夏目漱石 八十一夜
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十二夜
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1536628344/ >>973
改正にも一部改正と全部改正がある。
日本国憲法は大日本帝国憲法の全部改正。
個別の法律は、国体wに関係がない。
なにより、君の考えでは明治になった時に、日本は滅びた、ということになるんだよw >>979
赤チャン(お前さんのことをこう呼ぶ事にする)がそう主張したいなら、>>971で「法」ではなく「憲法」と書くべきでしたね。
私の主張は、赤チャンは日本史と世界史と法を学びなさいよ、って事ね。
国体を明文化した最高法規としての憲法なんてのは近代国家にしか存在しないので、国家が近代にしかない事になりますね。
それが赤チャンの主張ですかね。
赤チャンは教養が無さすぎて議論しても詰まらない。
一方、>>976さんは短い文章ながら非常に教養をお持ちである事が分かる。
これを勉強のきっかけにする事を希望します。
赤チャンに付き合うとスレチが続くので私にも周りにも迷惑だし、この辺で。 >>980
ほんとに教養がないんだな。
バカ右翼に教養なんか求めてないけど。
君は、漱石も読まず、国家も法も市民社会も家族もわからない。
せめて、漱石を読んでからまたおいでw 漱石を読めば人生が総て解ると考えている信者がいる
そうせきは 四十九歳 で死んだんだよw ↑
「「わりかしいい出来だ」。「わりかし」は、自らの基準と比べる言い方で、「比較的」「案外」に近い言葉です。
関東地方でよく使われますが、近年は「わりと」が多いようです。
1980年代の調査では、明治末期・大正生まれの都内の人は「わりかた」と言っていました。
一方で昭和40年代生まれは「わりかた」は衰退し、「わりかし」だけになっていました。
「わりかし」は1960年代の映画で流行したといわれますが、当時すでに東京で普及しており、
俗語的に使われたのでしょう。」
・・・朝日新聞 より >>979
>日本国憲法は大日本帝国憲法の全部改正。
>個別の法律は、国体wに関係がない。
憲法学では宮澤俊義の八月革命説と
その補足版ともいうべき尾高朝雄のノモス主権論があるが
主権の移行が天皇から国民に移ったという意味では両者とも変わらない
しかし国としては連続的であるという見解だ
つまり日本国内での権限の委譲が行われたが
国家としての枠組の変化は起きてないという考え方だ
ポツダム宣言を受諾したのは大日本帝国なんだから
その効力のもとでGHQ主導の新憲法制定と諸改革がなされた
ということは法律上の連続性が担保されないといけない
天皇が国民統合の象徴として形式的主権者として残されたのもその為であり
であるのなら権限の委譲と捉えた方が妥当
もっともこれはあくまで法的な捉え方に過ぎないけどね まあ「国体」とはよく分からないんですよね
大戦期も「国体とは何だろうか?」と首脳間で議論になって
何日も議論が費やされ、内藤湖南のような碩学にも訊ねてみたが
結局はよく分からない、ということで終わった
ただ枠組みとしての日本国がある、ということで
これは戦後も変わらんよ
三島のように文化的「型」の集積規範としての天皇を提示した人もいるけどね >>988
ひとつだけ教えてあげる。
日本国憲法での天皇は、一切の権力を持ってないんだよ。
つまり、国体wが変わってる。 コーヒー飲みながら、日曜の午後はギターリフ
https://www.youtube.com/watch?v=qsICcKbpLA4
主様
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