【北暦】文学板雑談スレ272【南歴】
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>>663
一人の僧が趙州和尚に問う。
「狗子に還って仏性有りや無しや」(大意:犬にも仏性があるでしょうか?)。
趙州和尚は「無」と答えた。
これを巡る公案である。 >>664
禅問答かよ
それを言葉通り受け取って仏教全部に当てはめるとか、記憶喪失バカすぎるわ >>666
一番有名な公案くらい知ってもバチは当たらないと思うが
>>665
そこでは、一生をかけてこの無いという言葉に向き合えと書いてある。
仏性があるとはなんなのか?
一切衆生悉有仏性にして一切衆生悉有無仏性
法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、佛あり、衆生あり。
万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、佛なく衆生なく、生なく滅なし。
迷わざるものに悟りなく、迷うものに法身は得られずんば如何にせん
仏にあっては仏を切り殺せというのが出てくるのはこの後だね >>668
知ること自体に何も言ってないが
ひとつの問答を仏教全体に当てはめる行為が愚かだと言ってるだけだ 吉本隆明の「柳田国男論集成」を読んでいる。と言うか、眺めているが、目次がとてもかっこいいね。彼のセンスの良さはあきらかだ。 功徳というのは、仏教用語のようだ。
神仏から良い報いを受ける行為を功徳というらしい。 >>672
なんで仏教の功徳に神が関係してくんの? >>674
時代を経て、そういう使われ方もしたようだ。 >>675
なんで神が入ってるとか考えもしないの? あ〜、日本ではかなり早い時期から「神仏習合」という事があったからね。神は仮の姿でまことの本体は仏である、という考え方がありますね。
ただし、道元はそういう考えの持ち主ではないと思いますけどね。 ウィキではちゃんと「神社仏閣においては」神仏だって書いてある
それをただ仏教ってひとくくりにするのはどうよ
とにかく記憶は雑すぎいい加減すぎ 仏教では、視覚の感覚器が眼であるように、
意識の感覚器は法である。なぜ、意識の感覚器が脳ではないのかは、
おそらく、諸法無我の仏教では、意識は脳によって発現するのではなく、
人体の外の世界の運行法則が意識の感覚器となるからである。 またテキトー言い始めた
こんなデタラメな読み取り方しか出来ないのなら2000冊まったくの無駄だったな その通り、仏法においては法は受容器である。
法には衆生法、世間法、自然法、妙法があり、仏法とは妙法である。
妙法の本体は一心であり、衆生の一心とはすなわち大霊の分子である。
衆生は霊性具してあれどその霊性の光が現れるわれことなく無明の闇に迷ってあるを衆生法と呼ぶ。
仏法とは人の精神が大霊を合一する、受け入れを可能にするものである。
衆生法は霊性を受け入れるに連れて衆生の心が発達し、霊性顕現するにいたって大霊と合一せしめる理法を最高の受容、妙法あるいは仏法と呼ぶ。
ゆえにことごとく大霊の理法が一切悉有をして統摂する。
この一切統摂(とうしゅう)を受け入れ、衆生が親(大霊)の目的を実行するものとなるのが帰趣である。
言い換えれば、一切知は一切能足らねばならぬ。
大霊と合一することが目的ではない、行動する義務までもが妙法に含まれる。
衆生は統摂さるるが、自ら法を磨き、理法を妙法たらしめねば帰趣には至らぬ。
ゆえに、一切悉有は仏性を持ちうるが、一切悉有は仏性を持ってはいない。
犬は統摂されている為に仏性、霊性を有するが、帰趣に至らぬがゆえ、仏性を体現できぬ。 >>682
おお。
衆生法:近所の人たちの慣習。
世間法:政府による法律。
自然法:政府が明文化できていない法律概念。
妙法:法学ではなく、仏教徒が非公式に主張する仏僧の日常原理。
という認識で合ってますか? ↑は弁栄の意見であって、ベルクソンと同年生まれの弁栄は井筒俊彦や大拙と共通するエキュメニズム的観点を有する。
浄土宗と禅だけでなくキリスト教をも取り込み、ベルクソンやデュルケムの宗教観の影響も非常に濃い。
それは19世紀の延長でもあるし、進歩主義の残滓をかぎつけることもあるだろう。
明確な敵はニーチェであり、もう一人はカール・バルト。
