【早稲田大学】渡部直己9【俺の女になれ】
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篠沢秀夫の主張で日本人は海の向うに手本を求めたけど、ヨーロッパ人は地面を掘って手本を求めた。それがルネサンス、ギリシャローマ文化のリバイバルだということらしい。
というわけで西欧も断絶とかフィクションがちょこちょこ混じってる >>960
岡本太郎はイーグルトンの先生のreymond williams の
賛同者だから、岡本にとっての伝統は単純な性的な過去ではなく、
むしろ同時代のもので、常に変化する。
渡部がどうかは全然知らないが、蓮實が花田清輝を論じたがらないのは
蓮實にとってよく分からないからではないか?
花田は身体表象論にかかわることをたくさん書いてるが、東大表象出身の
横山太郎が、花田と同じ京都学派系統の武智鉄二の身体論に
全く歯が立たないことが証明されてるから。
浅田の縄文や弥生への思いは日本の建築思潮のメタボリズムに発してるが、
メタボリズムの建築家たちの縄文や弥生への
思いは極めて人口に膾炙しただけのものであって、彼等建築家は単なる大衆扇動者
ではないかとの批判を免れんだろ。
先ず言えば、弥生時代というのは、西洋流の芸術思想から見れば、縄文→弥生は
逆行なんだよ。しかも、それがずっと続いてる。
俺に言わせれば、縄文はコントラストで弥生は親和や協調だ。
古代ギリシャからローマ、ルネッサンス、近代はアルカイックの協調、親和から
クラシックのコントラポストからフィギュラ・セルペンティナータ、マニエリズムと
縄文→弥生と真逆の方向性を持ってる。
渡部や蓮實は残らんだろうが、浅田には残って欲しいので
苦言も呈する。 花田と武智は全然違う畑の人だが
やってることは本来の意味での前衛芸術なんだろうな
難しいとか凄いとか正しいという意味での前衛じゃなくて
マルクス主義の流れからの大衆芸術という意味合いでの前衛
だから貴族主義とか神秘性と対立する 思想とかって基本時代の反映で、前の時代の思潮のアンチテーゼになるもの
流石に令和の時代にまでくると、ポストモダンも歴史として
何に対するアンチでああなったとか見えてくるから
こんなスレでも色々論ずることができるようになる 弥生というのは、「近代までの西洋的進歩に対するその時々の反動」ということだと思う。 >>967
ローマ人もギリシャ人を完全制圧しなかったんだよな
敬意から優遇したし、カトーのようなギリシャかぶれを諌める政治家もいた
ワイン葡萄に適し、ソース文化を担うほど野菜が不味くなる石灰質の土地の貧しさと
地中海の豊さの間にあるような気もする
日本の水害と自然の豊かさとはまた異質
遺伝子と思考の関連がわかれば
どんな思想が興っても維持や収束の仕方を探る一助になるのにな
差を語ろうとして共通点が見つかることも十分あり得るだろうし 渡部の安部公房嫌いは、はじめから多様な解釈に対して開かれていたからではと少し思った
つまり、芸の見せ所がなくなるとw
小説は物語の批判だとかいいながら物語で物語の批判したりする安部公房が嫌いなのはやはり不可解だ
学生の身分で質問したら「バカ」の一語で一蹴されそうなんだよなw
ニューアカの矛盾は、外野が笑って許せる類いの矛盾じゃないのがなんともね >>975
渡部など誰もが問題にすること有り得ない。
絶対に消えなければいけない人間だ。
柄谷も蓮實も消える時が来た。
何故なら、俺が来たからw >>967
>ヨーロッパ人は地面を掘って手本を求めた。
>それがルネサンス、ギリシャローマ文化のリバイバルだということらしい。
ギリシア文化はイスラム経由で摂取したものにすぎないし
ローマ文化はサヴォナローラによる神聖政治の反動としての古代文化の再評価だよ
これは神学と結びついたアリストテレス主義(スコラ哲学)への批判としての
ストア主義やタキトゥスの再評価という形であらわれた
保守反動思想の一種だね
それだって19世紀スイスの歴史学者であるブルクハルトが
後付け的に評価しただけだよ 「今迄彼等より優越であると思って居た己は、その実彼等よりも遥かに劣等な階級に属する、智力の足りない、勇気の乏しい、哀れむべき痴呆であるように感ぜられる。第一、あの時まで己を憎んだり呪ったりして居た人間が、あれ以
来、急に態度を一変して、却って己の先天的缼陥に、憐愍の情を催して居る。全く己を不具者扱いにして、一段高い所に立って、己の性癖を気の毒がり、己の犯罪を笑い草にして居る。彼等から敵視されて居た己は、いつの間にか彼等
