この伝統的存在論の展開によって内的・外的自然が統制されていく結果、「欲動」を過
剰なまでに抑圧した合理的な科学技術文明および組織資本主義が成立する。過剰なまでの
合理化や組織化から人間の欲動を解放し、かつ解放された欲動によって崩壊に至らない文
明の可能性をマルクーゼは探求していくことになる。したがってマルクーゼは、文明によ
る欲動の抑圧によって人間の存在が脅かされており、この欲動の過剰な抑圧や組織化の端
緒は、ギリシャ哲学における人間存在のロゴス的規定にあると考えている。
なるほど、欲動の抑圧というフロイト理論を媒介に、マルクス主義的な視座から組織資
本主義や科学技術文明批判を展開する『エロスと文明』は、マルクスとフロイトの接合と
いうフランクフルト学派第一世代の1930年代の問題関心を第二次大戦後に引き継いでい
る。
しかし同書の根本的な関心は、要するに言語を用いることを人間の本質と考えてきた西
欧形而上学の解体というハイデガーの関心に貫かれてもいる。その一方、ハイデガーとは
異なりマルクーゼは、人間に内在するエロスの契機を存在の本質として位置づける。とい
うのも、エロスという人間の具体的な生への接近をハイデガーは『存在と時間』で重視し
ていなかったからだ。そこで次章ではマルクーゼが人間存在の本質をフロイトの欲動論を
手がかりに「エロス」として規定するその背景を説明する。