苛烈なる危機の神学の批判に晒される20世紀前半の「宗教哲学」はありうるか?という論争を背景とした議論であり、「信仰」の次元は統一できないが「霊性」の次元は統一できるのではないか?という背景を持つ。弁証法神学はこの延長にはない。
しかし、道元にある不立文字に文字によって近づこうという「健全なる理性」への信頼は弁栄、井筒、大拙、そして当時の新トミズムに共通する。
妙法は仏になるための大宇宙と繋がるための手段なので日常ではないですね。
キリスト教で言うなら聖霊に満たされた状態が妙法を発現させた状態で、そのような状態を準備する人間側の準備。 >>684
弁栄ですか。
ちょうど、買ってあるので、後で読みます。
とても助かります。 道元の「正法眼蔵」、一巻はあと40ページで読み終わるんだけど、
これ、二巻や三巻も読まないとダメかな? 岡潔やシモーヌ・ヴエィユまで出て来るところは面白いな。 道元「正法眼蔵」一巻、読み終わった。
感想は、読書メーターでどうぞ。
「記憶喪失した男」アカウントです。 道元「正法眼蔵」一巻。
自分を認識して、万物を認識するのは悟りではない。
万物を認識して我が消えるのが悟りである。
一切衆生ことごとく仏性あり。一切衆生ことごとく解脱する。
海徳(海の功徳)がある。世界起の功徳もある。
功徳とは、神仏が報いてくれる行為のことで、仏教用語である。
道元は、死んで仏になることを「仏転」という。
道元は、仏性が人の形をとって現れるのを「身現」という。
「空裏」はぼくには意味がわからない。
月の絵を描くには月相がなければ形が定まらない。
仏僧を具現したければ、月の絵を描くといい。 あ、弁栄まだ読んでなかったのか
読んだと勘違いしてた
山徳もあるな
人が悟るのは水の中の月のようなもの
月は濡れないし、水は破れない
大海にも宿れば一滴の露にも宿る
弁栄も道元も読む価値のある本だ >>仏僧を具現したければ、月の絵を描くといい。
あのなーw 岡潔の名前は昔から知っていたけど、あまり関心を持たなかったな。有名な小林秀雄との対談本すら読んでいない。
だが、ウィキペディアを読んで現代数学でさかんに出て来る「層」という概念が、その発想のルーツを岡潔に求められるという話にはびっくりしたな。ちょっと岡潔を甘くみてた。 「層」のウィキペディアをみても岡潔の名前が出て来るから、確かな話だな。 月の絵を描くのはすごく大事なこと
不立文字を前提とする仏教では必ず師と弟子がいる。
(いないときにどうなるか?それは道元がエキュメニズムから離れる重要なところだ)
言葉で伝えられない師の法身をさして、見よあの欠ける事なき座禅を組む姿が法身だと叫ぶ。可なり。
しかし、その姿を描きとめようと座禅の絵を描きはじめる。
身現とはその絵を描くことではない。
法身が達成された姿を描きなさい。座禅の姿は欠ける事なき真円を描いた。
ところが今度は誰もが丸を描くようになった。
これが絵に描いた餅(望月)である。
描くべきは概念を汲み取ること。
伸ばされた指先を眺めてはならない。その先の月を見なさい。 むしろ、満月のときは数日しかなく、三日月とか新月とかいろいろある。
月の絵を書くとき満月だけを意識するのはおかしいよな。満月を特権視していいのはお月見のときだけだ。 月の姿は刻々と変わって行くので、真の月の姿などはない。 そう言えば、アーサー・C・クラークはわれわれの祖先の事を「月をみる者」とか、まあそれに近い呼び方で呼んだが、さすがにクラークだけの事はある。
月こそは、真のモノリスであっただろう。 「2001年宇宙の旅」という作品のなかでね。これは映画の原作というよりは、映画と平行してクラークが書いたもののようだ。 クラーク、ハインライン、マシスンあたりをリスペクトしたいな。 記憶は釣り師としては、まあまあだな。数学なんかもネット動画を利用してこつこつやんなさいよ。結構、使えるのあるよ。 うんと初等的な言い方で言うと、微分は接線の傾きの極限値として定義できるけど、積分は微分の逆演算としてしか定義できない。
ルベーグ積分というのはまた別の考え方らしいがよくわからないな。 一方、線形代数というのは、連立方程式の解法の延長線上に発展したもの。これが結構、現代数学の基礎のひとつになっているんだな。
