【群像☆】批評の新人賞が全滅!【すばる】
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新潮の評論賞が消え、群像評論賞も休止、すばるクリティーク賞も休止。
日本の思想は文芸批評が牽引してきた。
小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、柄谷行人、蓮實重彦、福田和也など。
どう思う? 三田文学新人賞がまだ残ってるぞ(なお10年近く評論部門の該当作出ず) >>2
そこって慶応大学の出版局から出してるんでしょ?
それもありなら、早稲田もやってなかったっけ?坪内逍遙賞は違うの?
まあ、芥川賞に候補作を恒常的に出してるような
五大文芸誌から評論新人賞が消えたってこと。つい最近まで三誌あったのに。
すばるクリティークのやつは平岡正明を題材としたラップみたいな批評があったり、椎名林檎論があったり、けっこう伸びると思ってたが。
少年ジャンプでボロ儲けしてるような大手・集英社こそが
商業的に成り立ちにくい批評を支えるというのが必然だと思ったが駄目だったか。
ジャンプとかも、あんまり売れてないのか?鬼滅一億冊というのは凄いと思ったが ポストモダンと言われた時期に嘲笑された大江健三郎が再評価されてきて
(この時期にサルトルが嘲笑されたのに似てる)
かつ、平野啓一郎とか綿矢りさのような
文壇アイドル(と言っても、もう年齢的には中堅だが)たちにも大江が評価されてるどころか、斎藤飛鳥のような正真正銘のアイドルからも読まれてる。
大江論を競い合うような形で批評ブームを再建できないものか。 先行批評を参考にしてね。
柄谷のアレゴリー論とか蓮實の数の祝祭とかの
『万延元年のフットボール』論とかを。 4,5,6などは無力な阿保馬鹿編集者の虫のいい考えかな。
お前らは月給20万円で十分だ。 962吾輩は名無しである2022/01/07(金) 11:27:46.80ID:E1y8g0zd
文芸誌みてきた。
文學界月評→水上文が就任。綾門氏はあと半年やるらしい。
すばるクリティーク→中心になってやってた編集者がすばるを離れる(異動?)ので
やめるらしい。 今の時代、まともな文芸批評家がいるとは思えない。
いまや冴えない出版社や純文学部門の子飼いの批評家しかいない、というのが世間の目だろう。出版社や編集者の顔色ばかりうかがって、自分の意見も堂々と言えなそうだから。
それは各賞の選考委員も同様。
だいたい経済力が無さそうだから、仕方ないか・・・ そういや東浩紀率いるゲンロンでやってた批評家養成はどうなってるんだ すばるクリティーク受賞作の村崎百郎論を読んだけどこのレベルのが選ばれるぐらいならなくていいやと思う
選評見ると全員村崎百郎のことを知らないのが功を奏したみたいだけどこの内容は大学生のレポートレベルだろう... >>10
前回ついにすばるで佳作かなんか出た
群像はたしか最終候補作にさえいけなかったはず 柄谷らが出した『近代日本の批評』シリーズ。
これは、日本の批評を海外に紹介するプロジェクトの準備として
出された座談会らしい。
しかし、柄谷はある日そんな意味が突然無くなったような気がして、このプロジェクトを放棄したそうだ。もったいない。批評が思想ジャンルとして確立されたかもしれんのに 実作者ほど批評家の数は要らんから
評論賞はオリンピックみたく四年に一度、閏年だけ開催すればいいんじゃないか。そのくらいがちょうどイイ >>7
しかし、戦前の漱石鴎外じゃ、今時関心持たれないだろうからなー
大江だったら、持たれる。
江藤淳は柄谷に「批評家は売れないと駄目だ」と言ったらしい。
作家なら売れなくても、いい作品書いてます、やりたいことやってます
で、通るけど、批評家はそうではない。
村崎百郎論じゃ、駄目だろうなー 村崎百郎論、自分は面白く読めたかな。生前の村崎の活動を知ってるけど、村崎の下衆で悪魔的な文章、思考がネットに凌駕されていくあたり90年代のサブカルを象徴してると感じた。
そのあたりって今まで誰も書いてなかったよね。 村崎百郎論、自分は面白く読めたかな。生前の村崎の活動を知ってるけど、村崎の下衆で悪魔的な文章、思考がネットに凌駕されていくあたり90年代のサブカルを象徴してると感じた。
そのあたりって今まで誰も書いてなかったよね。 レディースコミック漫画家の森園みるくの旦那だね>村崎
睦影なんたらという官能小説家と混同してた。 睦月影郎か。ムで始まってキで終わる名字と郎で終わる名前、似てるじゃないか。この人もケンペーくんなんていうサブカル?漫画描いているようだし
なんか区別つきにくい 批評家ってそもそもメシ食えるのかな?
すばるの大澤とかも日本映画大学の職がなかったらまともに生活できるのだろうか? 批評でメシ食えてるの、大学教員以外だと、東1人くらいしか日本にはいないイメージ
古市を一応無理矢理批評に入れれば古市もか 成績優秀だったらしいが高卒の三浦雅士でさえ立教で特任教授
在野の批評家というと
吉本隆明以外はあんまり聞かないね 宇野常寛と古谷経衡って
ともに北日本(東北と北海道)出身で
ともに1980年前後生まれで
ともに立命館大学で、ツネヒロとツネヒラって
出来すぎてないか?
ツネヒラ・ツネヒロって漫才コンビ結成すればいいのに >>20
小山田事件がきっかけと見られがちだけれど、実は
数年前から90年代の鬼畜系カルチャーへの関心が高まってはいたんだよね
香山リカ「ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論」(2019)とか、
ロマン優光「90年代サブカルの呪い」(同)などの本が出てた。
最初のきっかけは雨宮処凛のコラムらしいが↓
https://togetter.com/li/1322020 あとはwikiのページが謎に充実し出したのもあるか。 >>30
もっと古いと思う
少なくともヘブンとかビリイには遡れる 群像新人評論賞最後の受賞者曰く「群像新人評論賞は復活を狙ってるみたいですよ。その復活条件をつくるのは、私たち次第なのかもしれません。がんばりましょう!」
ふむ。
https://twitter.com/clinic_hizumi/status/1479593115321528320
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) (傲慢の誹りを承知でいえば)12月7日に本屋で群像を手に取って「こんなんに負けたんか 少なくとも「シールズ論」よりは自分のヤツの方が絶対マシだ」としみじみ思った
先日すばるの「休止追従」の事実を知って、賞金50万に目の眩んだことをーーじゃなくて「上限60枚じゃちょっと」と思ったことを心底後悔してる
(恥の上塗りで告白すると)「文学は社会とどう向き合ってきたか」というのが私の一貫したテーマだけど、んなもん「三田」に送っても多分ダメだろーな もう純文学で「コロナ」や「3,11」を取り上げることが出来るのって「おエライ大家」の特権でしかないのかな でもってそーいうのって結局(私の読解力不足かも知らんけど)「優等生の模範解答」
まあ「三田」は多分今後も(偏見かも知れんが)「該当作なし」が続くんだろーナ
>>34
三田は今まで評論賞は応募数1桁だったから該当作出にくかった
今後、行き場を失った作品が集まるから、受賞作出るようになると思うよ
みんな送れ! 36>>
どうもありがとうございます ただ今回改めてどういった評論が受賞作が検索してみて、(もともと応募者が少ないのだとしても)コロナや3,11をテーマにして送ることがホンマに出来るんかいなと心配になってもおります あと(大変失礼ながら)「応募数一桁」って三田のHPとかに出てたんでしょうか? 36>>
すいません アンカー付けるの失敗しました 恐縮ですが差し支えなければ上37番を御覧下さい 36>>
二度もアンカー付け失敗してすみません 差支えなければ37番をご覧ください(恥) >>36
何度もアンカー付け失敗してまことに恐縮です 正直「応募数一桁」がホンマなら9か月間改めて構想を練り直したいと思っているのですが、その情報HPとかに出てたんでしょうか? あと変な質問ですが選者達の中に「コロナ」や「3,11」である特定の立場を明確にしてる人っているんでしょうか? 群像の選者の中には正直特定の応募作品にあからさまに腹を立ててた人がいたので、(被害妄想的かもしれませんが)ちょっと気になります 三田文学と言うと
柄谷と中上健次の出会い
月下氷人は遠藤周作
異様な組み合わせ アマゾンレビューに載ってるような
良く書かれた批評を集積して
分厚い雑誌みたいな形態で出してみるとイイね
そういうところから何か始まる 北村サエの『批評の教室』が売れたらしいから
ニーズはあるのか >>4
>文壇アイドル
朝吹真理子も大江健三郎好きだね >>40
三田文学の応募者総数に出てますよたぶん
小説200〜300くらい、評論5〜10くらいと記憶してます >>45
どうもありがとうございます でもみんな(というか俺もだけど)大手の賞に「幻想」持ちすぎたかなぁ 失礼な言い方だけど一昨年群像評論賞取った人って、確かまだそのあと何も書いてないよな 来年の秋は(オレみたいな諦めの悪いバカが)三田文学に殺到するのかな? 間違えた 「今年の秋」または「来年発表の発表の」だ またミスった 「今年の秋」または「来年発表」です 何度もすみません 批評新人賞全滅のショックですか。
落ち着いて。
この際5大誌合同で新設したらどうかな。 本屋で読んできたところによると、
すばるクリティークの最後の応募総数は67人だそう。 >>20 >>30
すばるのあの論考、「村崎百郎(筆名)=鬼畜、黒田一郎(実名)=良識」っていう図式だったように思えるが、「鬼畜村崎の中の「コンプラと対立する良心」」にはあまり触れてなかったように見えた 単純につまらんとは思わんけどその点だけが残念 >>52
それは面白い
鬼畜系は、そこに苦しんでたように見えるので
反政府ビジネスとかのロッカーが苦しんでるのと同じような >>53
正直もろもろのサブカルの中でも鬼畜系には不勉強 だから今からいうことも検討違いな部分を含んでいるかもしれんが、村崎ってとても政治的な主張を(黒田としてでなくあくまで村崎として)してたと思う それってコンプラの信奉者からすればヒトラーよりあぶなく見えたかもしれん(あんまり覚えてないけど唐沢俊一との対談とかね) 私自身はニヤニヤしてたけど コネで受賞させたりしてきただけの、空気みたいな賞だし、もともとなかったようなもの。
コネさえあれば、だれでもとれる。
それにあきたんでしょう。 「努力」しないグータラが「コネ(という現実)」を口実にそれを正当化する それはそれで実に見苦しい そういう怠け者はコネがあってもどの賞も取れない 「批評」って結局のところ何なのっていう基本的な部分で未だに躓いてる
「批評とは何か」というテーマで書かれた書籍や文章を今まで色々読んできたが、
読めば読むほどに分からなくなり迷宮に入っていくような気分になる
「狭義の(文芸)批評」と「広義の(文芸)批評」なんて表現も
(特に柄谷やあずまんとか)たびたび目にするけど、それもイマイチよく分からない >>17
大江による「批評の再構築」に賛成のようですが、その場合大江や、他に柄谷や加藤典洋といった人々が「いかに文学を「政治」化してきたか」 特に大江が「ヒロシマ・ノート」で「被爆者の同志」なんて当の被爆者たちの神経を逆なでするような発言をして吉本隆明にど叱られた事実は、これからもタブーであり続けるんですか?
村崎百郎がダメなのだとしてもより鬼畜な「ポスト村崎」を探さなければ、結局当座しのぎにしかならないと思う、といったら言い過ぎでしょうか? >>57
深く考えるより
まずは好きな小説とか評論について
自分の思うところを書いてみればいいんじゃね
最初は軽いメモや感想レベルでも書いてるうちに批評っぽくなっていくだろう。 >>57
xとは何か、それは適当な用法しかない
プラトンが本質を探求したのが妄想、失敗
定義ってのは適当な便宜的指針でしかない
そう考えれば楽じゃね 三田新人賞のことだけど、よくよく考えたらやっぱ江古田文学とかと違って慶応出身の応募者が圧倒的に多いんだろうな(私は違うーー) 虫のいい話だけど今年の秋は慶応の人はみんな小説部門に「専念」して欲しい ダメか(笑) いわゆる大御所作家に頼ることしかできない批評はもう「批評」じゃない そしてそれはまた純文学そのものの「終わりの始まり」でもある 今後「小説」の分類はエンタメとSF(そして柔らかめのラノベ)のみになるのだろう 栗原裕一郎
@y_kurihara
·
9時間
『群像』は思想誌・論壇誌・総合誌化を目指していると思われるが、その過程が「文芸評論」の排除を含んでいるように見えるのが興味深くて観察している。文芸評論をなくしたって、創作を載せているかぎり文芸誌としてのアイデンティティは保たれるという心算なのであろうか(事実そうだろうし)。 出版社の顔色をうかがっているばかりの評論家なんて不要では!
小説の批評は、Amazonのレビューでも読めばわかる
読者の批評はよほど正直で率直だから すばるクリティークの最終受賞作が村崎百郎論で終わったこと、一昨年の群像評論賞が武田泰淳論かシン・ゴジラ論かで大揉めになったことのいずれも、純文学そのもの硬直化(無論全面的なものではないにせよ)に伴って「文芸批評」の内にいわゆるサブカルを取り込むかどうかの問題だったように思える 結果、もともとお荷物になっていた文芸批評は事実上大手誌からは消え去ったーー >>66
読んで面白いだけじゃだめかってかんじかな
リテラシーが基準に達してるかどうかとか >>67
私の群像での落選作、実はある被爆者のインテリについて論じたものなんだけど、書き出しは「被爆者としてのゴジラ」というオタな内容だった(そもそも個人的に核やヒロシマ・ナガサキに関心を持った大もとの理由が、小学生の時ゴジラを観たからだったせいもある) ともかくも「シンゴジラ」が最終選考までいってあずまんがそれを高く評価してたこともあってそうしたんだけど、やっぱ文芸誌でそれやっちゃいけなかったんだな 私のがホントに面白かったかどうかは別にして(すばるならよかったのかな?)(笑) 価値の最終的な決定者たる権威ある批評家という幻想があるんだよな
そういうのはこれからは必要ない >>70
近代批評を日本で確立した小林秀雄にしても自分が誠実に、
真摯に生きていく上で自分の尊敬する芸術家に命懸けでぶつかって
教えを乞おうとする様な態度で他者への命令的な批評ではなかったものね
尊敬がその根本にあるような批評がまた蘇るなら嬉しいね 中傷やシニカルな物言いが芸になったら、そりゃ終わるわ 北村匡平|新刊『アクター・ジェンダー・イメージズ』
@Kyohhei99
学生の書く論文に年々ポリコレ的な批評が散見されるようになってきている。もちろんこういう視点は重要。だが、これで批評したことになっているケースもある。それからフィクション=虚構/現実の境界がなく、映画が現実社会と地続きに捉えられ、どう描くのが正しくて何が悪かの価値判断も多い。
北村匡平|新刊『アクター・ジェンダー・イメージズ』
@Kyohhei99
加えて言えば、作品分析も「SNS的な切り取り批評」になっていることもあって(まさにTwitter的な文脈無視の批評)これは非常に心配。女性の胸や足を映したら悪。映画でいえばショットの編集など複数の要素で意味づけられるはずが、切り取り批評においては作家の批評性が徹底して見落とされてしまう。 >>73
北村氏の言うことを全否定する積りは全くないが、この部分だけに関する限り「このてのポリコレ・コンプラを振りかざした「批評モドキ」は昔からあった」という反問を禁じ得ない
その極北に輝くのが○江健三郎の「破壊者ウルトラマン」であり、あるいは〇実重彦の(こっちは昔じゃないけど)最近群像でやってた連載での「シンゴジラ」へのイデオロギー丸出しの罵倒である
誰でも老いるし最後は骨になるが、外見がいくつであれ、正直「心の老いぼれ」だけにはなりたくない
(無論他にも理由はあるだろうが)批評を衰退させた一因は、文芸誌やアカデミズムがリベラリズムのドグマ化を維持・強化し続け「心の老いぼれ」たることを読者や学生に強いたせいではないのか といったら言い過ぎかな? 追伸
まあ、この問題と関わる事実で一番ひどいのが(ちょっと古くなるけど)○波が「ちびくろサンボ」絶版にして他社が次々と追従してったときの「批評家達の(事実上の)沈黙」だよな いまはもういくつかの出版社が復刊してるけど(ただ個人的には「註釈(=お母様お父様方へ)」必須にすべきとも思うが) >>73
言いたいことは何となく分かる
社会反映論かジェンダー批評みたいなものばかりと言いたいのだと思う 実際には特定分野のことしか分からず偏見・偏愛に凝り固まってるだけの、(コンプラ・ポリコレという名の「模範解答」に従って)自分の専門外の物を口汚く罵倒するだけの批評家が権威者ぶるのは辟易だけど、単なる「感想」を越えた批評(=作品の内に「人の内面」「世間」「国家社会」etcを見出す)は出来れば残って欲しい まあもう無理だろうけど 柄谷の『終焉をめぐって』は優れた批評集だと思うな。
大江論(アレゴリーうんぬんの方)と春樹論の並びが良い。 「日本浪漫派批判序説」に目を通したとき、正直橋川は(「日本の橋」や「蒙疆」と違って)保田の「絶対平和論」(の農本主義的平和主義)に正面から向き合っていないと感じた
「静かな生活」で大江健三郎が大江光を単なる「お涙頂戴ヒューマニズム」のネタにして、障碍者と健常者との間に横たわる「隔絶」(これは丸山真男が自らの結核療養体験をもとにいっているのだが)には全く触れないという事実を論じない大江論に、一体何の意味があるのか私には分からない(えっ、そこそこカネになりゃそんなこたどうでもいいって?) さえぼーが
蝶のように舞い蜂のように刺せ
だってさ
カマのように掘れ
って言いたいんだろホントは。性欲おばさん 石原慎太郎が弟んとこ逝ったことで思い出したけど、昔○塚英司が某保守オピニオン誌で石原批判したがために同誌出入り禁止になったって、自分の主宰する「新○実」(休刊)で繰り返しボヤいてたことがある で○塚(ほぼ同じ考えのメンバーだけで凝り固まった)同誌の執筆陣の内、○台シンジが独り改憲論ブツとそこでまたグダグダいってた まあ現実にはなかなかムズイんだろうけど、大きなサル山であれ小さなサル山であれ、その中だけで吠えててもしゃーないんだよね
ところで今回上のレス見て、大江ファンでも5ちゃんの中ではリテラシー無視した差別語連発するんだってことがよく分かった 昔○江良介(某社元社長・故人)がある在日の編集者から「差別問題を思想的に利用すんな!」と反発されていたのが思い出される この80の人、大江本人やその息子の前でも「○タワ」とか使うのかな? すいません 「○塚英司」の「英司」を「英志」に訂正します >>81
5ちゃんみたいなとこでも派閥できたりするからね
自由に話し合うのは結構むずかしい >>84
亡くなってすぐの人にあれこれゆうのもホント品がないけど、石原も大江同様政治的党派性に凝り固まってたよね 激情型と慇懃タイプのどっちがまだいいかってのは人それぞれだけど
ただ石原のいわゆる問題発言は反対の立場からの「政治的」批判(てか批難)に晒されたけど、大江の被爆者や障碍者(の息子)への「上から目線の同情」を「文学的に批判する」人はほぼ誰もいなかった このスレのタイトル「批評の新人賞が全滅」だけど、少なくともこの「見せかけの憐み」をテーマにした文芸批評は、そもそも我が国には初めっから存在しなかった >>85
政治って調整妥協ですよね
大江さんはなんかな、小椋桂も同様の境遇だけどずっと自然でかっこいい
もっとも自分がそうだったら、大江さんほどもできないと思うけどね >>85
>「見せかけの憐み」をテーマにした文芸批評は、
>そもそも我が国には初めっから存在しなかった
磯田光一がそういうテーマの仕事幾つかしてると思いますけどね 左派の詭弁や偽善や皮相なら磯田光一は繰り返して批判したけど
「見せかけの憐み」のような85さんの求めるテーマにぴったりとは
当てはまらない気もしてしました、書き込んどいて何ですが
早とちりで御迷惑おかけしたならどうもすみません >>88
あえていえば「下下戦記」の吉田司と「友情」の西部邁かなぁ ただこの二人とも厳密には「純」文学ではないんだよね(前者はルポライター、後者は社会経済学者兼政論家) パヨク批判が必ずしも彼らがマイノリティを自分達の主義主張を正当化するための「広告塔」にしてきたという問題への批判に繋がらないのが悲しいところ
「見せかけの憐み」なるものへの批判的視点なら
初期作品である「他人の足」がまさにそうであって
作家としての名声を獲得していく過程でかつては自分が批判的に書いていた
偽善者に近いものになっていくところが悲しいですね
また、そういう自分に全く鈍感というわけでもないところがさらに悲しい
しかしこちらの方は欠点というよりは美点でもあるわけです
すくなくとも道徳的に愚鈍というわけでもないですから
たとえば太宰治だと大江のような他者批判よりも自己批判に向かうので
たしかに作品は輝くのだけど書き手の精神はボロボロになって終には破滅という結末になる
倫理的な攻撃を他人にはもちろん自分に対して行うのも考えものですね
そう考えるのなら、われらがわれらの隣人の罪をゆるすがごとくわれらの罪もゆるしたまえ
という言説はよくできていますよ 大江本人はなんだかんだ嫌いじゃないのよ
問題は彼の理論に依拠する左派言論人ね
大江のような才能もないくせに、文学を政治の手段として叩き棒にして
憚らない奴ら。 >>86 >>90
もう時効だと思うので書いちゃうけど、院で日本文学専攻してた頃梶井基次郎の「呑気な患者」やった時なんだけど、突然ゼミの教授(故人)が「私はマイノリティなんです」とだけ言ってそれ以降具体的なことは何もいわずじまいになったことがある あとで別の教授から障碍者の子供がいるって聞いたんだけど、正直子供の障碍を勝手に「取り上げる」姿勢に唖然としてしまった 私が大江が苦手なのは多分この教授のせいなんだけど、ただこの人基本とっても温厚だったんだよね
「悲惨」なのは、今の日本では(いや、多分日本だけじゃない)障碍者の親は自分の子を事実上「ペット」にすることでしかやってけないってことなんだけど、大江の子供でも何でもない被爆者や沖縄戦の生存者まで「巻き添え」にされちゃ、彼らも堪んないと思う >>91
その理屈だと畢竟昭和天皇に戦争責任はないってことになる ワタシ的には象徴天皇支持するけど、それと「道義的責任」のこととは別だと思う こういう擁護のやり方は丸山真男に対してもなされるけど、彼が晩年「本当の社会主義国を擁護する」って言い張ってたのは、どう考えても「無責任の体系」 でもまあ、マイノリティーとして米国大統領の地位にまでのぼりつめた男が
中東ではテロ対策として現地人一般を巻き込む掃討作戦を展開したり
国外ではそういう非道行為を平気で行っているくせに国内の黒人射殺問題で慟哭しているわけであって
理想主義として「核なき世界」を謳ったはいいのだけど
大した成果も出せずにその弁解のように広島まで行脚して被爆者や遺族と抱き合ったりするわけです
こういう欺瞞に満ちたエセ正義がはびこる世の中において
たとえば「アトミックエイジの守護神」のような作品をだして
道徳的エスタブリッシュメント層を下からスナイプしていくことは無効とは思えません
まあ、最弱者視点では同じ穴の狢のように映るのかもしれませんが すみません 93の「社会主義国」を「社会主義」に訂正します >>92
これを読んだだけだと、その教授が苦悩をちょっと吐露しただけで、悪い印象ないですけどね
>>93
丸山は頭脳明晰だけど詐偽的で信用できない
日本政治思想史の目的的ご都合論証は酷い
まあ、時代に対する皮肉なんだろうけど
あと、近代主義に対する評価も真逆なので >>90 >>94
(正直に白状すると)「他人の足」も「アトミックエイジの守護神」も概略しか知らない でもこういった類いの筋立ての作品が「傑作」(単なる秀作ではない)であるのなら、北条裕子の「美しい顔」いかに剽窃が取り沙汰されようとどれほど被災当事者の顰蹙を買おうとそれもまた傑作でなければならない じゃなきゃ結局「大家のアバタならそれはエクボ」ということになる
>>96
この教授、ゼミのときとても穏やかな顔つきのまま「反核(反公害)運動に参加しない、沈黙したままの被爆者(公害病患者)なんて、要するにただの臆病者、卑怯者でしかないんだ」って言ってた その妄言を聴きながら私は、障碍者の子供を「ペット」化した親は等しく、それ以外のマイノリティにも善意に満ちた自己犠牲を強要するものなんだとしみじみ感じた
それから前にもちょっとレスったけど、丸山は自分の結核療養経験をもとに障碍者と健常者の「隔絶」さらに個々人の隔絶を前提にしない民主主義の無意味さについて述べている が、それはいつの間にか忘れ去られイデオロギーとしての「戦後民主主義」を擁護するようになり、末期癌となったときも「本当の社会主義」なんてことを言い出してしまっている 子供や赤の他人の傷跡にすがって文学を政治に売り渡すのは正直見ているだけでイヤになってしまうが、自分自身の傷跡から「逃亡」する形で政治的であろうとするのは、(個人的には)どこか滑稽で、そしてとても悲しい
あと、丸山の研究業績では「日本政治思想史研究」よりも「忠誠と反逆」の方が印象深かった >>97
よくわかりませんが、西洋近代って闘うことがいいことみたいなとこあるけど、これも罪深い考えに思えます 闘うことがいいって考えなら、程度の差こそあれ多分世界中どこでもそうだと思う 日本だって700年間おサムライさんが支配してたじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています