なんで
漱石の小説って
教養小説(成長小説)として読まれないの
しかも、大卒上京就職の戸惑い違和感家族親戚の関係の話ばっかりじゃん
知識人が難しくいう小説じゃないぴったんこ
普通に自己に投影して読めば
普通に共感できるけど逆に老若男女が共感できる抽象普遍性はない
そういう誰にでも投影できる抽象的な昇華のさせ方をさせてないから
境遇ぴたんこじゃないとなかなか。
女性やサラリーマン自営業にはなかなか入り込めない
普遍的ではない
大学生就職問題両親の問題上京の問題を経てる
層にはぴったりはまるリアリティなる小説なんで
はまる人は、教養とか文芸の理解とはあんま関係ないね
そういう先入観とは全く反対で
主人公と周辺人物のパターンが毎回同じなので
いかに自己投影できるかで、主人公の造形と自分が被る確率が高ければ
中毒性も高まるが、毎回同じだから入れない人は全く入れないでしょ
国民的な作家ってイメージでもない
女性は移入できない国民的作家
世代はまたぐけど、ある一定の男性層だよ。インテリじゃなくて
ごく普通の大卒モラトリアム父親(親族)との葛藤経験があるかなしやで
ほとんど漱石の人生から大きく飛翔してないので
追体験的な私小説コースなんで
太宰治の一般的な(良くも悪くも)先入観に近いかな実際は
太宰は芥川の影響で物語を寓話化してるものも多いから抽象の幅もある
夏目はそれすらもない。夏目の追体験を読者がたどるので
読める人にはすらすら移入できちゃうし
そうでない人は、入り込めないでしょ。難しいとかいう話でなくて