ひじょうに、雑ないい方になってしまうが、

プラトンにおいては分離していた「形相」と「質料」を合一させるために
アリストテレスの導入したのが、
「可能態(デュナミス)」と「現実態(エネルゲイア)」
という時間と運動を基礎とした概念

とりあえず、(サルトルが理解したような)カントがプラトン、
アリストテレスがヘーゲル、という風に考えれば、
それほど的外れではないと思う。
可能態→現実態、というは時間で、感性界のことなのだが、
質量と形相というレベルで見れば、それは非時間的で超感性界のこと、
といえると思う。