>>958
リンク見て「思った」んだけどさw
これ裁判の自由心証主義にも通じてると思うんだよな
理性的な選択が審判という魂の選別に繋がっている西洋人が東洋哲学に救われるように
西洋哲学で救われたがる日本人のなんと情緒的なことかw

日本語って伝来のぶつかり合いによる混成言語でしょう?
縄文になぞらえるならば、文明を発達させる必要がないくらい食うに困らなかったわけだし
単語の場所が助詞になる英語や中国語なんかと違って
意味から自由であるがゆえになんでも意味になってしまうことと
のん気なのに神経質な気性が互いに影響しあってる状態なんだよな

現代思想につなげると、日本は革命と名のつくものは全て漂流物なんだよ
産業革命や民主主義革命どころか農業革命の時点で稲作「伝来」なんだからw
テーマといえば自然災害が勝手に与えてくれるものでしかないんだろう

そういったものの積み重ねが
日本の西洋哲学が日本のクラシック教育と同じ、プレイヤー養成所たる所以で
アカデミックな日本人が和音の定義ひとつ変更できず
普遍主義の範囲が受験生的な丸暗記の範疇にしかない
文献理解度のおさらいで揉めるのが精一杯で前に転がらない

本来耕す必要がなかった受け身ののん気さと
稲作で自然が田畑の管理の敵になった受け身の神経質さによる
どっちつかずで、いつでも捨てられて大事な貯蔵物というのが日本の知に対する
大きな支流のひとつなんじゃない?

べつに渡部に限らず傾向と対策で戦後民主主義者やってる大江健三郎でもなんでもいいけどさ
ポーズが本質になるのは仕方ないことなのかもねw
庶民からしたら、何もないときに何かやってる程度で無視できるんだからw