サルトル
「カントのいう非時間的な自由が、ここで我々が考察している自己時間化する自由の代わ
りを務めることは絶対に不可能である」

ラカン
「<法>を実現することにおいて意志に対してその対象を保証するために、
カントは対象を物自体の思考不可能性へと送り返さざるを得なくなっている。
サド的経験ではこの対象が、その接近不可能性から降ろされ、
拷問執行者の現存在(Dasein)としてあらわになっているのではないだろうか。」

サルトルのいう「自己時間化」というのは
ラカンの言う「現存在」と同じ意味ですよ。
現存在の存在が(本来の)時間性、だということは、
「存在と時間」についての解説書のどれを読んでも
例外なく書いてあるのでわかるでしょう。