西村賢太 26
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
角川文庫の「どうで死ぬ身の一踊り」の解説って講談社版と同じですか? 角川は解説枠に参考文献として久世光彦、坪内祐三。本解説が勝又浩。新潮は参考文献は同じで本解説は稲垣潤一。おれは講談社版持ってないが、確か講談社版の本解説が坪内祐三で、この2冊の参考文献枠とかぶってるからいいやって思って買わなかった記憶がある。 >>666
ありがとうございます。角川版が決定版ということですね
勝氏の解説気になるので買おうと思います 文学界読んでたら、西村って芥川賞もらった直後から女性読者と同棲してたってあった。
女性の親の持ち物である地方のマンション。
月に10日ほどの「通い同棲」だったらしい。
それで、本の雑誌の書き方苦労してたって・・・。
やっぱ、基本嘘つきなんだな。 若い頃の北町貫太は色々な仕事してるけど
秋恵ものの頃は労働してる様子がない。
秋恵と会ってからはヒモになるとしても
(稼ぎが足りるかは別として)その前は何していたのか? 古書店営業マンじゃないの。
じゃなきゃあんないい部屋借りられないし。
NHKかなんかでスーツ姿のときあったけど
結構きまっていた。 あの動画消されちったよなあ
NHK石川の番組
たしかfujisawa seizoみたいなタイトルだった気がする >>668
作中の貫多を賢太と同一視するのはもっとも愚かな読者だゾ 笑 >>668
太宰の「人間失格」を丸ごと信用する人だな、あんた。
飯田橋の近所にある某ラーメン屋の「青痰麺」を食べてごらん。 西村賢太がいわゆる「負け組」だった期間は中学卒業後長く見積もっても
せいぜい10年くらいの間。
中卒という学歴から職業選択の幅は狭く、家を出て貧困のどん底の生活を
送らざるを得なかったのは必然で、「負け組」というより若き日の雌伏の
秋(とき)を送っていたと解釈した方がいい。
30歳かそこらの若さで私淑する作家というだけで人様のお墓を建て替え、
その横に寿陵墓まで建立したのは、場所が石川県の田舎とはいえそれなり
の黄白は要したはず。
新宿に1Kながらマンションに室をかまえ、同時に私淑する作家の展墓掃苔
、月命日参りという供養のために作家の出身地近くにアパートを借りるという
財力はすでに同世代の中でも上の部類に達していた。
芥川賞受賞直前まで赤貧洗うが如しのような印象を世間に与えていたのは、
やはりその筆力によるものであり、私小説=ノンフィクションという錯覚と
いうか文学に対する無知というか、を嗤いながら、最大限にその効果を使った
西村は凡庸の作家ではないという証ではないだろうか。 秋恵との同棲が34歳で彼女が10年以上いないって、俺のことじゃん
でも俺は彼女なんかいないから賢太に負けた youtube以外の海外サイトなら削除されない場合も多いですよ
まあ、あとは察して。 私小説だからって全部そのまま書かなきゃいけないってわけじゃない。
どれだけうまく嘘をつけるか。
その技量が試される。 私小説=事実
この認識の人が意外と多くてゲンナリする。
事実を基にどう色付け、即ち脚色するかの手腕を読んで楽しむのがソレではないか。
まあ、作中の主人公と著者を同一視してしまうのは、ある意味著者の力量の成せる業ともいえるが。 逆に言えば西村もそうだが、よく出来た私小説は「ここんところはもしかして事実?」と
読者にニヤつかせながら推測させて読ませる。
西村の場合、ヘタな通俗小説よりも筋立てが上手く、読者の期待通りに貫多にやらかせて、
それでいて読者に何度も読ませるのだからたいしたものだ。
松本清張の「半生の記」や幼少期の思い出を書いた「父系の指」などに通じる巧さを感じる。
自分の生い立ちという、小説が壮大なロマンと解釈すれば極北的な位置を占める矮小な世界に
ここまで読者を引きずり込んだ作家は珍しい。
万年ノーベル賞候補の作家の作品など、西村の私小説に比ぶれば文学好きの厨房の習作レベルだ。 違うだろ。
単に、彼女ができたことを隠してただけ。
貫太の(すなわち賢太の)イメージを損ねるから。 別にイメージ損ねないだろう。秋絵に逃げられるまでは普通に何人か付き合ったりしてたわけだし。これが50数年モテない童貞とかいう設定なら隠すのわかるが。 そうなると、西村の小説読んで「救われました!」って言ってる読者がバカみたいだねw。 そんなことないだろ。賢太の経験がなければ生まれなかった作品たちよ。 嘘とかじゃなくて、自分の弱さやダメさを正面から見つめて書くのが私小説なんだってば
事実しか書けないならそれはノンフィクションもしくはドキュメンタリー 僕だけを大切にしろい!は実際に発した言葉であって欲しい 私小説が全て事実じゃないのはわかりきってることだけど日乗は事実という体だったよね
>>668は日記が嘘だったことを言ってるのに私小説がどうのこうの語りだすのはズレてるよ 別に日記で嘘をついてたわけじゃないし、帰宅と帰室を使い分けてた意味を今明かしてるってことだけで十分だろ >>697
私小説はノンフィクションじゃないと説教打ちたくてウズウズしてる人が多いってことだよ
カレーの話してたら毎回「インドカレー屋の店員は実はスリランカ人!」と今や周知の事実をドヤ顔で語り出す人がいっぱいいるような感じ 小説は8割が事実で2割がフィクションとか
賢太自身が言ってなかったっけ いつも思うんだけど、貫太の暴言ってやっぱり書きながら考えたセリフだよね。突発的にあれがしゃべり言葉で出てきたら落語家を超えてる。
賢太の生の罵声をきいてみたい。 落語を意識してるって書いてたな
賢太の文章って1センテンスがけっこう長めだけど不思議と読んでて疲れないしすっと頭に入ってくる
落語の語りに似ていると思う 案外ああいうセリフは一発で書けるもんだよ
普段から頭の中に溜まってる言葉だから 京王ジョーカーも賢太の本読んでればよかったのにな。 今日ブックオフ行ったらスマホでバーコードリーダーしてせどりしてるガキ集団がいたけど、ああいう奴らは一生文学には無縁なんだと思うわ。何が「カバーの綺麗な東野圭吾はよく売れるよ」だ。平積みに汚いバッグ載せて偉そうに語りやがって。ああいう繊細さに欠けた人間はジョーカーガキと何も変わらない。つまり自分のことしか考えられない。状況がわからない。そんな奴が文学に触れたって言葉の機微もわからないし、あることにすら気づかない。文学の方からお断りだろうよ。 >>713
ジャズと似たようなもんじゃない?
ジャズ聴いてる俺スゴイみたいな
上の書き込みの「文学」を「ジャズ」に置き換えても違和感ない 救うよ。自分は小説に救われた。みんな小説をもっと読めばいいのに。
1ヶ月前から上京して電車に火つけたりする暇があったら
片っ端から小説読んで
人生いいほうにかえてほしい。人ころしてもなにもならない。 犯人には言葉がなかったんだろ。あったら小説読んでたよ。 バブル景気が弾けたころ、小説買って読むのはコスパ良いって云われたものだか、
いまは本に2000円出費できないってやつが増えましたね。 2000円あったらうまいもの結構食えるし、ネットがあればそれこそ金かけずに暇がつぶせる。本を買うことは贅沢なこと。
正社員が手取り13万という生活保護レベルの時代。
文庫本ですら買うことができない者も多いだろう。 本を読む人は薄給でも読もうとするし、読まない人はタダでも読まない。 それと、本読む持久力のない人が多いね。カフェで勉強や読書してる人を見てるとさ、10分に一度は必ずスマホ見るんだよ。高校生だと2分に一度は見る。そりゃ一冊読み通せないわな。古井由吉は読み通す力を握力と形容してたけどぴったりだとおもうわ。 >>726
カフェで人の読書の時間を2分だ10分だのじろじろ見てるのキモいよ。
競走してるんじゃないんだから別にスマホ見たっていいじゃんw
なんでわざわざ古井由吉を出してまで人の読書体験を下に見るの?
俺なんてソファーやベッドの上でしか集中出来ないよ。
それと、せどりのガキも案外読書家かも知れないし。 テーブル席座るから対面の人たちが常に見えるんだよね。視界に入るってだけで凝視するわけないだろ。あと一般論に対して被害妄想で反抗してくるのはやめてね。本読めない人は確実に増えてるんだから。 >>728
ちょっと整理してから書き込みしなさいな。 >>726
わからない言葉調べてるんだろ
高校生の方が頻繁に見るのもそれで説明つく 古井由吉、って賢太先生が老害の大家と嫌っていた人。
いわゆる内向の世代に属していた作家で、内向の世代作家自体もはやお呼びでない時代に、有り難がる人もいるんだな。 内向の世代難しいから、ここの人たちに向けて引用してもわかってくれないよね。 確実に言えるのは、小洒落たカフェのテラス席で気取った仕草で
村上春樹を読む人は西村賢太など絶対に読まない人であること。
試しに読んでも途中で不快を絵に描いたような顔で本を閉じることだろう。
その逆も真なり。 絶対に読まないってことはないだろう
しかし俺もそうだが賢太作品は好きだけど秋恵ものはどうしても苦手、という人が多い気がする
ところで賢太作品の時系列を作品ごとに調べ並べたブログ記事みっけたわ
よう調べてあるね。
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1998219.html 読書の価値自体が減ってることは確かにあるだろう
本開いてるの見るとなんかかっこ悪く見えるのは事実 村上春樹も西村賢太も両方読むけど。
作品の質は天と地ほどの差があるけど、その作家性に惹かれるから。
おれも秋恵作品は苦手。 >>736
そうか?
本読んでる人のほうがスマホいじってるよりかっこいいぞ。 >>735
これは自分でもやろうかなと思っていたが
面倒臭くてずっと先延ばしにしていた作業だ
公開してくれてありがたい 秋恵もの、おいらも好きじゃないが、暴行を受けた後の秋恵の描写、不覚にも嗜虐心を煽られてしまう
ハエ叩きで叩いたハエが、死にきれずにピクピク動いているみたいな滑稽味を感じてしまう
けど一番好きなのは清造もの スマホをいじってる人間に混じって根津権現裏を読む。俺はお前らとは違うという優越感を得る。 読書で得られるものは多いと思うけど、ぼく読書してますアピールほど気持ち悪くて滑稽なものはない
逆に「自分、読書しないんです。苦手なんです」という方が潔いし、性格いい奴が多い気がする 経験上人と話すときに本の話題は出さない方がいい。通じる人がまずいない。 どんな本読むんですか?好きな小説なんですか?って聞かれて葛西善蔵、なんて答えるだろ。そうするとなんか難しそうですね。変わってますね。挙句の果てには頭いいですね、だよ。初対面の人と本の話題はしないほうがいい。 >>734
俺、村上春樹大好きだけど西村賢太も大好きだわ
どっちも何度も読み直してる >>747
わかる。
ロシア文学が好きなんですと言ったら「頭いいんですね」とか言われたw >>744
性格いいっていうより、理屈っぽいことを避けたがって優しく見える 「埴谷雄高を読んでいる」と言ったら、小学5年生の甥に「ま、背伸びしてえのはわかるけどよ、まだまだあんたにゃ難しすぎらあ。石田衣良でも読んでな」と肩をぽんと叩きやがった。 「頭いいですね」って褒めてるようでいて、「あたたとわたしには距離がありますね」って言ってるようなもんだよな。 軽々しく「頭いいですね」なんて言ってるくる奴があたただよ 「頭いいですね」のあとに「わりと」が付け足されたらどうすんだべ? 「ちょっと!お客さん、あんた北町さんだろ!わかってたよ。相変わらずうちのラーメンそうやって汚く残すんだよな」
「大将、この人?昔この店に来て食べもしないで吸殻突っ込んだりした太い野郎って」
なんて常連の客に退路を絶たれるように店の戸の前でふさがれたら、貫多はいつもの涙目土下座作戦に出たのだろうか? 今月号の文學界を見てきた。
どうやら雨滴は〈次号完結〉とあるので来月号で終わりらしい。
来年度中には単行本出るんじゃないかな。
楽しみだね。
ついでにサイン会とかも復活してくれると嬉しいんだけど。 村上春樹と西村賢太は一応純文学のくくりだが実質は大衆小説であるという点で共通している 村上春樹と並べられるのは、西村が一番鬱陶しいだろうねw 野球見ながらネタ考えてたの、某有名作家とエピソードが同じだからってやめたもんな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています