初期漢訳経典における「妄想」
佐々木 容道. 京都大学大学院.日本印度学仏教 学会. 1983 年 32 巻 1 号
三国時代に続く西晋時代に翻訳された経典を見ると、竺法護(二三三-三一〇)によって漢訳された諸経典中に、多く「妄想」という語が存在する。
竺法護以前については明確な事が言えないが、「妄想」という訳語は、西晋の竺法護訳の経典にしばしば用いられ、以後、経論に度々使用される重要な用語となった。

仏教では妄想を「もうぞう」と読むことが多い。妄想は心を曇らして煩悩を増幅せしめる最大の原因として厳しく戒められている。精神医学でいわれる病的なものとは異なり、仏教における妄想は範囲が広く、健常者が日常的に行っていることである。
過去を悔やんだり、未来をあれこれ気にしたり、主観的な価値判断や断定をしたり、考えてもわからないことを頭の中であれこれ思考することなど多岐に及ぶ。

元寇の脅威にさらされていた鎌倉時代、大軍勢の外敵とどのように戦えばいいのか苦慮していた執権北条時宗に対し、禅僧無学祖元は「莫妄想」(妄想することなかれ)と諭したといわれる。