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小説「日系日本人」
彼の周りを見渡せば、誰もが東アジアの日本人の顔をしていて、漢字とかな文字の混じった日本語を使っている。
それは、彼が幼い頃からそうだったし、成人し、大学を卒業した今日に至るまでずっとそうだ。しかし、それは彼が日本に住んでいるからである。
新宿など外国人がたくさん歩いている場所もあるが、それでも多数派は日本人だ。
しかし、日本人は世界において多数派であろうか?国籍で言えば最大多数の中国人でさえ世界の五分の一なのである。
もし仮に世界中の人々をシャッフルして地球全土に散りばめたら、日本人はどれくらいの頻度で歩いているだろうか?アジア人は?
そう考えた時、彼は日本人であることやアジア人であることが、決して普遍的なことではないとハッキリ悟ったのである。
まさにこの時、彼は自身が日本国籍者で、アジア人であることを自身の個性ないし特徴だとはっきりと思ったのである。 小説「日系日本人」
彼は思春期の頃、自身の他の人との相違点について劣等感を感じることがあったが、自身が日本人でありアジア人であるということを意識してから、自分を好きになっていいと感じるようになった。
それは、日本人である自分、アジア人である自分を好きになっていいのと同様、自分である自分を好きになっていいと考えられたからだ。
人々の中にあって自分を嫌いになるのは、アジア人の中にあって日本人である自分を嫌いになったり、人類の中にあってアジア人である自分を嫌いになったり、
生物の中で人間である自分を嫌いになるのと同じことである。彼はそう思ったのだ。 小説「日系日本人」
彼が日本社会から国際社会に視野を広げた結果、彼の思春期に芽生えた劣等感はそれに反比例する形で小さくなった。
「自分は日系地球人だ。」学校で目立たぬように小さくなっていた猫背気味の山田清一は、今や地球のどこに行っても胸を張って歩ける気がしていた。 小説「日系日本人」
142と143の間に、133を。 なんかすごい大河小説になってるなあ
ところで大河と言えばいまやっているのは麒麟がくるだが
この水師の巻には臨シの市民が麒麟を檻に入れて城門へ献上したとあった
主要キャストがバタバタ死んでいよいよ最後の五丈原の巻へ 孔明と司馬懿、英雄英雄を知るってのは出来過ぎとは思うが
華のあるマッチングではある
吉川三国志、ようやく読了
講談が最近少し見直されてきたようだが
こういう口調で読みやすく聞きやすくしたものに触れることによって
大衆は大衆なりに教養を身につけていたのではある
さて、これから何を読もうか
英検の勉強で読みやすい原書をよんでもいいし
引き続き中国ものを探してみてもいい
大河ドラマの原作というのもおもしろそうだし
名作短篇を丁寧に読むのも悪くなさそうだ
読んだ本の感想を語り合ったり
不慣れな本を互いに励まし合って読んだりする人が現れてくれればありがたいのだが
なかなかそういう具合にはいかないものなのだなあ >>142
>日本人だらけの日本では全く意識する必要のないこの特徴が、
>自分の住むこの世界で実はさほど無視できないこと
>なのではないかと考えたのである。
『ワールズ・エンド・ガーデン』発表時のいとうせいこうは
そういう意識の平均的日本国籍保有者の事を
ガイジンとは反対の「内人」としていた
いとうは目の付け所は良いんだけど
作品がイマイチなんだよなあ
住民のほとんどが都市部に集住して
教育や法制&税そしてマスコミによって
たえず平準化圧力が加えられている島国だからそうなるのだろう
今回のコロナ騒動でも水際対策という
島国根性丸出しの防壁が突破されると
さらに閉鎖的な方向で対応しようとする
決して事態の根本的解決に向けての手段や
その仮定でのリスクマネージメントについて模索しないのね
ひたすら嵐が通り過ぎるのを待つのみ
多数派による異分子排除はあるが
深刻な対立やそこから派生する葛藤という視点がないから
文学など必要としないのかも知れない
せいぜい首相が「サベツ良くない」というくらいで ここでいったん整理しておこっと
これまでに読んだ本
浅田次郎の蒼穹の昴、莫言の白檀の刑、魯迅の短篇集で吶喊、呉智英の現代人の論語、白川静の孔子伝
司馬遼太郎の韃靼疾風録と草原の記、高行健のある男の聖書と霊山、エイミ・タンのジョイラッククラブ
井上靖は敦煌、蒼き狼、風濤、孔子、短篇集の楼蘭
ヘミングウェイの短篇で英文法を学ぶという本の1と2、橋川文三の黄禍物語、吉川英治の三国志
われながらいい加減だなあ
あした本屋にいってテキトーになんか買って雇用 作戦篇第二をよむと
なんで旧日本軍はこれをもっと肝に銘じなかったんだろうという
へんな気持ちにさせられる 最後の用間篇はおもろかった
昔から戦争は情報戦なわけだ ユン・チアンのワイルドスワンズがあったのでこれを暫くよもう 1966年文化大革命
人民日報は毛沢東論文掲載には最初は抵抗してたんだなあ 文革で設備がむちゃくちゃになっていても
とにかく人の命を助けようと身を削って働いていた医者はいたのである
医療を受けさせないようにするのは政治である ワイルドスワンズ読了
女三代記だけどMVPはなんといってもお母さんだなあ
大学裏口から入れたのも留学できたのも
みんなみんな党員のお母さんのお陰
もちろんお父さんの威光もあるにはあるが
お母さんの押しの強さが子らの人生を明るくしてくれたね 子曰。居上不寛。爲禮不敬。臨喪不哀。吾何以觀之哉。 子謂仲弓曰。犂牛之子。騂且角。雖欲勿用。山川其舎諸。 子曰。不憤不啓。不悱不發。擧一隅。不以三隅反。則不復也。 子在齊聞韶。三月不知肉味。曰。不圖爲樂之至於斯也。 唐棣之華。偏其反而。豈不爾思。室是遠而。子曰。未之思也夫。何遠之有。 子曰。不得中行而與之。必也狂狷乎。狂者進取。狷者有所不爲也。 子曰。直哉史魚。邦有道如矢。邦無道如矢。君子哉蘧伯玉。邦有道則仕。邦無道則可卷而懷之。 孔子曰。生而知之者上也。學而知之者次也。困而學之又其次也。困而不學。民斯爲下矣。 子貢曰。紂之不善。不如是之甚也。是以君子惡居下流。天下之惡皆歸焉。 子曰。不知命。無以爲君子也。不知禮。無以立也。不知言。無以知人也。
これで論語おしまい
自分なりにじっくり読んだつもりだが、正直、つまらなかった
この手のものは後世の注解に面白味があるのだろうが
いったん論語から離れてほかの本よもっと 亀吉さんよ、悪いけど白文で振り仮名も無しじゃ一般の日本人は読めねえ。和訳してくれんかね? 小説「時間屋」
時間売買が本格的に市場参入し始めたのはここ20年ほどである。古くは2030年代には最初のタイムマシンができ、個人的に時間売買を行う者は2050年代には居た。タイムマシン発明から120年ほど経って後、庶民でも安価に時間を手に入れらるようになり、時間売買業が成立したわけである。 小説「時間屋」
石崎矢四郎は時間売買業の国内最大手の一つ、アジアンタイマーで営業を担当している。今や世界中で四割、国内では八割の人間が埋め込んでいるチップを使い、起きている間の多くをセールスに費やしている。 ここは新作小説の発表の場のようだな
邪魔しちゃ悪いのでまたどこか使われていないスレがあったら書きこしよう
それまで5ちゃんはおやすみ 自分の居候先だからとか
そういう気持ち悪い属人的判断しか出来ないから感性も幼稚なまま一向に育たないわけよ、オポチュニストが出来上がるだけ
ちょっとした作品の類似点を論い仲間をこぞってケチをつける
そういういやらしさが表現を萎縮させ、文学を衰退させるとは考えないのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています