな、ニューヨークかな。 コンドームに入ったソーセージが用水路を流れてきて工事現場がざわついた、というエピソードが「岬」にあった気がする。 BS1スペシャル「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」 2019年6月23日(日)午後10時から (再放送予定) 6月24日(月)午後1時から 6月29日(土)午前10時から いずれもBS1 https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2019/06/story/story_190621/ 本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。 そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。 「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、 「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。 誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。 ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。 一体、「カッコいい」とは、何なのか? 私は子供の頃から、いつ誰に教えられたというわけでもなく、「カッコいい」存在に憧れてきたし、その体験は、私の人格形成に多大な影響を及ぼしている。 にも拘らず、このそもそもの問いに真正面から答えてくれる本には、残念ながら、これまで出会ったことがない。 そのことが、「私とは何か?」というアイデンティティを巡る問いに、一つの大きな穴を空けている。 更に、自分の問題として気になるというだけでなく、21世紀を迎えた私たちの社会は、この「カッコいい」という20世紀後半を支配した価値を 明確に言語化できておらず、その可能性と問題が見極められていないが故に、一種の混乱と停滞に陥っているように見えるのである。 そんなわけで、私は、一見単純で、わかりきったことのようでありながら、極めて複雑なこの概念のために、本書を執筆することにした。 これは、現代という時代を生きる人間を考える上でも、不可避の仕事と思われた。 なぜなら、凡そ、「カッコいい」という価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいないからである。 「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。【目次】 第1章 「カッコいい」という日本語 第2章 趣味は人それぞれか? 第3章 「しびれる」という体感 第4章 「カッコ悪い」ことの不安 第5章 表面的か、実質的か? 第6章 アトランティック・クロッシング! 第7章 ダンディズム 第8章 「キリストに倣いて」以降 第9章 それは「男の美学」なのか? 第10章 「カッコいい」のこれから 東京一ぐらいは若いうちはカッコよかったとモデルさんの批評。 脚は快速で東京一国セリつぶし。 モノを書くものも低次元が多いか選ぶのに気を付けて。 大会優勝歴やグラミーピューリッツアーノーベル連勝とか、カバーに爵位とか 、軍の栄達歴、レコード売り上げ、 運動能力証の成績世界順位とか、失点負けさかかしてるとオタクな本が減るでしょう。 公務員の華々しい天国職務経歴とか、格付け上位の職場の成績とか。 >>713 また何か受賞したの(呆)。まだ何もネットに上がってないよ。関係者が書き込んでるのかね。 それはそうと、マチネのステマやってたアメトーーク、打ち切りの危機らしいよ(笑)。 平野の「マチネ」を読んだ。 古本屋で買ったから平野に印税は入らないな。 前書きを読んだら既に日本語がおかしい。 例えば、 「物語があまねく事実でないことが、」 まず「あまねく」という言葉の選択がこの場合は不適切、 面倒臭いから説明しないけど。 それから、 「あまねく・事実でない」のか、 「あまねく事実・でない」のかが区別できない。 作文の苦手な中学生の文章みたいだな。 小説自体はどうかというと、 「天才ギタリスト」の蒔野と、ジャーナリストの洋子の恋愛。 クラシック音楽のあれこれをまぶして高級感をかもしだし、 クリエイティブなしかしスランプに陥る芸術家蒔野と、取材で危険な戦地に赴く洋子の愛。 