サルトル「存在と無」

カントのいう非時間的な自由が、ここで我々が考察している自己時間化する自由の代わ
りを務めることは絶対に不可能である。というのも、カント的な自由は現象的世界の外に留
まっているのであり、アプリオリな判断の純粋に総合的な作業は自分自身にとって見通せな
いものであり、みずからの根拠を自己自身の外に有しているからである