【早稲田大学】渡部直己11【俺の女になれ】
花袋の蒲団と陳述書読み比べるのもオツかもね
表面的には紳士で通した花袋と下品そのものの直己 >>251
>>249に意味はないから意味をつかめたらおかしい >>253
249に意味が無くてどうする。
スガの「花田清輝の党」への強烈な批判になってる。
非自動化を半自動化に勝手に言い換えたところを見ると
あんたは例の群像文芸批評新人賞最後の応募者かな。
あんたはスガの取り巻きのラッキーストライクの仲間か? 花田清輝「笑の仮面」(「笑い」ではない)は、渡部直己編著『日本批評大全』にも収録されていて
そこには「フォルマリスト」渡部による、スガの花田論を踏まえた穏当な解説が付されている
「笑の仮面」は、確かに演劇論として読むことも可能だが、
そこで主題となっているのは1940年代に顕著なファシズム的プロパガンダの問題であり(小山榮三『宣伝技術論』からの引用あり)、
そのことを無視しては意味がない
なお、そこでの花田の「紋切型をもって、紋切型を殺す」という「異化」効果が、
シクロフスキーのオストラネーニエと相同的であるとはちょっと考えにくいが >>255
>>そこで主題となっているのは1940年代に顕著なファシズム的プロパガンダの問題であり
それはスガの「花田清輝の党」の見方そのものじゃないか。 ↑それが「笑の仮面」のまっとうな読み方だろう
スガが40年前に指摘した、今らさほど目覚ましくもない視点だ
「花田清輝の『党』」では、「笑の仮面」と同傾向のものとして、
中野秀人の戯曲「ヒットラー」をあげているのは、演劇論としても読めるということなのか
なお、ここは渡部スレなので言っておくと、渡部はベケットの名前を出している >>251
仮にスガのファシズム批判だったとしても
スガの片手落ちだと言ってる
日常なんて、疑っても信じてもファシスト国家のプロパガンダに結びつくじゃん
運動初期の段階では日常を疑えでも、運動が成功したら日常を信じろなんだから
個人としては素朴な演劇論でもいいと思ってるよ
むしろ、スガが花田の演劇論を批判した目的が分からないな >>257
ベケットがファシズムか、ゴドーを待ってるからだね。
さすが渡部先生と言わざるを得ない。
作者の死と言いながら、多様な読みに溺れなかった人物だけある。
しかし、「俺の女になれ」という発言や、
夏目漱石のこころを好きな本に挙げた学生を落とすと発言されたのはファシズムの兆候ではない。
それらは、彼が率先して範を示した哲人政治の現れに過ぎない。 >>259
「自明の理」以後の花田の劇作として1959年7月のNHKテレビ「就職試験」は異化効果の典型のような
作品だが、その異化効果の主である女性登場人物に「パパは一月ばかり前になくなったわ」と、「紋切型だわ」の
セリフがある。花田は1948年の夜の会やその後の総合文化の会を通した安部公房との交際で異化効果への関りを深
めて行った。
さらに、他でも花田は「ファルスはどこへいったか」で、ドライフールの概念を紹介してるが、これは紋切り型のア
ナログだろう。
まあ、今さら花田清輝など古過ぎて話にもならんだろ。
だが、劇作家としては花田は終始、異化効果の人だったといっても言い過ぎではない。 261はスガその他へのファイナルアンサーのつもりだが。 1940年に書かれた「笑いの仮面」の文脈から、戦後へと論点をずらしている。 >>263
261で、花田が「笑いの仮面」をどう見ていたかが
分かるはずだが。
君のような文章読解力のない人にも分かるように書
いたはずだが。 >>1
日本の小説批評の祖として曲亭馬琴を渡部直己が取り上げたのは渡部の悪洒落だろ。
[オモシロ史実]によれば、滝沢馬琴は若い頃、重い性病にかかり死にかけたと伝えられており、
曲亭馬琴(※)という作家名は、遊郭でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味で
ある「くるわでまこと」と読むこともできる。この本は渡部が自分の好色と曲亭馬琴の好色を
重ね合わせた洒落だろう。渡部の師匠・柄谷の「哲学の起源フィロソフィア―イソノミア」の
真似でもある。
渡部は自分の好色ぶりを洒落にするぐらいであって、渡部は少しも反省してないといえるw
〇〇の起源なんて題名からして、イカサマ臭い。 わ、渡部「私が川上未映子を見出したんです」wwwwwwwwwwww
川口晴美
@mizutori1
傍聴中、びっくりすることや笑ってしまいそうになること、憤りを感じることなどいろいろありましたが、
印象的だったことの1つは、渡辺直己被告が誰も訊いていないのに(なんなら「本件と関係ないので…」と
遮られたのに)、「私が川上未映子を見出したんです」と自慢そうに発言したことです。法廷で。
https://twitter.com/mizutori1/status/1571351421622308864
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) てか直近の「新潮」にも書いてんのかw
笙野頼子がキャンセルされてこいつが載るのもなんかなあ。
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/ 前例はある、今回も見出そうとしただけだ、ということで、本人としては筋が通っているつもりなんじゃないの?
しかし、傍聴までしているくせに姓を(わざと?)誤記したり、「自慢そうに」と一言印象づけるような形容をしてみせるところにこいつの陳腐な悪意も感じるね
結局敵味方関係なく似たようなレベルの奴らが集まるんだなとしか その女と同一人物扱いしてるわけねーだろアホww
知能がよほど低いのか普通の会話もできないね、なあブサイクよ NHKさまは絶対且つ偉大でありますから、全ての日本国民が受信契約を謹んで締結し、万難を排して日夜視聴しなければならないのであります。
NHKさまが■■■■■■■することはあり得ないのであります。 09/21 00時21壺 >>270
>>その女と同一人物扱いしてるわけねーだろアホww
その女って誰?
その女と誰を同一人物扱いしてるの?
君と会話するのはかなり、難しいと思う。 >>267
>>渡部「私が川上未映子を見出したんです」
川上未映子に関しては、むしろ渡部が川上の手管にはまったという疑いもある。
お互い好き者同士の渡部と川上はやったんかと聞くだけ野暮www 雑誌「新潮45」が杉田水脈の寄稿論文によるLGBT差別によって、休刊の目に遭ったことを
見ても、新潮社が統一教会と関わってた疑いはあるわな。杉田は統一教会の会合で講演をし
たことがあるから。柄谷、蓮實、絓秀実らの統一教会との関りが疑われてる中で、彼等と仲
の良い渡部を新潮社が見捨てないのも当然か。 統一教会と日本の文壇の主力との関りが始まったのは何時頃なのか?といえば取り敢えず、
批評空間時代あたりか、それ以前ということになるだろう。 教授「俺の女にしてやる」肩・背中にも触る…論文や進路へ影響不安、学生逆らえず沈黙
4/2(日) 5:00配信 読売新聞オンライン
私的交際を強要し、体を触る――。読売新聞の国公立大学への調査では、過去5年間で78人の教授らがセクハラやわいせつ行為で懲戒処分を受けていたことが明らかとなった。全学生の8割が通う私立大学でも同様の問題が起きているとみられ、専門家は「表に出ている被害は、氷山の一角だろう」と指摘している。 【速報】「俺の女にしてやる」早稲田大学教授(当時)のセクハラ訴訟 教授側に賠償命じる判決 東京地裁
4/6(木) 13:13配信 TBS NEWS DIG Powered by JNN
https://news.yahoo.co.jp/articles/342e1cb151d834e3d99f333e091341c9216c6ba2 大して綺麗でもない人にセクハラして人生を棒に振った老害 いまニュースでその被害者の女性の姿を見た。
マスクをしていたので口元は見えなかったが、
目元を見た感じでは、美人のようであった。 年齢倍のジジイだよ 美人とか美人じゃないとか言う問題じゃないだろう。 名前と顔出てました。作家の方らしいです。
教授「俺の女にしてやる」肩・背中にも触る…論文や進路へ影響不安、学生逆らえず沈黙
4/2(日) 5:00配信 読売新聞オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/b82dfac78fb7e22a93afd0d72579f1c92aa7d56b Tシャツの前面に"俺の逸物が肉便器募集中"と書いて早稲田のキャンパスを歩けば、美女や可愛い子に囲まれるかなwwww 裁判て長いんだね…それで55万円じゃ割に合わんわ。まあ相手を社会的に追放するのには
効果的なのかもしれないけど。河出とかで仕事してんだっけ?あんまり意味なかったか。
女性が気の毒だけど、これに限らず大学ってハラスメント帝国だから、気持ち悪い思いしてる人たち
たくさんいるんだよね。なんとかならんかね。 ヤフーから来ましたw
高学歴もお盛んだなw
ナンパや出会い系風俗でやりまくったけど、社会的地位もあるのにハイリスクな職場で手を出すってこんな時代によくやるな
女が突然豹変する怖さを知らないんかな 読んでると苦笑するしかないし、しかし被害者本人からすれば苦笑じゃ済まない憤りが
消えないことだろう。あの先生も何やってるのかね。渡部みたいな物書きの本を
カネ出して買って読んでくれていた読者にたいする、また信頼していた学生に
たいする、また学生だけじゃない、いままで関りをもった文芸界の人間全体に
たいする背信だろう。
私は渡辺単独の本は買ったことはないが、渡辺直己、絓 秀実、柄谷行人の座談会や
渡部と柄谷の対談は自腹切って買って読んでいた。こういう女子学生を
自分の子分だか僕(しもべ)だかと同等にしか扱えない輩だとは。
そうなると当然今までの視方にも変化は出てくる。当然なことだ。
渡部にかぎらず、品性が低いのに大学教授という肩書のせいでいかにも清潔な
イメージを身に付けることができる。相手は「こんな肩書を持っている人が
こんな低劣な顔をしてこんな低劣なことを言うなんてどういうことだろう」と
ヘタすると「私に問題があるからこんなことをしているのかしら」などと
訝ってしまう。実はただ、いままではここで騒いではいけないんだと思い込んだり、
今回訴訟に出た深沢さんが最初相談した教員みたいに、自分が今の地位を
失いたくはないばっかりに、相談されても「あなたにも非があったんでしょう?
反省しなさい」などと言う輩に守られていただけだったりする。
知れば知るほどおぞましい。 実は私は数年前に哲学関係の研究会に何回か、アカデミズムの外から参加したこと
がある。そのときに、そこに並んでいた有名大学教授連ーなかには『現代思想』に
ときどき出てくる先生も混じっていたがーが、どうも尊敬するには当たらないのでは
ないかとだんだん思うようになった。そこでは海外の思想家の原テキストを大学院生に
翻訳させるという時間があったんだが。そのとき大学院生が苦労して訳すのを
どこか面白がっていじくるような、もてあそぶような、ニヤ付いた顔つきで教授は
つついているのを目撃した。みてて下品だなと思ったし、しかし大学ではこういう
師弟関係は当たり前なのか、と自分がおかしいのかと思わないでもなかった。
私も甘かった。
あと、そういう大学院生にむかって私が「〇〇の研究をすることというのは
あなたにとってはどういう重要な意味合いがあるのでしょうか」という至極
まともな、しかし初歩的な質問をしたとき、そこにいた教授たちがポカンと
しているのを視た。考えたことがないのではないかとそのときに思った。それは
ショックを受けた。そういういった諸々がつづいて結局その会には出なくなった。
今思い返して、大学教員というのが当初私とかが思っていたほどまっとうな人種では
なかった、ということだと思う。渡部に起こった訴訟も、ただいままで表沙汰に