二次方程式の解法の延長線上からは群論が誕生し、これもまた現代数学の基礎となった。まったく新しい方向からは、カントールの集合論から始まった。 複素関数論は、ガウス、リーマンから。この延長線上に岡潔が来る。 カントールは、集合論のみならず位相空間論の祖だった。現代数学の父だな。位相空間論はフレシェ、ハウスドルフなどが受け継ぐ。 リーマン面の定義なんかには位相空間論が必須らしい。あらゆるファクターが連結し、抽象化され、また連絡して行く。現代数学という大河の流れ。 プロレス観戦の影響でもう通信速度が落ちて来た。5月の残りは、ネットおあずけだな。本でも読んでるよ。 ・・テレノイドか。なるほど、日本がロボット研究の最先端にいるらしいな。素晴らしい。 道元「正法眼蔵」二巻、「古鏡」の章は、ちょっと慎重になるべきことが書いてある。
暗号が使われている気がする。 道元「正法眼蔵」二巻、45ページ
二巻の最初「古鏡」の章だ。
慎重な解釈が必要な章だ。
道元が三種の神器について語っている。
道元は、三種の神器がどんなものか知らず、三つとも鏡だと思っていたようだ。 道元「正法眼蔵」二巻、58ページ
意は句ではなく、句は意ではない。ということを道元は指摘している。
人が考えたこと(意)がそのまま話すこと(句)ではないし、話したことば(句)がそのまま考えたこと(意)ではない。 全機。機とは、ものの働きの機能のこと。
全機の生、すべての働きが機能している生。
全機の死、すべての働きが機能している死。 道元の「正法眼蔵」を読みながら、鎌倉時代の人たちを想像できて楽しい。 日本の仏僧の書いた本をいくつか読んだけれど、
好きなのは、空海、道元、一遍上人、鈴木大拙、だなあ。
念仏は、空也上人が始めたと聞くので、空也上人も知りたい。 「正法眼蔵」は、「仏向上事」をあなたたちはどう読んだ?
非仏について、思うところあるが、書いてしまっていいのか。 仏教書読んだ感想が好きとか嫌いとか
小学生の感想文じゃあるまいし 道元「正法眼蔵」は、まだ読んでる途中だけど、
鎌倉武士についての極めて面白い名作である。 道元の「正法眼蔵」、まだ二巻の168ページだけど、すごい難解で、
今、ありえない深読みをしているところだけど、
こんな本が読みたかったというまさにそんな本だ。
日本古典の名作。 「正法眼蔵」は、賢ければ読めるというものではない。
説明はできない。 しかし、僕は位相空間論の所で躓いたな。抽象的でどうにも理解出来なかった。本当に抽象的だ。いや、線形代数だって抽象的だった。数学向きの頭じゃなかったんだな。まあ、記憶と五十歩百歩というところだな。 道元「正法眼蔵」二巻、200ページまで来た。
感想が難しいなあ。 ほんとに知能の差というものはあるよ。頭の回転が凄く速いやつと遅いやつの差は明瞭にあるね。数学は頭の回転が凄く速いやつ向けの学問さ。それは嫌と言うほどわかったね。 まあ、自分としては吉本隆明に少し付き合ってみる積もりだ。あれほどの尊敬を集めた思想家だもんな。なにかあるに違いないのさ。 「あれほどの尊敬」をご存知ない記憶くんには無縁の話だね。やれやれ。 犬神 猫悪魔。に尽きるよ。猫のブレーンは暗唱安産型、犬は搔きもの。
大神。の大は大悪か。 華厳経、文庫化してくれないかなあ。
子供の頃から、金剛界曼荼羅とか、胎蔵曼荼羅とか、格好いいと思ってて、
それが華厳経に書いてあるらしいから、読んでみたいんだよなあ。 >>732
訂正、訂正。
今、見たら、曼荼羅が書いてあるのは、大日経らしくって、
華厳経関係ないから、文庫化はそんなに急がない。 記憶の原点主義はただ単に箔をつけたいだけだからな。僕なら自分に合った入門書を探して読むさ。
記憶が入門書なんか読まない理由は、入門書なんかじゃ箔がつかないという不純な動機に過ぎないのさ。
自分に箔をつけるだけの読書なんて虚しいだけ、という事に気づかないんだよね。悲しい話だよ。 原典主義、だった。マルクスについてだって入門書を読もうともせず、資本論は凄い量だから読めないなんて言うしな。 曼荼羅とかだと 殺陣 ペルソナゲーの陣形 が 法師を立てるよ。 ちょっと文章がおかしいので訂正する。
自分に箔をつけるためだけの読書なんて、のほうが正確だったな。理解するため、ではなくて有名な××を読んだという箔を自分につけたいだけだよな?理解もしてないままに読了とか言うんだからな。 まあ、単なる釣り師としてはそれでいいかも知れないけどな。 僕だっていろいろな本を読んでいるけど、いちいちそれをここで公開なんかしないぜ。損だからな。吉本隆明はここで話が出たから例外さ。 君みたいに箔をつけるために読んでるわけじゃないからな。 >>743
やっと見つけた?
普通に書店に売ってるものが?
それとも絶版本ばかり読んでるのかい? 自分が面白いと感じる本は、そう簡単に見つかるものか? やっと、見つけた、だろ? それとも君は読む本読む本、みんな面白いのか? 違うだろう。やっと見つけた面白い本の事を5chあたりでぺらぺら宣伝したりはしないのさ。当たり前だろ。 >>745
そうか?
ある程度本読んでりゃ自分の嗜好くらいわかってそうなもんだが?
記憶は面白い本は3割って言ってたが君はそれ以下なのかい?
>>746
面白い本見つけたらむしろみんなに教えたいと思うけど、それを損だと思うとはちょっと了見がせまいんじゃないかねえ >>746
じゃあ君はわざわざ自分から5ちゃんの文学板すに来ているのにもかかわらず、面白い本の話をする気は無い、ということなのかい?
ずいぶん矛盾した行動だ つまりね、見つけてから2、3年たてばもう平気で話すんだけどね、見つけたばかりの本については話さないね。僕の趣味の大半は記憶をからかう事さ。君らだって同じじゃないの。
君はこのスレで自分の読んだばかりの本について、積極的に話したかな?どうも、観察ばかりしていて時々、口をだすだけじゃないのか。 自分は観察ばかりしていて、いざとなるとそういう事を言う。よく言うよ。 やっと見つけた本を公開すると損するって話どこいったん?
話がブレブレだなあ お前の知能が足りないので、理解出来なかったんだろうな。 道元「正法眼蔵」二巻、読了。
「機」とは、ものの働きのこと。
「全機の生」とは、すべてが機能して生きること。
「全機の死」とは、すべてが機能して死ぬこと。
この本は仏教書であるが、途中から鎌倉武士団の記述が挿話されてる気がする。
この本は難解である。
賢ければわかるというものではなく、知らないとわからないことだからだ。
曹洞宗は武士に人気のあった宗派だという。
あることに興味がある。それについて語りたいが、ぼくの力不足で書けない。
武士道を目指すという人は読んでみるといい。
鎌倉時代の古典の名著である。 一ページだけ読んでみた山崎弁栄だけど、
やっぱり、明治の仏僧も、宇宙の法則とか考えていたんだな。 >>753
それだとあなたは小学生に言い負かされたってことになりますが?w 433 ハナービい保守派主婦[sage] 2019/05/24(金) 18:14:20.59 ID:dQPNcg6F
かぼちゃ
5/23のホメ
衣替えできた
洗濯できた
食器を片付けた
ゆっくり過ごすことができた
#ホメ療法
#統合失調症
>統合失調症の人のツイッターを見てみた
この人統合失調症歴15年の40歳無職童貞の子供部屋おじさんなんだけど
統合失調症界隈でホメ療法てのが流行ってんだって
ただ洗濯して洗い物しただけじゃね?
最後のゆっくり過ごすことができたに至っては
なんじゃそりゃwって感じなんだけど
こんなんでいいの?こんなんですごいすごい偉いでちゅねって褒めあって治療になるのか?
バカにされてる気がするぞw
15年かけて洗濯して洗い物してゆっくり過ごしてれば
働きもしないで子供部屋おじさんでも偉いんか?
40歳が呆れるな 499 ハナービい保守派主婦[] 2019/05/24(金) 18:38:29.77 ID:dQPNcg6F
nsk@統失男
散歩へ行けた。
調子を崩したけれど持ち直した。
今日も生きた
ゆっくり過ごすことができた
#ホメ療法
#統合失調症
今日もお疲れさまでした。。
>こいつもひどいなあ。なかなか
45歳で親が病気で倒れてる子供部屋おじさん無職童貞
そいつが頑張ったことが散歩に行って
調子崩したけど持ち直してゆっくり過ごしたw
どーすんだこいつ将来w
統失の中だとゆっくり過ごすって偉いことなんか?
1日ゆっくり過ごしたって裏返せば特に何もしてないってことやん
そんなんで偉い偉い偉い偉いよしよしよしってw
統合失調症って低レベルすぎるな
なんだ褒め治療ってwそんな無理やりの生ぬるい傷の舐めあいの何が治療なんだよ
ゆっくり過ごせた、よちよちってネットのよ顔もわからん
誰だかわからないネットの繋がりに言われて嬉しいか?w
くっだらねー
こいつ現に20年こんな感じなんだとよ
ばっかじゃね >>755
百姓の子孫だから一揆で年金事務所を打ち壊したい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています