たったこれだけのやりとりで、僕は疲労を感じた。彼女に好感を抱いたが、向こうはそうではなかっただろう。ピンと張ったピアノ線のような緊張の上で、期待と警戒とがゴムボールのように跳ねて、胸の裡(うち)で、素(す)っ頓狂(とんきょう)な音を立てていた。

 三十三階で、エレヴェーターを降りた時に見た「株式会社 カンランシャ」というカラフルなロゴのステッカーが、デスクの上にも置かれている。

 野心的な、幾らか子供っぽいベンチャー企業の社長がいかにも考えそうな社名。−−その由来を聞かされても、私的な思い入れが強すぎて、ほとんど共感できない類いの。……

 オフィスは広く、背の高い鉢に植えられた観葉植物が、木製の棚と組み合わされて、空間を機能的に仕切っている。ハンモックも見え、職場と言うより、自由なカフェのような雰囲気だった。

 漆喰風(しっくいふう)の壁は白く、足許(あしもと)には、シロナガスクジラが描かれた幻想的な絨毯(じゅうたん)が敷かれている。

「本心」 連載第5回 第一章 再生
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/542303/