新聞掲載日:2019年7月5日(第3295号)
連続トークイベント「今なぜ批評なのか」第3回
昭和・平成・令和――改元直後に、天皇・天皇制・皇室について考える
小谷野敦×綿野恵太

綿野  『とちおとめ』の天皇制批判の論理は、すごくシンプルで理路明快ですよね。
ひと言でいえば、天皇制は人権思想と矛盾する身分制度である、と。

小谷野  でも、左翼の人があまり褒めてくれない。絓秀実には
「私は「あり」だと思いますが、反天皇の人は戸惑っているんじゃないか」と言われました。
「あり」というのは、積極的には推さないということです。大杉重男もブログで書いてましたね。
セックスシーンの描写が手抜きであり、もっと詳細に描くべきである、
どこか天皇制への自主規制が働いているのではないかと。渡部直己の『不敬文学論序説』でも、
近代小説に対して、とにかく天皇・皇室への描写が足りないと批判していた。
どうも、この人たちの物言いを読んでいると、
不敬文学でなければ天皇制批判にならないと思っている向きがあると思いますね。それは違う。
たとえば中野重治の『五勺の酒』みたいなやり方がある。私は、あのラインで書いている。

綿野  『不敬文学論序説』では、天皇はタブーだからこそ「描写しろ」と言われていました。
しかし、ネットや週刊誌などの天皇・皇族をめぐる言説を見ればあきらかなように、
「不敬」は天皇制に国民的な感情や情動をかき立てる装置となっている。
結局のところ、「不敬」とは「おいたわしい」という国民的な哀れみの裏返しにすぎないのではないか。
その意味では、むしろ、石原慎太郎的な無関心のほうが興味深い気がします。
「私は陛下より1つ年上だが、それでも頑張っている。本当に陛下には、もうちょっと頑張っていただきたい」
(「BSフジ「プライムニュース」二〇一六年七月一三日」)という発言とか、天皇にたいしてなんの興味もない。