そしてなんと、洋子には別にフィアンセがいる! 時事問題を入れて、ファッションのあれこれを入れて、パリ、ニューヨーク、 売れそうな要素を、恥も外聞もなくてんこ盛りにしてある 想定している読者はたぶん30-40代の女で、それで洋子を40才に設定してある。 言語芸術としての小説ではなく、 中年女向けのトレンディードラマ。 例えば、 「マドリードでは、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコがセゴビアに献呈した <<ギター協奏曲二長調>>を演奏する契約」だったり、 「リュウ・デュ・バックのアパルトマンからリュクサンブール公園までジョギング」したり、 かっこいいなあ。 「即ち、聖トマス、大アルベルトゥスに依る、アリストテレスの「自然学」、「生成消滅論」、 「分析論後書」の注釈の類、ポエティウスの翻訳なるポルフュリオスの「アリストテレス範疇論入門」、 アヴェロエスに依る… 」(平野啓一郎「日蝕」p.62) を思い出した。カッコよさげな言葉がてんこ盛りにならべてある。 単行本の帯の宣伝文句: 「結婚した相手は、人生最愛の人ですか?」 「恋の仕方を忘れたあなたに贈る 切なすぎる大人の恋愛小説」 「絶賛の嵐、重版出来!」 「明日死ぬなら、少しでもこれを読んで死にたいと思ってしまったのです(紀伊国屋書店員)」 「すごいものを読んでしまった(奥川由紀子さん)」 「人生の終わりに、いい作品に巡り逢えて幸せです(90代女性)」 「あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか?(平野啓一郎)」 すごいなあ、90代女性も感動するんだ。 「恋とは一体、何だろうか?(平野啓一郎)」 いいなあ、新しいギャグも入れてある。 なんと二回目に会った時点で蒔野がプロポーズ。 その111ページからの蒔野のセリフ: 「地球のどこかで、洋子さんが死んだって聞いたら、俺も死ぬよ。」 「死にたいと思いつめた時には、それは俺を殺そうとしているんだって思い出してほしい。」 「洋子さんの存在こそが、俺の人生を貫通してしまったんだよ。」 「洋子さんを愛してしまっているというのも、俺の人生の現実なんだよ。 洋子さんを愛さなかった俺というのは、もうどこにも存在しない、非現実なんだ。」 「人生を貫通」したのか… ケータイを「誓ってわざとでなく」落としたのは、便所ではなくて水たまり。 このケータイでのメール騒ぎが、ありえない。 洋子も、蒔野も、あれで気がつかないなんて、ないない。 しかもまずいことに、このケータイ騒ぎがこの小説のストーリー展開における核心になっていて、 いやあ、ないない、ありえない。 以前この掲示板で、 平野の日本語がおかしいことについてはいくつも具体的に指摘されていた。 平野啓一郎 part 28【マチネの終わりに】 [転載禁止](c)2ch.net 477、580あたりから 平野啓一郎 part 29【マチネの終わりに】 [転載禁止]©2ch.net 32、266あたりから さらに 838 :吾輩は名無しである:2015/09/29(火) 16:23:57.88 .net それはそうと平野、 本にするときには指摘された誤りは直しておけよ。 単行本を読んでみたら、あれこれと直してあるな。 2ちゃんねるで日本語の間違いを添削してもらって、修正して単行本にしたのか。 素直でたいへんよろしい。 22ページで取材の予定は2クールだと洋子に言わせていて、 56ページの取材の場面では予定は3クールを前提に書いていて、 すると67ページで実は予定は変更されていたのです、と言い出して、 ドタバタとミスを誤魔化そうとしてある。 自分が下読みをした新人賞応募作をパクって種本にしたのではないか という疑惑が掲示板で浮上している。 小説の最後は、 「幸福の黄色いハンカチ」と同じ定番。 それなら、倍賞千恵子と高倉健みたいに、もっと盛り上げればいいのに。 平野の「マチネの終わりに」は要するに、 中年女向けのトレンディードラマ、 これに尽きる。 >>719 マチネでこんな感想が出るとは… 読んだ人が悪いわけじゃないけど ついでに 「傷つくよりも、腹を立てたほうがいい」平野啓一郎に聞くネット時代のコミュニケーション https://ten-navi.com/dybe/5885/ すごいパワーだな 新書アマゾンランキングトップ取りそう すごいパワーだ。 ニキビから精液が出そう。 てんてんてんてん、いやこれは冗談、ドピュッ。 平野啓一郎は文壇をディスった方がいいよ。恨みもあるだろうし。特に村上龍 >>727 学術書の文庫版の場合、帯や裏表紙の惹句は著者本人の場合が多い。本人が一番理解してるからね。 それはそうと、前から気になってたんだが、 >ポエティウスの翻訳なるポルフュリオスの 正しくは「ボ」エティウスBoethiusだと思うんだが、コレは単なる写し間違いだよね? >>743 なんだ。誰の写真かと思ったら有名作家のヒモか。 ナチスの制服カッコいい、と思えちゃう人がいるってところこそカッコいいの本質的なところだろ。ほんとセンスねーな 「共感も必要ですが、それだけでは不十分です。小説を例に説明しますが、たとえば僕の『マチネの終わりに』という作品は、 主人公がクラシック・ギタリスト、ヒロインは通信社に勤めるジャーナリストで、2人とも、少々、浮世離れしています。最近の『共感が大事』みたいな文脈に乗っている人たちからすると、『もっと等身大の登場 人物にしたほうがいい』という発想になるでしょう。でも、読者は、『憧れる人の中にも自分と近い感覚がある』ということを発見したときに感動するのであって、等身大のつまらない人には共感しないんです」 >等身大のつまらない人には共感しないんです んん…… 後世でどれだけ笑われるのか、 それとも笑われることすらないのか。 メンヘルであっても作家として実力があればいいのだけどね。 無理か。 >読者は、『憧れる人の中にも自分と近い感覚がある』ということを >見したときに感動するのであって、等身大のつまらない人には共感しないんです」 それはちょっと違うね 自分より優れた人間に対して抱く感情は「尊敬」「憧憬」「嫉妬」であり 自分と同等の人間に対して抱く感情は「共感」「敬意」「軽侮」だろうね 自分より優れていると感じていた人間が自分と同じような人間に過ぎなかった と感じた場合は「共感」や「感動」ではなく 「失望」や「軽蔑」になるんじゃないの? 少なくとも三島由紀夫の「午後の曳行」とかではそうだよ いわゆる権威の失墜なんだよ 谷沢永一の言う「嫉妬の法則」によって権威付けが難しくなっている というのはあるかもしれないけどね しかしそれは平野啓一郎のいう 市民社会の凡庸さの結果だからね こういう同化圧力に阿るのはどうかね 三島は最後まで先鋭的だったんだけどなあ 石原慎太郎なら「嫌悪」は良い しかし「軽蔑」は駄目だ というだろうね 石原慎太郎は人間の心理がよく分かっている というか小説家なんだからさあ… >自分と同等の人間に対して抱く感情は「共感」「敬意」「軽侮」だろうね 「安心」も無いか? 自分さがしをthemeにして、読者がこそっと「そういうのあるある!」みたいなのだけじゃなくて(共感) コンプレックスを抱いてて、自分がおかしいんじゃないか? …な人なら(安心)を見つける、本の中の人の言葉で助けられる事もある 世界的ギターリストやら国際派ジャーナリストやらも、普通の(ちょっとイタい)会話するんだから 監督と脚本と出演者で面白そうな人いないからなぁ 平野さんは限られたコミュニティーにしかいないのか、あまり人付き合いが宜しくないのか… 登場人物が独りよがりな面があると思う 物語に出て来る人たちの感情表現が乏しいかな >>752 huffingtonpostのインタビューでその事に触れてるよ 日本のお金持ちは、なぜ「カッコよく」なれないのか? 平野啓一郎さんが指摘する、いま私たちに足りないモノ http://huffp.st/dfXjUmh NHK FM マイルス・デイヴィス特番『ジャズマイルス』を8月12日深夜から5日間連続放送 2019/08/03 10:25掲載 http://amass.jp/123912/ NHK FMにてマイルス・デイヴィス(Miles Davis)特番『ジャズマイルス』が8月12日(月)深夜から16日(金)深夜まで5日間連続で放送。マイルスの膨大な音源を専門家が選りすぐり、その音楽性と人物像を探求 します。また、彼と関連のあるアーティストのナンバーも紹介。番組DJはマイルスと親交を持ち、その作品を知り尽くす音楽ジャーナリストである小川隆夫。ゲストは日野皓正、片寄明人、平野啓一郎 ■NHK FM『ジャズマイルス』 “モダン・ジャズの帝王”マイルス・デイビス。ジャズシーンはもちろん、ロック、ヒップホップ、エレクトリックミュージックほか、今日のポップミュージックに多大な影響を与えた巨人。マイルスの膨大な音源を専門家が選りすぐり、その音楽性と人物像を探求します。 また、彼と関連のあるアーティストのナンバーもジャンルを超えてお楽しみください。 番組DJはマイルス・デイビスと親交を持ち、その作品を知り尽くす音楽ジャーナリストである小川隆夫。 ●8月13日(火)午前0時00分〜 午前0時50分 【DJ】小川隆夫 ●8月14日(水)午前0時00分〜 午前0時50分 【DJ】小川隆夫,【ゲスト】日野皓正 ●8月15日(木)午前0時00分〜 午前0時50分 【DJ】小川隆夫,【ゲスト】片寄明人 ●8月16日(金)午前0時00分〜 午前0時50分 【DJ】小川隆夫,【ゲスト】平野啓一郎 ●8月17日(土)午前0時00分〜 午前0時50分 【DJ】小川隆夫 平野啓一郎@hiranok 海外でテロがあったり、邦人が誘拐されたりした時には、「テロリストの脅しには屈しない!」と散々言ってるんだから、あいちトリエンナーレの脅迫に対しても、政府は同じ態度を取ったらどうか? あのね、平野くん、 テロを理由に中止にしたのは政府ではなくて、愛知県知事の大村と津田なの。 事実関係を理解してから発言しようね。 大村がなぜテロを持ち出したかというと、 この男はいつもそうだが、周りの流れに乗ろうとする人間で 展示の内容についての自身の判断を示したくなかったから、それでテロを理由にした。 津田がなぜ慰安婦を展示したかというと、 これは明らかに炎上による売名を狙ったもの、それがやりすぎで失敗した。 事実を理解していない上に、きれいに的を外しているので、 平野くんのtweetを読んだ瞬間に吹いてしまいました。 それから、久しぶりに平野のtwitterを見たら、 相変わらず、自分を褒めてるツイートを探し出しては 片っ端からリツイートしてるので、笑った、 というか気持ち悪い。病気か? >>763 少なくとも直接圧力をかけた菅は「展示内容に問題があるとしてもテロ予告は許されない」と表明するべきだろうな。 既に言ってた。偉いじゃん菅。だから安倍晋三なんかよりこいつの方が怖いよな。 菅長官「脅迫あってはならない」慰安婦像展示中止で https://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye3743751.html ; >>759 >平野さんは限られたコミュニティーにしかいないのか、 >あまり人付き合いが宜しくないのか… >登場人物が独りよがりな面があると思う >物語に出て来る人たちの感情表現が乏しいかな 基本的に自意識の人だからそれでいいんだよ (自分とは何か…) というデビュー以来のモチーフをひたすら掘り下げれば良いんです 下手に社会性や時代性を持たそうとするからおかしくなる いちばん政治から遠い人なのに無理してコミットしようとするからおかしくなる 三島はともかくボードレールのように世間とは一線を画して 自己の世界を構築していった方が良いと思うね そういう藝術小説を目指していた筈なんだからさ 戦後文壇の主流が左翼だったせいか 文学者は政治的方向に流れる悪い癖がある たとえば西村賢太や車谷長吉のように 卑小な自己の世界をひたすら掘り下げていく方がまだマシです そちらの方が残る可能性が高い 誰も小説家にオピニオンリーダーの役割を求めてはいません そういうのは社会学者やビジネス書の著者の役割になってるんですよ >>768 アホなところは垣間見えるからいいとして ゲスな部分どうしようも無さとかを描くのは下手だし キレイで高尚なモノにしようとするからか かえってつまらなくなっている気がする 映画マチネの三谷さん役が推しましたの人なんだな >>764 エゴサする奴は大抵そんなもん 評価が気になって仕方ないみたいだな 笑 平野は自分がカッコいいかどうかをまず考えてみるべきだが、 無理か、そうか。 「ゾクッと、しびれる!」アートの新基準『カッコいい』って何? 平野啓一郎さんに聞いてみた https://bunshun.jp/articles/-/13340 「マチネの終わりに」は実在のモデルがいるそうですが、ひょっとしてクリステルと進次郎?ってちょっとおもた。 平野さんが芥川賞を受賞した時には参考文献記載しなくて良かったんですよね 日蝕がパクりとか一部で言われてたけどオマージュでも何でもなかったと BSの三島と川端は何回再放送するんだ 瀬戸内寂聴と平野啓一郎ていう人選も謎 NHK教育の林京子さんの特集出てた NHKは平野さん好きだね 石田衣良は非正規擁護をしていたからNHK的にはおkだったんだけど 原発事故の真っ最中に飛行機事故を引き合いにして原発擁護をしたから あれで駄目になったんだろうね NHKですら頭に血がのぼって「逃げろー」と放送していた時に なんであんなトンチンカンなことを言ったのか謎なんですけどね 村上春樹「日本の抱える問題に、共通して自己責任の回避があると感じる」 村上春樹は「終戦後、悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、 ひどい目にあったという考えがある」とし「結局、誰も悪くないということになってしまった」と述べた。 日本人が自ら犠牲者であり被害者という誤った認識の中にいるという説明だ。 村上春樹は「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者 でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と付け加えた。 村上春樹「日本は相手国が納得するまで謝罪すべき」 −歴史認識の問題についてはどう思いますか? 村上 今、東アジアには大きな地殻変動が起きています。 日本が経済大国で、中国も韓国も途上国という時には、 その関係の中でいろんな問題が抑え込まれていました。 ところが中国、韓国の国力が上がって、その構造が崩れ、 封印されていた問題が噴き出してきている。 相対的に力が低下してきた日本には自信喪失みたいなものがあって、 なかなかそういう展開を率直に受け入れることができない。 >>784 >日本人が自ら犠牲者であり被害者という誤った認識の中にいるという説明だ。 軍閥が主犯なら軍部首脳が加害者であり 天皇も含む日本国民や周辺諸国民が被害者という結論になるし 一部軍人が戦犯として裁かれたのそういうロジックに基づくものであり 村上春樹のいう「誤った認識」は導き出せないんですけどね 被害者たる日本国民は現行憲法下で 加害者たる戦犯の処刑を戦勝国とともに認めたわけであって そういう意味ではきちんと反省をしているわけです 周辺諸国が反発するのは加害者たる戦犯を崇拝して 過去の戦争を賛美するかのような言動が 民主的選良である政府首脳や与党議員から出てきたことに対してであり これによって日本国民に反省が無いのでは?と疑念を抱かせているわけです 別に被害者たる周辺諸国が反発しているのは 日本国民一般の無反省な態度に対してでは無いの その証拠に中国ですら戦犯合祀には批判するけれど 戦没者慰霊には寛容な態度を示している 春樹じいちゃんはそこら辺のロジックがぜんぜん分かってませんね 9月6日から連載始まるね 新聞の連載で読んでる時はそんなにクドくないけど、本になると食傷気味になるのは何故だろう 「――母を作ってほしいんです。」 VF(バーチャル・フィギュア)の製作を通して、 息子は死んだ母の隠された「本心」にたどりつけるのか。 そもそも人間は、「本心」を生きられるのか? ―『マチネの終わりに』『ある男』に続く、平野啓一郎の最新作。 主人公・朔也は「リアル・アバター」を職業にする29歳の青年。特殊な装置を付けて依頼者の「分身」として外出し、疑似体験を引き受けている。 母子家庭で育った朔也は、半年前に事故で最愛の母を亡くした。誰からも仲の良い親子だと見られていたし、母親思いの、心の優しい青年だった。 母が存在しない孤独と不安に打ちひしがれた朔也は、意を決して、母のVF(バーチャル・フィギュア)製作を企業に依頼する。 VFの製作を依頼した翌日、朔也は母のアバターとして河津七滝に出かけた日を思い起こしていた。あのとき、雄大な大滝を味わったあと、 母はこう切り出したのだ。「お母さん、安楽死の手続きをして来たの。」朔也にとって半ば怒りをも感じさせる驚愕の言葉だった。なぜなのか? −−対話を積み重ねても、母の願いは変わらず、朔也は母の安楽死を絶対に認めなかった。そして結局、母は朔也の出張中に、 事故死してしまったのだった……。VFの製作をするための“資料“を探す中で、朔也は母の「本心」にたどりつけるのか。 そもそも、人間は「本心」を生きられるのか? Literaという朝鮮人ライターが書いてると自白してた左翼サイトを引用するんだね 平野さん 危ないねこの人 こもりすぎておかしくなったんか その反応こそキチガイ丸出しでおかしいよな ネトウヨサイトと同じくらい左に振り切れてるのが朝鮮人が運営者に入ってるリテラ 5chでもリテラではスレ立て禁止な煽りサイト なんか現実感覚がない残念なオッサンになってるとしか言いようがない >>790 そこで「朝鮮人ガー」とか言い出しちゃう時点で異常者なんだって。お前の周りには指摘してくれる人はいないんだろうけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる