新聞掲載日:2019年5月17日(第3289号)
第二回「真の知性とは何か/平成とはいかなる時代だったのか」
與那覇潤×綿野恵太

綿野  最近、北田暁大さんの『責任と正義』(勁草書房)を読み返したんですが、
そこに「責任のインフレ」という言葉が出てきます。
近代的なリベラリズム社会では行為者の意図や予見可能性をもとに、その行為の責任が考えられる。
しかし、公害問題や差別問題においては、行為者の意図と関わりなく、
行為の結果をもとに責任というものが考えられるようになった。
たとえば、行為者にセクハラする意図がなくても、セクハラはセクハラである、とその責任を問えるようになりました。

なかでも興味深いことに北田さんはこのような責任観は反ユダヤ主義にも通じると指摘されているんですね。
結果を受けた側が行為者の責任を判定する際に、フェイクや妄想が入り込む余地がある。
社会が混乱しているのはユダヤ人のせいだ、という言説もこのような責任観をとっている。
いずれ、このような責任観が広まると、互いに互いの責任を追及し合う「責任のインフレ」が起こるだろう。
いまTwitterでネトウヨやポリコレ派が繰り広げている現状を、北田さんは予見していたと思います。
対米従属論も、日本がダメなのはアメリカの責任だ、という責任のインフレのひとつのように思うんです。