ならなかったのがむしろ不思議なことだったんだろう。 三島由紀夫『青の時代』
〈彼(川崎)は真理や大学の権威を疑っていない。疑わない範囲では、彼はしばしば自分でも気のつかない卑俗さを露呈する。ところが滑稽なことは、疑わない範囲の彼の卑俗さが、疑っている範囲の彼のヒロイックな行動に、少なからず利しているかもしれない点だ。〉 >ハイリスクな職場で手を出すってこんな時代によくやるな
世代の違いでしょう。
おじいちゃんだからハラスメントをハラスメントと思っていない世代だよ。 事実上の性犯罪者だから監視対象でもう誰も近寄らんしな
教員なんか二度とできないし文芸業界人としても死亡 渡部も友人のスガ秀実も美人は好みじゃないんだよな。何となくだが、左翼の女は男に尽くすタイプが多いような。
逆に、高市、三浦、有本、杉田とかは尽くさんだろうな。上野千鶴子、永田洋子や重信房子とか、尽くすタイプw
ただし、尽くされる男はエロ川エロ吉とか権威者であることが条件。 渡部直己アワレ
女がみんなアレみたいに自分の誘いに乗るはずと思いこんだばかりに 渡部直巳 日本近代文学と差別
Amazonレビュー
ランドルト環
5つ星のうち5.0 表象=代行の支配と差別の問題一般について、また中上健次について考える上でも重要な示唆に富んだ本
2013年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治から戦後にかけて、部落差別問題を扱った小説群が、明治期の国民性の創出と大正〜昭和の帝国主義的融和政策を背景として、被差別部落に対する特定のイメージ・紋切型による表象=支配を連続的に反復しており、そうした物語の支配、同一性への回収に真に抵抗しえたのは大西巨人や中上健次などごく少数の例外を除いて殆ど皆無であったということを検証した日本近代文学史である。水平社と文学の関係、および水平社の戦前・戦中の天皇主義と民族差別についても言及されている。
渡部は、部落差別に限らず女性・障害者・民族等をめぐる解放闘争は文学と手を切るべきであり、文学は撲滅すべきものであるとまで断言するが、反差別闘争に関しては文学は何の役にも立たないという指摘はおそらくその通りであろう。 ≫渡部は、部落差別に限らず女性・障害者・民族等をめぐる解放闘争は文学と手を切るべきであり、文学は撲滅すべきものであるとまで断言する
これは正しかった。女性解放運動にかかわる人は、とくに渡部氏とは真っ先に手を切るべきだった。 改めて渡部直己の近年の発言をネットで読んだらけっこう面白いこと
言ってるじゃないの。↓
〈対談〉渡部直己×斎藤美奈子 「批評よ、甦れ──『日本批評大全』刊行によせて」
https://www.bookbang.jp/review/article/525791
「男性の学生には期待が持ちにくい。女性の学生のほうがずっと利口」とか
「女性は優秀さの表現が上手くなってきた」とか女性に期待しているを匂わせる発言も
してるんだが、ああいう事実が指摘されてしまうと全部支配欲や恋愛と関連づけて
受け取られてしまう。アカデミズムの閉鎖性で対人的な礼儀やフェアな感覚が
鈍麻していたとしか思えない。弟子を女性として好きならよけいに
自己の職分を利用して接近してはならないし。そのへんで実はいまだに男性中心社会
で培われた男尊女卑が払拭できてはいなかったんだろうね。もっとも
日本社会の男性にはいまだに男尊女卑は残っている気がするし、いつ自分が
加害者になるかわかったものではないんだが。
いずれにしろ男権目線が少なくとも払拭されているかのような発言を
上に引用した対談ではちゃんと渡部はしているし、その渡部が今回のような
訴訟の当事者になったというのは深刻だし、頭ではわかってはいても
実際の日常では払拭できていない例があるということだし、他人事ではないと思う。 哲学板柄谷スレで、柄谷著『倫理21』を文字って
同先生について「倫理ゼロ」と評した人がいて、うまいこと言うな、と思った。
大澤真幸の例もあることだし、御大だけでなく、批評空間グループが、倫理ゼロだったというのが、
ほぼ証明されたといえるのではないか。 >>297の書いていることが何なのか知らなかったので検索したら以下のような
文面が出てきた。
https://ryusuke.hatenadiary.jp/entry/20090917/p1
まったく知らなかったので驚いたが。渡部にしても大澤にしても、
言論のうえでは良いことを言っているときがあるのに、
いざ自分の身の回りの人間関係になってくると、旧態依然な
封建的かつ反-人権的かつ差別的であった、というのが見えてくる。
残念ながら。 >>299
>>http://ryusuke.hatenadiary.jp/entry/20090917/p1
給料や生活費または現物が一切支給されない大学の教員と、学部生や院生らとの関係を徒弟制度と呼ぶのはおかしい。 渡部は口封じしようとしたI川や、セクハラなんてこと全然知りませんでしたと嘯いた川Kらと手を切ったのだろうか? 渡部直己からセクハラ被害を受けた女性は心理学者のユングに傾倒してて、柄谷や浅田と仲の良い
渡部はフロイト―ラカン派だったはずだが、渡部はしょっちゅう、この女性を罵倒してたというが、
女を罵倒することが渡部の性的快感になってたんだろう。渡部の盟友のスガ秀実も初対面の柳美里の
小説を貶す一方で、柳の頭を撫でて愛撫しながら、「ヘアヌード写真集」を出せば、顔も良いし受けるぞw」と
のたまったらしいが、この場合も、女を罵倒することが明らかに性的快感と結びついてる。
渡部の被害女性は元々が堀江敏行のゼミに入りたかったらしいのだが、敢えてその女性を自分のゼミに入れた
ことも、渡部自身を嫌う女を無理やり自分のゼミに引き入れ、罵倒し尽くして女をヘロヘロにした挙句、犯すと
いうのが多分、渡部直己の定番のやり口だったに違いない、違いないwww
すが秀実は柳の頭を撫でて、柳のアッパーカットを食らい、スガのメガネは吹っ飛び、眼鏡を拾ったスガはスゴスゴ
店を出て行くことも無く、隅の席に移動www
渡部の場合は相手女性の主体性を踏みにじることが渡部の性的快楽なのだ。渡部はそこからセックスに繋げる。
つまり、真に実質的なレイプだ。 >>302
>>渡部の場合は相手女性の主体性を踏みにじることが渡部の性的快楽なのだ。渡部はそこからセックスに繋げる。
つまり、真に実質的なレイプだ。
これは議論に勝利した後は、議論に負けた相手をボコボコに殴って構わないという全共闘時代頃に一部で流行ったルールだと思う。
そういう負の遺産を渡部やスガ秀実は濃厚に引きずっていたと思う。 >>303
>>これは議論に勝利した後は、議論に負けた相手をボコボコに殴って構わないという全共闘時代頃に一部で流行ったルールだと思う。
そういう主体性絶対主義が崩壊したのが、連合赤軍リンチ殺人の発覚だったろう。
そこから、ポスト構造主義やポストモダニズムが流行り始めた。
だが、渡部やスガ秀実の例を見て分る通り、アカデミズムの陰湿な土壌で全共闘の古いウイルスはセクハラ、エロハラとして生き残っていたwww >>302
被害者の属性をあれこれ書いている時点で無神経な卑劣漢にしか思えない >>302
>渡部の盟友のスガ秀実も初対面の柳美里の
>小説を貶す一方で、柳の頭を撫でて愛撫しながら、「ヘアヌード写真集」を出せば、
>顔も良いし受けるぞw」とのたまったらしいが
>すが秀実は柳の頭を撫でて、柳のアッパーカットを食らい、
>スガのメガネは吹っ飛び、眼鏡を拾ったスガはスゴスゴ
>店を出て行くことも無く、隅の席に移動
こういう舐めた行為のすえにぶっ飛ばされてぶざまな恥を晒すところが
スガさんの憎めないところだよねえ。恥かいてもまだその場に居たっていうのが。
さっさと恥ずかしいから帰ればいいのになにかまたセコイというか(笑)
渡辺も「俺の女になれ」と職権を利用して勘違いな言動を宣う瞬間に
女子学生からキンタマに蹴りでもくらってのたうち回っていたら、
まだ訴訟になるよりマシだったかもしれない。
しかしバカだねえ。 >>306
>>こういう舐めた行為のすえにぶっ飛ばされてぶざまな恥を晒すところが
スガさんの憎めないところだよねえ。恥かいてもまだその場に居たっていうのが。
さっさと恥ずかしいから帰ればいいのになにかまたセコイというか(笑)
柳美里に拳骨パンチを顔に食らって、益々、柳を性的に征服してやるというファイトが湧いたんだろうwww
スガ秀実「柳よ、この仕返しはエッグーイことになるでぇ〜〜〜www」 柳美里は最近顔を手術して入院中だから、スガは花束もって見舞い行くべし 哲学板柄谷スレ
531考える名無しさん2023/04/09(日) 01:37:55.850
吉永剛志 @take4luckylong
5h
俺とか2006年の柄谷行人近畿大学最終講義で質問したら
「くだらない事言ったらぶんなぐる」と公開で言われたけどな。
今じゃこれもハラスメントだ〜精神的苦痛を受けた〜と大騒ぎになるのか。
あと大学は終わったと言っていたよ。
質問内容は柄谷のカント擁護は、ヘーゲルの批判に耐えられるのかというもの スガの卑劣さを克明に晒したのは俺が初めてであって、その俺の功績に対して卑劣というお前こそが卑劣でなくてなんだ。 すがと渡辺て、低学歴で日本語もフランス語もドイツ語も読めない
こんなのを珍重する一部メディアや大学がおかしい >>311
卑劣と言った理由を書いてあるのにその点には触れていない
やはり卑劣 >>305
>(302は)被害者の属性をあれこれ書いている時点で無神経な卑劣漢にしか思えない
302は渡部被告との関連で原告女性やまたスガとの関連で迷惑した柳のことを
書いてはいるが、それによって暴露されては困るようなことプライバシーには
触れてはいない。
よって302には問題はない。
また卑劣漢でもない。
余計なまぜっかえしは不用。 >>314
>渡部直己からセクハラ被害を受けた女性は心理学者のユングに傾倒してて
渡部のセクハラと何の関係があるの?不要な記述 渡部直己事件は東京で起きた超低レベルの文壇的事件。 渡部には「川上未映子を売り出したのは俺の功績」という自負があったらしいが、そういうスターシステムは早稲田大学文学部特有の風土でも会ったろう。
大学はそういうことをするべきじゃないんだよ。 坂本龍一氏がテレビCМで宣伝していたエクソルが森林を伐採をしてメガソーラー発電所をたてたこと、
そして、坂本龍一氏が代表を務めていた森林保護を目的とする一般社団法人に協賛しているのが神宮外苑再開発を行う伊藤忠グループの会社であること、
坂本龍一というのは、ちょっと考えられないような人だとあらためて思った。
被害者女性にはまことに申し訳ないが、渡部直巳は、他愛ないといえなくもない。 わたしは、小池都知事が好きなわけでもなんでもないが、
坂本龍一氏の手紙に対し彼女がしらけた返事をした気持ちも理解できる。
おもうに、小池氏は、元キャスターですから、マスコミ商売人同士、坂本氏がたいがいどういう人か、
よくわかっていたのではないでしょうか。 >>322
>>被害者女性にはまことに申し訳ないが、渡部直巳は、他愛ないといえなくもない。
「他愛ない」には、無邪気さが要るんだよ。
爺がチンコギンギラにして他愛ないはない。
お前は恋愛無罪がキャッチフレーズのスガ秀実の阿保ボケカス。 大学での上下関係を利用してドスケベ行為に及ぼうなんてサル山のサルと変わらん
変態は駆除するのみ 昭和の豊かな時代ならいざ知らず
もう文芸業界も大学界も国全体も衰退してるんだわ
こんなエロ爺とその仲間を飼っておく余裕はもうない ≫「他愛ない」には、無邪気さが要るんだよ。
渡部直巳の場合、無邪気ではないだろうが、幼稚で愚かではあるだろう。
坂本龍一は、やはり文化人としては大物であって、
大衆をうまく操って、美名のもとにアブク銭を得ることにたけており、
手口やり口は高度だった。 「俺の女になれ」と言うなら、容姿や年齢や財力はともかくとして、最低でも精力に自信が無いと言えんだろw
ほんま、人は見かけによらんwwww 坂本龍一は矢野顕子との離婚後ずっと独身だったよな
かなり女関係は左翼らしく派手だったらしい ttps://news.yahoo.co.jp/articles/fba0f93c26accb3b80567890fdd8add50fddb9b2
>そういえば、好きな作家を問われて連城三紀彦の名前を挙げたぼくに「こんなバカが俺のクラスにいるなんて信じられない。単位ならやるから出て行け」と暴言を吐いたこともあったな。渡部氏だけでなく、ぼくに一瞥もくれずに暴言を黙って聞き流す学友たちにも失望と幻滅を感じたものだ。
そりゃ罵倒する方が誠実だろう。絵画専攻に「セザンヌ分かりません」なんてやつが来たレベルだぞ。 >>331
村上春樹を馬鹿にしていたのは正しかったからな
しかし中上健次なんて押しているようじゃあ連城三紀彦のほうがはるかに面白いわけで 小説家デビュー当時の川上未映子は渡部直己の「俺の女」だった
味をしめた彼は次もと及んだが、見事に失敗した キャンセルカルチャーは必要だと思うのだが、
わたしとしては、階級意識をないがしろにしたそれは無益だと思う。 >>333
連城三紀彦なんかスカスカの文体でまるっきり評価できない
大江、古井、中上が現代文学の至高の存在
キミに文学は理解できないよ >>336
連城には援助交際とか新しい風俗やそれに関わる女達を描いてるのを魅力と感じる人も多いんだよ。
連城のスカスカの軽さが魅力になる場合があるんだよ。 >>326
渡部セクハラ事件とは要するに、どんなに生涯に渡り膨大に本を読もうが、如何にもそれらしい
高邁な文芸批評をモノそうが、そうしたスノッブな虚飾を剥ぎ取ればそこにはただの女好きの
つまらない老人がいただけだった、それだけの話でしょう。
だから周囲も粛々と「渡部さん(くん)、やらかしちゃったね、あとは公的な裁きに身を
委ねるしかないね」」と冷笑して突き放せばそれで良かったものを、なぜか妙に庇うような
仕種を見せたり、逆に被害者側を傷つける様な言動を行ったり、、
こうした絶望的な迄の鈍感さって何なんだろうなあ、、
まあ「読書」「文学」「教養」「大学」など所詮は何の役にも立たない閉鎖的なスノビズムでしか
なかったんだなあ、、少なくとも日本ではね、、
日本の読書人・教養人は遠い安倍晋三や岸田文雄の悪口は言えても、近い「慰安婦像に
ザーメン掛けろ」筒井康隆や「セクハラ魔王」古井由吉・渡部直己の悪口は言えない。
所詮は全てはただのスノビズムでしかなかった(´・ω・`) 人間は誰でもそんな存在だろ
口では倫理的なことを言っても、やることは下卑たことばかり
言行一致の素晴らしい人間なんて、イエスか釈迦くらいだろうが
エラソーなことは言うなって >>341
「エラソーなことは言うなって」
渡部に対しての言葉なら同意 渡部直巳のやったことは、不法行為であり、また道徳的にも当然悪い。
しかし、大は石原慎太郎、中は坂本龍一、小は柄谷行人、
著名文化人のこういう政治性をもった利権目的の欺瞞のほうが、たとえ法には触れなくとも、
罪責は大きいと思うのだ。
キャンセルカルチャー一辺倒になって、
『悪い奴ほどよく眠る』という傾向をより強めてしまうのは良くない。 >>342
アホか
その言葉は>>339に向けられたものだ
文脈を読み取れないヤツは疲れるな >>345
「お前のレスには非同意」という皮肉だよ、馬鹿が。 @harvest20210909
<渡部直己:男根中心主義者の成れの果て>
1.
天野は20年以上前に渡部直己(敬称略)の授業を受けたり、話をしたりしたことがある。
「恋愛感情を抱いていた」女子学生への「一度きりのあやまち」という本人弁が、
実態を語るのに不足していることは書いておきたい。
2.
渡部直己の言動は、中年男性の性欲に駆動された男根中心主義に満ちている。
「(多和田)葉子、(川上)弘美、(松浦)理恵子は良い作家だよ」と、
女流作家をなぜか自分の愛人のように下の名前で呼び捨てにしたり、
性的絶頂を登山に重ね合わせた艶歌…
3.
…「天城越え」をカラオケで女子学生に歌わせて、上機嫌にニヤついていたり。
批評の現場でも、「不思議の国のアリスは大きくなったり、小さくなったりした挙げ句、
大量の水(涙)を放出するので、ペニスである」という珍説を披露したこともある。
(「視姦の国のアリス」『読者生成論』)
4.
だが本人は、自身の男根中心主義が言動を歪めていることには無自覚だ。
読者を多様な読みへと誘うはずの批評理論の数々も、
渡部直己にかかれば、優越感を味わうためのマウント材料でしかない。
難解な批評理論を理解・実践できない作家や学生には「バカ」「田舎者」の罵倒を浴びせる。 5.
では渡部直己自身の研鑽度はどうかというと、アカデミシャンとは違って、大いに勉強不足だ。
「俺は(初期ナラトロジストの)ジャン・リカルドゥーのタネ本だけで10年ももった」
というみっともない不勉強自慢をよくしていた。
せめてフェミニズム批評くらい勉強しておけば、結果は違ったのに。
6.
「俺様ランキング」で下位の作家や学生には、侮蔑や罵倒をもって応対するのが常であり、
政敵の村上春樹に、「中心に空虚があるので、春樹の作品世界は天皇制と同じ」
という無理筋の批判を執拗に続けたのも問題。
下記「バカは教室から出ていけ」はアカハラそのものだ。
7.
渡部直己のセクハラ・アカハラ体質は、
彼の批評意識の低さとも有機的に結びついているというのが結論。
実は天野にとって渡部直己は、同じ平岡篤頼ゼミの遠い先輩。
専門が近く、近著にも目を通しているので、
彼が絶滅に瀕している文芸評論界では屈指の実力者であることも、よく承知している。
だから彼が今回の社会的制裁の意味を骨身に沁みて理解し、根深い男根中心主義を廃して、
第一線の知的研鑽を重ねて再起することを願う気持ちがないではない。
いずれにしろ、今回の勇気ある告発が、被害者側、加害者側、社会全体にとって、
最善の転機となることを期待したい。
2023年4月18日 この糞爺大嫌いだし、こいつの党派で靡いてる子分批評家どもも大嫌い
そりゃ人間は幸せになりたいものだし性欲もあるから女が欲しがるのは仕方ない
が、そんなんなら潔く女を買えよと思う
権力をバックに女学生を買うというセコさが実にくだらん
それこそそういう煩悩と罪状に右往左往する自我を小説にでもすりゃいいのに
それもせずに(創作講義を説いちゃいるがどうせ自分じゃ書けねえんだろ)文学の未来だのあるべき文学だの大上段から裁くのはお好きと
文学の終わりどうこう以前にまずお前自身を何とかしろ
こんなんだから文学やアカデミズムの評判が悪くなるんだ 平岡篤頼に指導された小川洋子について渡部直己はどう評価しているのかな? フェミニズムをインストールしても植村恒一郎のようにとんでもない方向に突き抜ける人とかいるし 藤島ジュリー景子社長でさえ「業界が特殊であるという甘えを捨て」って言えるのに
こいつほど業界の特殊性に守られている奴もそうはいないだろう
あと大澤真幸あたりか
どの面下げて講釈垂れてるんだか
文芸業界は芸能界以下 渡部や市川は文壇を芸能界にしたかったんじゃないかな インポテンスで早漏とかは限界。介助あって笑える。天啓発。 弁証法の方のように おっぱいある こどもある と少しずつ進むと飽きない多産。 ttps://amjls.jp/conferences 『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』書けなくなった批評家を救ったもの
首藤 淳哉 2023年5月7日
90年代からゼロ年代を通じた福田和也の活躍ぶりは、
まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」という言葉がぴったりだった。
「月300枚書く」と本人が言っていたように、文芸評論や時事評論、エッセイ、コラムを書きまくり、
ワイドショーのレギュラーコメンテーターを務め、文芸誌『en-taxi』を編集し、
母校である慶應大学の教壇にも立った。
当時、夜の街でもしばしば著者を見かけた。バリバリ仕事をしつつ遊びもこなす姿が眩しかった。
そんな破竹の勢いだった著者を、ある頃からぱたりと見かけなくなった。
たまに新刊が出ても、かつてのようなキレはなかった。
ある時、著者が家族を捨て、女性のもとに走ったという話を聞いた。
ゴシップの類だろうと思っていたが、『福田和也コレクション1』の解説で、
著者の親友である映画史家の伊藤彰彦氏がこの件に触れていて、本当の話だと知った。
もっとも、女性に入れあげた中年男性の話など珍しくも何ともない。だが事態はもっと深刻だった。
どんなに暴飲暴食をした後でも、ひとたび原稿に向かえば、これまでに読んだ本や、人と交わした会話、
子供の頃の記憶などから、言葉がどんどんやってきて、それを交通整理するだけでよかったという。
だが今、その循環は完全に断たれている。長年の不摂生は心身に深刻なダメージをもたらし、
80キロを超えていた体重が30キロ以上落ちたという。
村上春樹は『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、
「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなければならない」と述べている。
文学は目を背けたくなるような人間の醜い部分も扱う。
書き手に基礎体力がなければ負のパワーにやられてしまう。
若い頃に肉体をないがしろにしてきた著者は、まさに今、肉体の報復を受けている状態にあるという。 結局はガキしかオルグできなかったゴミってとこだな
批評共々体質的な人間なんだから和姦に持ち込める才能がない時点で終わってる 白江幸司
SNSでは、若い人が醜悪な発言をしても、吊し上げられることがあまりなく、放置されて済まされることが多い。
2023年6月20日
山下達郎のジャニーズ擁護も、スガ秀実周辺の若手〜中堅がこぞってスガを称えるのも、
恩顧や義理などの「仁義」によるものなので、
天皇制より仁義縛りのほうが人を規定するのでは?と思いを馳せる。
2023年7月6日
荒木優太(新しい本がでたよ)
山下達郎に対する饒舌と比べて渡部直己裁判への沈黙を想うと、ちょっとくらっくらしてくるね。
2023年7月9日 スガ秀実の柳美里へのセクハラは彼女のグーパンチの返礼で眼鏡が飛んだことで帳消しになってるような。
メガネを拾った後のスガは隅っこのソファで一人酒に勤しんでいたというが。スガにとっての「主人と奴の弁証法」と柄谷の「交換」は
対照的だが、ライターは必ず、嘘を吐く。 >>366
>>成功体験が彼を狂わせた
渡部によるセクハラ→性交の成功体験の間違いだろ。 セクハラはレべ低丁度そのタイミングに社会のひずみが不幸。
悪霊生霊死霊退治はレヴェ帝。 出世しないで嫁少ないカネが余って若い女と遊んだとかはどうか。 >>299
全共闘くずれも大概だけど、"全共闘ではない"がアイデンティティだと、何もないから単純にメスの取り合いが前景化してるだけの文屋になるんだよな。
怒鳴ることに輪をかけて内容がなくなる。
業務内容ですらなく、趣味判断に過ぎん文体主義者の体質的な好き嫌いであそこまで威張るんだぞ?
才能がある面談者に君はここにいるべきではない。ってしっかり言える人は、その辺の権力性に自覚があるだけマシなんだなあと思った。 今話題の松尾潔とやらがこいつのゼミ生だったんだよな
ゼミでこいつに邪険にされてたことを暴露していたが、
この松尾って奴、ジャニーズの件もそうだが、
世間的に水に落ちてから叩く傾向が顕著にあるな >>347
>>批評の現場でも、「不思議の国のアリスは大きくなったり、小さくなったりした挙げ句、
大量の水(涙)を放出するので、ペニスである」という珍説を披露したこともある。
(「視姦の国のアリス」『読者生成論』)
これはギリシャ神話のペルセフォネが冥府=地底の王ハデスに誘拐されて、ペルセフォネの母デメテルが娘を追って探している内に、
エレウシニアの王の家に招かれ、そこでbauboバウボというjester(笑わせることを役目とする者)に出会い、バウボのメクリ上げた
スカートの中を見せられたデメテルは思わず、明るい気分を取り戻す。バウボの小像がこれ。https://en.wikipedia.org/wiki/Baubo#/media/File:Terracotta_Baubo_figurine.jpg
渡部はペルセフォネとアリスが地下に落ちたエピソードのアナロジーから、アリス=男根説を導き出したのだろう。 荒木優太 @arishima_takeo
ええー。
一段落したら渡部直己事件の総括的なことするのかと思ってたけど、なんかヌルッと終わってしまったな…。
いよいよどこも振り返らない事件になっちゃってるけど大丈夫なんだろうか。 早稲田文学が休刊したことの責任の一端が渡部直己にあることは歴然だろ。
老兵は死せず、ただ消え去るのみ。
柄谷にも言えるだろう。
論争でコテンパンにされたから、古い思想が消えるとかじゃなくて、それへの関心が薄れて行くだけ。 栗原裕一郎 @y_kurihara
『早稲田文学』に関しては、渡部直己事件の流れとはいえ、同誌制作総指揮と編集者が
作家を訴えるなんて異常状態にあったわけで、続いていたほうが不思議ではあった。
編集者が寄稿者をブロックしてたりしますし。おれのことですが(笑) ある小説へのこいつの解説読んだけど、酷すぎてゴミだった
その作品自体の読解じゃなく最後に別の作品を呼び出して無理やりなまとめ
こんなのが文芸評論家を名乗れる上にセクハラか 何の小説の解説?
具体的な対象を具体的に批判しないと、
お前は渡部のチンカス以下だぞw。
「読解」なんて無邪気に使ってる時点でお里は知れるが。 The Red Diptych
蓮實重彦が大江健三郎について書いた文章を読んでふざけんじゃねぇと思ったので、蓮實の原罪を断罪することにした
途中から渡部がボロクソに叩かれてるな 荒木優太 @arishima_takeo
今年一番印象に残った文学ニュースは、深沢レナさんの裁判がひと段落したこと
(といってもまだつづいているようだが)とそれに呼応するかのように『早稲田文学』が休刊になっちゃったことだな。
特に総括とかしないんだろうなと思うのだが、どうなんだろうね、今後文芸誌がフェミニズム特集とか組んだとして
上記の事件を華麗にスルーした上でやられても「えっ!?」とか反応しちゃう気がするが、過大評価なのかね。 佐野亨(1982年11月24日 - )
佐野亨 Toru Sano
映芸(もちろん現在の体制になってからの)に対して、僕は非常にアンビ
バレンツな感情を抱いているが、稲川方人さんにかんしては、いままでの
人生でもっとも危機的な状況にあったとき、そのことばにたいへん救われ
たという思いがある。だからこそこの件では失望したし、いまいちど考え
てほしいと思う。
2024年2月3日
岡田秀親
話を戻します
渡部直己の記事が掲載された映画芸術を読んで、私も加害者側しか取り上
げないのはどうかしていると思った。
荒井さんに双方の意見を聞く耳がないことは先ほど書いた過去の経緯でわ
かっていたが、当時にもいた稲川方人さんの意思はどうだったのだろうと
改めて思った。
2024年2月4日 「自分の箸で食事シェア」もセクハラ認定 元早大教授らに賠償命令
毎日新聞 / 2024年2月22日 19時41分
https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20240222k0000m040313000c/?tpgnr=poli-soci
早稲田大学大学院の教授だった文芸評論家の渡部直己氏から在学中にセクハラを受けたとして、元大学院生の女性(33)が渡部氏と早大に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(増田稔裁判長)は22日、渡部氏と早大に計99万円の支払いを命じた。2023年4月の1審・東京地裁判決から賠償額を約40万円増額した。
1審判決が違法性を否定した、食べかけの食事を渡部氏が自分の箸で女性とシェアした行為について、2審判決は、立場の弱い女性が食事に乗り気でなかった心情に照らし、「セクハラ及びパワハラに当たる」と認定した。早大の責任については、1審同様に適切な学習環境を提供する義務を怠ったとした。
判決によると、原告の詩人、深沢レナさんは15年9月に渡部氏が教授だった現代文芸コースに合格。17年4月に渡部氏と2人での食事中に「卒業したら俺の女にしてやる」などと言われた。相談した別の教授からも「あなたに隙(すき)があった」と言われ、18年3月に自主退学した。
早大は18年7月、深沢さんからの申告に基づき、渡部氏のセクハラを認めて解任した。【斎藤文太郎】 渡部直己は早稲田大学文学部卒の三浦凛理を愛人にして老後を過ごせば良いと思う 浮遊月
今日の道新。深沢レナさんのインタビューと併せて、渡部直己氏と早大の
コメントも。
https://pbs.twimg.com/media/GK5F7VjbUAAJPOl.jpg
2024年4月11日 偽日記@はてなブログ 古谷利裕
2024-05-01
⚫︎荒川修作は、下のような強い言葉を言う。まず最初に一撃を「かまして」くる。
この、まるで詐欺師のような「かまし」を、どのように受け取るのか、「かまし」
に対してどのような態度を取ればよいのか。少なくともこの35年以上、そのことは
ずっと頭にあり続けている。以下のアラカワの発言は、「季刊思潮No.1」(1988年)
より引用。
《僕が言っていることを知ることはできても、信じることはそう簡単にできないで
しょう。なぜならあなた達は学校やいろんな所で、時間とはどういうものである
か、空間とはどういうものであるか、大体教えられて、身をもって経験してきたわ
けです。この頭の中に完全に植えつけられているだろう時間とか空間の概念を変え
ない限り、あなた達には一つも救いがないってことを本当に知らなくちゃいけな
い。》
(追記。人生の危機にあって揺らいでいるような人の前に、偉そうなおっさんがやっ
てきて、自信満々に、「いいか、お前が今まで信じてきた常識なんてものは、全部
嘘っぱちなんだよ。まずそれをわからない限り、お前はこの先どうにもならねえ
ぞ」みたいなことを言い出して依存させようとするのは、完全に詐欺師のやり方
で、もう、その瞬間にその人の言うことは一切信用したらダメだと判断すべきだ。
個人的なことを言えば、ここまで露骨でなくても、少しでもカリスマ的な雰囲気を
出してくる人には、もう、即、心のシャターを下ろすという感じで生きてきた。ア
ラカワはまさにその典型なのだが、例外でもある。面白さが警戒心をはるかに上回
る。いや、しかし、ほんとに例外なのか ? 、うーん。みたいな感じで、「季刊思
潮」を読んで以来三十数年間、ずっと考え続けてきた。)
704文字 mixi
Lewis Carrollコミュのルイスキャロルのとてつもなさ
mixiユーザー
2006年07月15日
「地下の国のアリス」が始め「アリス」という他者のために書かれた物語であるということ
と、数学者(論理学者?)であるドジソンの手によって生み出されたものであるという2点
に非常に興味を持っています。
一方では、「少女愛好家」としての一面が強調され、その偏愛の結果としてアリス作品が見
られていることや、また数学者というのは実はあまり関係ないという見方もあるわけです
が、僕にはどうもそうは思えない。(まだ完全な主観ですが・・・)
少女愛好家な「だけ」の人物の作品がこれだけ多くの人を魅了するはずはないだろうし、
「数学」という自分の専門を無視して作品を生むはずはないだろうという気がしているので
す。
[2] mixiユーザー
07月23日
キャロルのロリコン説に関してはさまざまな見解があるため、
一概には言えないと思いますが、
『不思議の国のアリス』のテクストには性的表現の比喩と取れる箇所がいくつかあるみたい
です。
●きのこの上で自分の背丈を気にしている芋虫。
「caterpillar」は「cater・pillar」で区切ると「要求に応じる・柱」となります。つまり男
性器の比喩です。
●「stir」スープを「かき混ぜる」の他「興奮させる」という意味もある。
●体が大きすぎて鍵穴の向こうに見える庭に行けない。
大きすぎて入り口に入らない、という比喩。 [3] mixiユーザー
07月23日
>2.りつ さん
>『不思議の国のアリス』のテクストには性的表現の比喩と取れる箇所がいくつかあるみた
いです
日本では渡部直己も、同じようなことを言っていますが、こんなものはこじつければ、どん
な文章表現作品にも見つかるものでして、フロイト風解釈の悪影響そのものでしょう。
>「caterpillar」は「cater・pillar」で区切ると「要求に応じる・柱」となります。つまり
男性器の比喩です。
これなんか、まさにこじつけそのものですよね。
1933年にAlice in Wonderland Psychoanalysedという短い論文が出ていますが、どうや
ら冗談で書かれたらしいこの論文から、本気にとって大まじめに論じた人が多かったようで
す。
ウィリアム・エンプソンなんかも、フロイトで解釈していますが、所詮はある時期までのア
メリカの流行に過ぎないでしょう。
>●体が大きすぎて鍵穴の向こうに見える庭に行けない。
大きすぎて入り口に入らない、という比喩。
くまのプーさんには、蜂蜜を食べ過ぎたプーが穴から出られない、というそのものずばりの
エピソードがありますが、ミルンでこういった指摘はないわけで、結局は性的比喩は、それ
をみつけようとするものの精神状態を現している、というほうが妥当かもしれませんね。
[4] mixiユーザー
07月24日
その渡辺直巳サンの授業で、
小耳にはさんだもので。笑。
確かに渡辺センセの精神状態はいつもエロかも。笑。 Χαιατο Ιοσιντα
四方田犬彦、女子学生には意識的か無意識かわからないけど教師に媚態を
示すのがいる(『先生とわたし』)とか、同じ東大のキャンパスで男子学
生が内ゲバで死んだりしてるのを知らず進振りのために成績のことばかり
気にしていた女子学生をキッチュ呼ばわり(『歳月の鉛』)とか、ときど
きアレな記述ある
2024年2月23日 今から数年前のことだが、わたしはある大学で講演をした後で、かつて駒場の文科三類で同じ学年にいたという四人の女性たちに話しかけられたことがあった。
彼女たちはいずれもその大学の専任講師や非常勤講師で、夫の転任に従ってヨーロッパで数年を過ごした体験によって共通していた。彼女たちは学生時代の
わたしを記憶しており、懐かしさも手伝って控え室にわたしを訪ねてきたのだった。四人のうち二人が、四宮と同じクラスだった。そこでわたしは、彼のことを
憶えているかと尋ねてみた。二人とも何の記憶もなく、それどころか同じクラスの学生が殺害されたという事件のことすら、まったく憶えがないといった。
文学部ではなく新設の教養学科に進学するため、いかに多くのAを獲得するかということで頭がいっぱいだった女子大生たちにとって、駒場寮のなかで労働問題を
汗臭く論じていた田舎学生の内ゲバ事件など、眼中になかったのだろう。わたしの目の前に立っていたのは、一様に小太りの退屈な中年女たちだった。
彼女たちは本当に区別がつかないほど似通っていた。
四方田犬彦『歳月の鉛』p.70〜71 >>400
こう引用した方がわかりやすいよ
今から数年前のことだが、わたしはある大学で講演をした後で、かつて駒場の文科三類で同じ学年にいたという四人の女性たちに話しかけられたことがあった。
彼女たちはいずれもその大学の専任講師や非常勤講師で、夫の転任に従ってヨーロッパで数年を過ごした体験によって共通していた。彼女たちは学生時代の
わたしを記憶しており、懐かしさも手伝って控え室にわたしを訪ねてきたのだった。四人のうち二人が、四宮と同じクラスだった。そこでわたしは、彼のことを
憶えているかと尋ねてみた。二人とも何の記憶もなく、それどころか同じクラスの学生が殺害されたという事件のことすら、まったく憶えがないといった。
文学部ではなく新設の教養学科に進学するため、いかに多くのAを獲得するかということで頭がいっぱいだった女子大生たちにとって、駒場寮のなかで労働問題を
汗臭く論じていた田舎学生の内ゲバ事件など、眼中になかったのだろう。わたしの目の前に立っていたのは、一様に小太りの退屈な中年女たちだった。
彼女たちは本当に区別がつかないほど似通っていた。
四方田犬彦『歳月の鉛』p.70〜 ああ失敗、恥ずかしい
四方田犬彦『歳月の鉛』p.70〜71
今から数年前のことだが、わたしはある大学で講演をした後で、かつて駒場の文科三類で同じ学年にいたという四人の女性たちに話しかけられたことがあった。
彼女たちはいずれもその大学の専任講師や非常勤講師で、夫の転任に従ってヨーロッパで数年を過ごした体験によって共通していた。彼女たちは学生時代の
わたしを記憶しており、懐かしさも手伝って控え室にわたしを訪ねてきたのだった。四人のうち二人が、四宮と同じクラスだった。そこでわたしは、彼のことを
憶えているかと尋ねてみた。二人とも何の記憶もなく、それどころか同じクラスの学生が殺害されたという事件のことすら、まったく憶えがないといった。
文学部ではなく新設の教養学科に進学するため、いかに多くのAを獲得するかということで頭がいっぱいだった女子大生たちにとって、駒場寮のなかで労働問題を
汗臭く論じていた田舎学生の内ゲバ事件など、眼中になかったのだろう。わたしの目の前に立っていたのは、一様に小太りの退屈な中年女たちだった。
彼女たちは本当に区別がつかないほど似通っていた。