から滑稽視されてしまって居る。そうして己は気の毒がられたり滑稽視されたりするのを、我ながら尤もな事だと思い、いよいよますます自らを卑しゅうして居る。実際こうなっては、人間もおしまいだ。・・・・・・・・・」谷崎潤一郎『前科者』 弁護じゃないけど、後付なら何でも言えるいうのはあるけどね
このスレだってコロナ関係で色々批判が出てたが、
現時点で振り返るとどうだったかというと… 現実はつねに進行中であり
それ故に過去を判断する視点も現在の現実によって修正が加えられる
この場合、「現在」の論者による「現実」への関心によって
過去の事実群から対象と想定し得るものがピックアップされて再構成される
だから現実の「問題」がいちおう収束・解決されない限りは断定など出来ないんだよ
でもまあ問題が収束した時点で忘却されるのが殆どだし
問題として広く認定されないようなら議論の対象にすらならない もし小説や文学作品に社会的効用があるとするのなら
こういう未知の問題を論理ではなくモデルとして提示することかもしれないが
その場合、読者は非常に限定されたものになり
世間からは一種の狂人扱いをされる
炭坑のカナリアは坑夫たちが危難から逃れた際はすでに死んでいる
それだって危難を脱出できたと認識された際のみ評価される
坑夫もろとも死んだ場合は単なる犬死か狂死です
しかも誰からも顧みられることは無い 後からなら何とでも言えるから作家より力量の劣る人間が作品批評ができるわけで >>980の何が愚かかというと、批評は常に普遍的な認識を前提として行われていることを忘れているところ。
認識を発言した時代状況を含めた認識主体個別の問題に還元することはできない 振り返ると、
自然主義から反自然主義の主張が出て来て
さらにそれへのアンチ、反反自然主義みたいなものだったのかな?
それを理論武装するとああなった。 >>983
賛成
あいつらは教科書の文学史などの概要を担当できないインチキエリートで
本質的には商売人の亜種なんだ
「俗に言う」と陳腐化するも「こんなことも知らないとは」と受験生的な暗記能力で己を権威化するときも
本当の学者が作った概要を利用する側の人間なんだから
批評家ぶってポピュリズム批判するときだって
左派はおろか保守も大衆迎合に堕したなんて言えるわけない
売文屋なんだからちょっと自由にやらせてもらってるなんちゃってA層ぐらいが末路だったろ
よってたかって純文学をマーケティング用語に落とした連中から
感情がどうの理性がどうのと言われる筋合いはない
読まない層の執着を煽って程度の低い喧嘩ふっかけて
読んでいた層が読まなくなった原因は文壇にこそある
理性云々いいながら業態批判すると暴言や嘲笑で一蹴するのはどっちなんだか >>986
文学史の教科書(笑)を信じるのは最悪だよ >>987
どう最悪なの?
導入にはなるでしょう
売文作家が誉められてるから? >>983
>批評は常に普遍的な認識を前提として行われていることを忘れているところ。
はっ?
現象学以降はその逆なんですが? >>983
>認識を発言した時代状況を含めた認識主体個別の問題に還元することはできない
個人的心理やその時代的枠組みともいえるエピステーメーなるものよりも
更に超越した地点に「認識」があるとでも?
それはほぼ神学のようなものだからね 仮に個人的生活環境やそこから派生する心理
あるいは時代的制約を超越した地点に認識なるものの根拠があるのなら
それは神学でなければ科学と同質のものと言える
古くはカント最近では科学哲学でもそんなことは言わないけどね
現行の科学は時代経過によって更改される暫定真理に過ぎないんだよ
その手法を人文や社会というローカルで慣習的なもの評価に適用するのもねえ
しかも個人の私見にちかい文学作品に対して… >>991
ヘーゲル以前の認識に後退しておられるようです >>988
文学史の教科書の文学など狭い貧しい勘違い
特に今は文学史は消滅している
文学史を信じた人間は小谷野敦みたいになってしまう >>993
歴史的な意義でもって博物学的に処理するのは有効じゃないの?
<特に今は文学史は消滅している
参考までに聞かせてくれ
どう消滅してる?ポストモダンというお化けみたいな定義が登場したから? >>993
彼は基本的に言った言わないの過去方向しか語れないからねw
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