【翳りの歴史のために】蓮實重彦2【仮死の祭典】
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おれことダンカンもスニッチ(密告屋)の役でチラッと出てくる >>275
そんな人、知らんかった。
Amazonで早速注文しとくわ >>277
このなかで「えっ!」って思ったのは
「ラルジャン」
「ヴァニナ・ヴァニーナ」
「飾り窓の女」
の三つですかね 樋口尚文は筑紫哲也の「若者たちの神々」の二番煎じ企画「新人類」でも取材(他には中森明夫、藤原ヒロシら)されていた。
発言内容や出てくる固有名詞などから、蓮實批評以降の若手という感じは明らかだった。 藤田敏八映画の最高の場面は「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」のクライマックス。
ヘリで団地の上をふらふらの辺りは蛇足。
蓮實は岡本喜八についてあまり言及してないが「結婚のすべて」を観た時は驚いたと語っている。
これは蓮實が批判する「キャロルリードの影響で日本の若手たちがみな細かいカットを割りテンポを出した(つもりの)」系統だが
40分ぐらいの上映時間なので観てられるということか?それとも学生時代に観た時の感想だからなのかも。
岡本喜八全てが苦手ではないけど、川島雄三「しとやかな獣」のロカビリーと念仏(記憶違いかも)を組み合わせた場面の野暮ったさに近いものを感じる。
「ああ爆弾」「殺人狂時代」など、話だけ聞くとわりかし面白そうなのに実際観てみると… >>262
黒沢清の10分の1ほどもセンスがあればこんな馬鹿なことにはならない 80年代の黒沢清は本当に地味な存在で
「なんだこりゃ?わけわからん」という否定的な騒ぎにさえならず(にっかつ内ではともかく)
80年代デビューのスター監督たちに比べて認知度でははるかに遅れをとっていた。
ただ、一部の批評家が書いた単行本(リアルタイムでの評価)が今もわりと残っているせいで、当時から(少なくとも映画メディアからは)前途ある若手のように見做されていたと誤解する者もいるだろう。
あの時代は各分野で目新しそうな存在が次々と注目され祭り上げられていたのに、そういう華やかな?世界とは縁がなかった。 90年代に突入しても、例えばキネマ旬報の読者投稿欄にはこんな事が書かれていた。
「日本映画期待の星は周防、北野、阪本と松岡で(中略)
黒沢清はいつもアメリカ映画とか言ってはいるがその内容はアメリカ映画とは程遠いもので…」 黒沢清は初期は大したことないですからな
本物の作家として現れたのは97年
後輩の青山より1年遅い
その間何があったかというと、十字路で悪魔と出逢って魂を売り失踪、そして戻ってきたロバート・ジョンソン伝説と同じ黒沢清伝説なんですよ
今も謎とされている 主人公(氷川)のマンションの書棚には三島由紀夫全集が並べられてらいるのがチラッと写り込む マツコ・デラックスの恋人役でリル・ナズ ・ベイビー 綿矢りさは『蹴りたい背中2 食べたい最中』と『蹴りたい背中3 ヤりたい田中』を書いてトリトロジーを完成させないとだめだっての! ベルギー・コネクション(浅田彰)
日本野球浪漫派(柄谷行人) >>262
本人もアホな客もあれがスタイリッシュだと思ってるんだろうなあ
可哀想 >>285
本人も書いていたけどCUREの逆輸入でブレイクしたんでしょ 美輪先生は主人公(氷川)が育った教会の神父にしよう 久しぶりに来たんだが、昔いたバルダミュとかいうコテハンは消えたのか?
