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唯物史観と現代の意識
三木清

マルクス主義は第一に生理學的唯物論ではない。それは意識の現象が腦髓の物質的構造そのものから導き出され、若くは思想が、恰も尿が腎臓から排泄されるやうに、人間の腦髓から分泌されるといふが如きことを説くものではない。


マルクスが「意識(das Bewusstsein)とは意識された存在(das bewusste Sein)以外の何物でも決してあり得ない」、と云つたのはこの意味に解されねばならぬであらう。
總じて精神と物質とを絶對的に對立せしめ、その一を排してその他を樹てる思想は、いづれも抽象的思惟の産物に過ぎぬ。そこでまたフォイエルバッハは記してゐる、
「人間を身體と精神に、感性的本質と非感性的本質とに分離することは、ただひとつの理論的なる分離である。實踐に於て、生に於て、我々はこの分離を否定する。」
實踐に於て生きるマルキシストは觀念論者であり得ないと共に、抽象的な意味に於ける唯物論の把持者であることも出來ないであらう。