>>347
えーと、東大生だったフリをしたいのかな?
突っ込みどころ満載のとにかく酷い文だね

キャンパスも街も漱石の時代と当然異なっている。
が、当然漱石の時代のそれを経験していないので「全然違う印象」も何も、比べる相手がないよね。

ただ宅地はビルになっても当時の道、坂の場所はほとんど動かない。そこだよね。
三四郎と美禰子が一緒に腰を下ろした根津の小川は今は暗渠になっていて、探し出して歩いた。

ただ上に言及した本郷中央教会は三四郎が書かれたときとは異なる建物だった。古くて雰囲気のある建物になので当時からの建物だと信じていたが、今調べたところ大震災の後に建てられた建築だそうだ。

それとね、東大のかなりを占める地方出身者は、駒場では近くにあまり学生が住める物件がなく電車通学が多いが、本郷に上がるときに大学の近くに引っ越して徒歩または自転車通学になる人が多いんだよ。

しかし談論しながら歩くのに、それ関係あるかな
学友と一緒に上野や湯島、お茶の水、神田あたりまで含めて会話を楽しみながら歩いた経験は、フツー東大生ならあるんじゃないかと思う。