かわりに新たなクソコテが跋扈しているが >>285
役所広司「黒沢監督の噂は聞いていた。すごい若手の監督がいると業界内で評判だった。キュアでご一緒できてよかった」 >>271
日本のいちばん長い日とかは面白い
カット割も素晴らしい 青山真治も「黒沢清が天才である事を一度も疑った事がない」って公言してるよ。彼は立教に通ってた頃に黒沢清の映画を当然見てるだろうから、その頃からだよな。 皆さん的には、是枝監督はどうなのですか。
怒られるかもしれないけれど、わたしとしては、「ダゲレオタイプの女」はつまらなかったが、
同じフランスが舞台でフランス人の俳優(ホークはアメリカ人だが)をつかっている、
「真実 La vérité」は、とりたててどこがるどう素晴らしいというわけではなくとも、
わりとおもしろかった。また見たい気がする。しかし、だらだらしていたので、上映時間が90分ならなおよかったと思う。 是枝はかなり黒沢清の影響受けてるな
例えば、なんか写してすぐにパッと切り替えて映さなくしたりする技術とかは参考にしてる
三度目の殺人で福山が地面をホジホジするところのフェティシズムとかその地面から出てくる鳥の死骸を映さないとか かといってそんなとんでもない傑作を撮れる人ではないな
よくもわるくもフツー 「イデオロギーの崇高な対象」の文庫版の感想で、
ひじょうに言い得ている優れたものがあったので、
参考までに引用しておく。
井蛙
ポスト構造主義者たちは、テクストとその解釈を同一の地平線上に置き、あらゆるテクストをそれ自身の解釈を含んだ無限の連続体に置き換える。このような主張においては、すべての玉石混淆たる読解が審美的な次元に平準化されてしまう(そしてこの操作の裏には、ポスト構造主義者たちによる〈メタ言語〉の専横が隠匿されている、というのがジジェクの批判である)。一方ラカンによれば、テクストはそれ自身の不可能性を結晶化した対象の現前によって、その同一性を「遡及的に」担保されるのである。この対象こそがシニフィアンとしての男根なのだが
(以下略) 黒沢清は本人はまったくフェティシスト的人間ではないんだろうが、作る映像はフェティシュとして鑑賞できてしまうのが面白い
あるいは意外とフェティシストなのか ところで、脈打つダンカンさんの映画原案のキャスティングの統一性とその配置は見事です。 ハスミンは監督小津安二郎に「舐めること」「掘ること」「しゃぶること」の3章を追加して二度目の増補改訂版を出さないとだめ >>290
リル・ナズ ・ベイビーじゃないやリル・ナズ ・X
似たような名前のラッパーが多いから間違ってしまった >>308
斜視、もとい蓮實の論法は
ともすれば名前負けならぬ
主題負けしたサムいものに
なりがち。
蓮實エピゴーネンあるある言いたい >>310
まあ批評あるいは皮被りの祭典ですからな 蓮實重彦の伝説のデビュー作『批評あるいは仮性包茎の祭典』 ダンカンとかってやつは頭おかしいのか?
延々とレスしてやがる 基本過疎だし、いいじゃないか
詳しい人のようだし
否定したいなら、内容で否定してあげて レイザーラモンRGを起用してるのは、時節柄ポリコレに配慮してヘテロの主要キャストを1人入れないといけないのと、プロデューサーと脚本家による「絶対にこの役はレイザーラモンRGさんにしかできない」っていう強い意向があるからだよね >>314
詳しくはないです!
78%くらいはテキトーです! 最近の若者は海外文学を読まないらしいね。道理でつまらない芸人がちやほやされるわけだ。
見栄を張ることの愉しさを知らないんだな。おれなんか若い頃はわかりもしない難解な本を買ったり読んだりすることが無上の悦びだったけどな。
本棚を眺めてうっとりするんだ。
理科系から文系までジャンル横断的にいろいろあることがこだわり。
文系ばっかりとか死ぬほどダサいからね。 さておれの自伝七部作、『ダンカン自身によるダンカン試論序説I 破』、『同II 死の理論』、『III 無言劇』、『同IV 鏡と鏡』、『V 暴力の虹』、 『VI ニルヴァーナ』、『VII Takeshigundan Forever 』の第一回配本として『IV』の刊行が近づいて参りましたが
ネットや書店等でのご予約お願いします 浦和レッズの槙野智章がIKKOの運転手役で
主人公(氷川)の弟役が羽生結弦
ともに教会の孤児院で育ち、氷川が黒社会で得た金で大学に通いフィギュアスケート部に所属している
弟の練習風景を人知れず見つめる氷川
かすかに流れるクイーンの曲
(弟は兄が黒社会の人間であることを知らない) 真面目であり不真面目、ホットでありクールを奇跡的なバランスで体現するゴダールやフランシス・ベーコンやセックス・ピストルズと比べるとロブ=グリエや蓮實はクール一辺倒なんだよな
もちろんあれはゴダールやロットンみたいな天才にしか許されない立ち居振る舞いなんだけどね 氷川のマンションの階下の部屋で暮らす夫婦役に阿川佐和子と檀ふみ 蓮実を読むと何かを鑑賞させたくなる文章を書くのが上手くなる
それだけ >>248
カメオ出演といっても、主人公(氷川)と千葉雅也による、女と男のいる舗道のアンナ・カリーナとブリス・パランを彷彿とさせる、8分50秒にも及ぶ晦渋で詩的な哲学的対話がある@牛丼屋 主人公(氷川)とヒロイン(槇原敬之)の出逢いは、氷川が図書館で丹生谷貴志の光の国 あるいはvoyage en vainを手にとったところ、槇原が「あ、それ…」と話しかけることから始まる 蓮實の太鼓持ちだったのに離反し、デマをばら撒いてでも蓮實を叩いていたのは四方田。
無名時代の蓮實に積極的に書かせ「スター文化人」への道を歩ませるきっかけを作った一人だが、晩年は蓮實の悪口を書いていた自称スーパーエディター。
山田宏一とも(蓮實はそれを望んでなさそうだが)長きにわたり絶縁状態?
伊丹十三。
小林信彦とも、互いの文章に親しみのある感じで名前を出していた頃はあったが、いつの頃からかパッタリと言及が途絶えた。
おすぎも「蓮實重彦さん」と慕うような感じで語っていた時期はあった。リュミエールにはおすぎの原稿も掲載されている。
ネットで読んだ記事だが、ソンタグに本人がすごく気にしている事を言ってしまい「しくじった」経験有り。
それからずっと後に、それとは無関係な対談で「それじゃあソンタグもさぞかし困ってるでしょう」という相手の発言に対して「だって彼女はバカだもん」 ソンダクとの対談で、美人だと持ち上げたら、そういうの勘弁してくれ(ウンザリ)的に対応された奴ねw サウナの一室で凄まじい銃撃シーンあり(氷川は一汗流す時にも銃を手放さない) >>332
ハッテン場(ストイックな氷川はハッテン場では出逢いを求めていない) 文学界の特集「私の出会った文豪たち」の金井美恵子の文章は面白かった。
若い頃のこの手の内容のエッセイでは非モテ女の屈折したモテアピールみたいなものをたびたび感じたものだが… 淀川「とりあえずサウナに行きましょう」
シュワ「…………」 2017年に出たハスミン特集のユリイカ欲しい
来月の給料で買うべ 淀川長治Wikipediaの、片腕の少年ファンに対する非礼を悔恨するエピソードって実話なのかね?
「愚かなる妻」にこんなエピソードあったはず。 浅田彰が「僕は映画にしか興味ない人間ではないのでw」とか言ってたけど、これって蓮實への当て付けかな? 蓮實重彦は、原節子追悼文で、「新しき土」についてほとんど触れなかった。
しかし、四方田犬彦のほうは、「後日彼女は西洋人風の体躯と容貌をもった女優として日本で神話化されるが、ここではオリエンタリストとしてのファンクの夢を十全にかなえてくれる『典型的日本女性』として出現した。
日本人はその後も、彼女をめぐるこの映像の矛盾につきあわされることになった。
ともあれ原節子はファシストの美少女として、三〇年代後半から戦時中にかけて大きな活躍をした」(四方田犬彦『日本映画史110年』集英社新書 2014年p.97f)
といったことを書く。
どっちがいいか、というのは、なかなか難しい問題である。
なお、ファンク監督は、女優時代のレニ・リーフェンシタールの初主演作も監督しているということを、
今日知った。 ニブヤの文章は面白かった(ショーケン特集でも)けど、90年代に映画芸術に寄稿したやつの方がわかりやすい。 現状ファシストの美少女原節子は消されてるようなもんでしょ
戦中期の原節子の映画なんてほとんど見る機会もないし・・・ >どっちがいいか、というのは、なかなか難しい問題である。
そういう問題設定をするのがおかしい 李香蘭のほうは、原節子と違って、「逃れられない立場」だったので、
気の毒といえば気の毒だ。 >>335
野坂昭如「文壇」で描かれた金井は典型的なメンヘラだった ヤスケンは「海外文学の文庫ベスト100」とか「ミステリーベスト100」とか「西部劇ベスト50」とかやたらとベストなんとかの記事を作る人という印象
あと金に汚くて自分が持ってた作家の原稿を売っ払ったとか 原節子の映画「新しき土」(1937)
↑で検索すれば、いくらも動画が出てきます。 原節子は小津に惚れてたから死後行かず後家の世捨て人になったとか神話があるけど、実際は小津も小津作品も嫌ってて、もっと進歩的な女性像を演じたがってたとかいう記事を読んだことあるな
話半分に受け止めたけど 四方田は「小津と土本を共に肯定するなんて態度はもはや許されない」と語っていたが
「エドワードヤン(この頃の日本での呼び名はヤンドゥチャンだったっけ?)を捨て侯孝賢を取り、ヘルツォークを捨ててヴェンダースを取る排除と選別の論理に傾いた」
(と四方田が言う)蓮實を批判していたのはどこのだれお?
「今はもうそういう時代ではない」というのは政治発言にヒートするTwitterおじさん(おばさん)の陥る道ではないのか? 金井美恵子の本なんて
一冊も読んでなくても
何の悔いもない作家
と言いながら
「兎」と「映画 柔らかい肌」を
うっかり読んでしまったことは
墓場まで持っていきたかった秘密 ソンタグは、高慢ちきで有名だったそうで、対談相手には嫌われるタイプでしょう
山口昌夫などは、20世紀の知的冒険者たちに収録予定だった彼女との対談を、
頭にきてボツにしてしまったということがあります。
批評空間に掲載された柄谷、浅田との鼎談も、いかにも「愛想ないなー」というものです。
しかし、松岡正剛には感じが良かったようだから、全部が全部ではなく、人を見る、ということなのでしょうか。 エドワードワンを捨て
というのはまんざら四方田デマでもなく、恐怖分子の頃は否定こそしてないが「推し」でもなかったとフォローしておく。
カサヴェテスや初期イーストウッドに対しても、アルトマンあたりと並列し「現在のハリウッドでは比較的まともな」作家として語っていたが
アルドリッチ、フライシャー、シーゲル、フラーらよりは落ちるというニュアンス。
ペキンパーはみんな褒めるけど、スローモーション問題などとは別に蓮實はペキンパーの弱さ(それにこそ惹かれる者がいる事は認める)を指摘。 ソンタグって
本だけ読んでたら桁違いに頭いいし、「世の中、1番さえ押さえておけばそれ以下は読まなくてかまわない説」をとる人間のおれからすると蓮實なんか読まないんだけど、そうもいかんわな。 カーヴァーやリチャードTヘフロンなどを
通俗娯楽の醍醐味とかB級アクションの面白さなんて(誰でも言える事を)言わずにきっちり評価できるのはやっぱりすごい。
「処女の生き血」の演出が古典的と言ったのは蓮實だったか黒沢清だったか忘れたが
こういう(穿っているようでそうではない)見方を忘れると悪い意味で映画秘宝みたくなってしまう。 ペキンパーの弱さか
マイケル・マンを高く評価してるのはペキンパーの後継者としてかと思ったけど >>361
YouTubeの古いコント番組を観てると、芸人達が意外と演劇の素養があることに驚くが、そういう感じか 追いかけてるなー、みんな。
映画や映画人にまつわるエトセトラを細かくチェックしてますね。
よく考えたら、おれなんか最近は本屋にすらまともに立ち寄ってないからついていけん。 蓮實重彦と四方田犬彦の原節子についての批評態度の違いは、
極端なテクスト論的な立場に立つか、
作品制作の背景、表現者の置かれた歴史的状況、等を無視できないとするかの違いですから、
案外大きい問題だと思いますけれどね。 福田和也のような、ひとつの対象にそれぞれ矛盾する基準を導入して叩いたり持ち上げたりするような芸当ならビートたけしにでも出来るけど
それをやるかやらないかは倫理にかかわる。
福田やたけしみたいなやり方は清濁合わせ吞む複雑怪奇(チャランポランなようで知的で人間味豊かな?)な人間のように見せかけやすいし、いったんそこにハマると非常にラクだけど、それをやっちゃおしまいという考え方もある。 ソンタグなどは、「反解釈」のころはテクスト論的だったものが、
「土星のしるしの下で」のころになると、「ファシズムの魅力」というリーフェンシタール論に顕著だけれども、歴史的状況重視に変わったものです。 ダンカンさんよ、サウナのマスターは、三浦友和にしてください。 >>366
> ひとつの対象にそれぞれ矛盾する基準を導入して叩いたり持ち上げたりする
それが普通の健全なありかたじゃないか
そういうのを嫌う潔癖さは異常 >>369
マツケンは最後のクライマックスがマツケンのライヴ会場での銃撃シーンという重要な役所で起用したいですね
ライヴ→ドンパチの流れで
サウナのマスターは日景忠男に打診したかったんだけども、亡くなってた 金井美恵子は永遠のヴァージンでしょ
原節子より、金井
パンフレットに寄稿してもらうつもり 日常の言動が本人の意識を越えて矛盾に満ちているのは当たり前だと思うし、そんな事を責め立てているわけではない。 おれさ、NHKの受信料が高いなーと思う理由の一つが地上波とBSで四つもチャンネルあるわりには映画の放送がいつも特定の作品に偏ってるよな。
受信料で賄ってるならもっといろんな映画をかけてほしいよ。 金井美恵子に加藤泰から映画出演の依頼があった時の話も面白かった。
つげ義春とか楳図かずおの話も。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています