『八月の光』みたいな作品を教えてくれ
『響きと怒り』は読んだ。
『死の床に横たわりて』も読んだが、良さがよく分からなかった。 >>9
あれは何処が良いの?
>>10
ドストエフスキーの『罪と罰』とかカフカの『審判』とかが好き。
日本だと、三島の『金閣寺』とか安部の『密会』とかかな。 まあ、フォークナーは原文でなきゃ良さは分からないだろうねえ そりゃ原文で読めたら良いけどね。
やっぱり、英文学の中でも取り分け難しいのか? >>19
その読書傾向だとフォークナーを読んでも面白くないと思う
完全にヘミングウェイ寄り
なんで興味持ったの? >>24
で、お前はフォークナー以外だと何を薦めるの?話はそれからだろう >>24
ヘミングウェイは昔に『老人と海』と『日はまた昇る』を読んだが好みじゃなかったな。
『八月の光』を読んだからだね。フォークナーの作品をちょびちょび読んでいるが、『八月の光』は彼の作品群でも特異なものなのか? ご指摘のようにしっくりくるものがあまりない。
中上の『蛇淫』は近いものを感じたから、それこそ中上とかマルケスとかリョサとか莫言とかで、似たものを教えて貰えると嬉しい。 『蛇淫』からの『八月の光』ならジュネの禍々しさや国内なら大江がヒットするかも
中上は短編集の『水の女』辺りが『蛇淫』好きには歓迎されると思う
マルケスやリョサ、莫言はかなりテイストが違うから合わんのじゃないかな どの部分を捕まえて似た作品とみなすかによるのでは
複数の人物を描き分ける技法(人称や視点)なのか、登場人物の信仰あるいは反信仰についてなのか、社会と相容れることのできない個人の悲嘆に注目したのか、それとも終盤の鮮やかな映画的なシーンに惹かれたのか
全部とかは無しな 俺も『洪水はわが魂に及び』はアリかなとも思うが、あれには『八月の光』のようには魅力的な女性は出てこなかった覚えがある >>19のような好みなら意外かもしれんがナボコフ『ロリータ』も悪くないと思うぞ
あれも話法に趣向が凝らされていて映画的なところもあり、社会の通念から逸脱した(させられた)やつらの物語だ ジュネは『泥棒日記』を、ナボコフの『ロリータ』を読んだが駄目だった。
大江もほとんど読んでいて、好きな作家なんだけど、フォークナー的な良さはあまり感じないな。
せっかく挙げてくれているのに、否定ばっかりで申し訳ない。
岩波の「中上健次短篇集」は読んだから、『かげろう』は読んでいる。正直、他の収録作品の方が良かったんだが、連作短編としての『水の女』を読むと、また違うものだろうか?
『八月の光』の文章が肉体的に書かれてところに最も魅力を感じたから、その点において似ている作品を読みたいな。
あと、マルケス、リョサ、莫言辺りはフォークナーの影響を受けていると思うが、具体的にどういう点でテイストが違うのかも聞きたい。 肉体的な文体というのはニュアンスは分かるが、共通した認識としては持ち得ない方便じゃなかろうか
じつに色んな肉体があるからね
しかもフォークナーの中でも『八月の光』のみに特化したものとなるといっそうムズい
俺のおぼろげな印象だと『八月の光』は肉体的というよりは各人物像がくっきりとしていて良い意味で劇的に過ぎるという感じなんだが とりあえず、トニ・モリスンはどうだろう?
それか最近だとジェスミン・ウォードあたりか(こっちは肉体的というところではややパンチは弱い気がする)
これらも読んでたらごめんね
もうパッと思い浮かばないや >>33
確かにその通りだな。
まあ細かいことは気にせずに、単に似ているなと思った作品を挙げて欲しい。未読のものは積極的に読むつもりだから。
>>34
トニ・モリスンは気になってたけど読んだことないから、これを機会に読んでみようかな。やっぱり、『青い眼が欲しい』から読むのが良い?
ジェスミン・ウォードは全く知らないから調べてみる。ありがとう。 あと、原文で読む際にはいい辞書が必要だ
出来ればオックスフォード大辞典とかを傍らに置いて
じっくりイチゴずつ味わう
そしてフォークなーの言葉の選び方とか
なぜそういう言い方になるのかとかを自分の頭をフル二使って読む
そうでなければ良さなど分らないし
読んだことにもならないであろう
翻訳はあくまでも翻訳であって
フォークナーの原文とは全くの別物 こんなこと言うのは宮川だな
コーマック・マッカーシーみたいな良い作家すすめられても一冊も読みやしない
>>32
>肉体的に書かれてところ ムルソーが本当に「太陽のせい」で人を殺したと思ってんの?
『異邦人』くらい読みなよ恥ずかしい
>このグリム然り、『異邦人』のムルソー然り、どうも「太陽のせい」で人は道を踏み外しがちになるようです。それはお前が常日頃からきちんと責任について考えておらず、また畏れという意識のもとに生きてないからだと思います。バーカ。 文学の道は長く険しい
何事かをきわめようと思ったら
一日24時間365日ずーっとそのことに集中しなければだめだ
それを10年やって少しわかる程度になり
さらに50年くらいかけてまあまあわかる程度になるのだ
人生とは修行
2ちゃんも修行 煽りを真に受けてしまったのかしらね
「なぜ」太陽のせいと言わざるを得なかったかが本題やぞ ひとに「すごーい!」と言われたいだけのシッタカ婆さんだからな
読んでもいない作家や作品を引き合いに出しては馬脚をあらわすこと数限りなし 大江のこと聞きたいよな、『洪水はわが魂に及び』とかさ 洪水なんか読んでないぞコイツ、万延元年すら読んでない
それでいて語るシッタカの権化
ベケットの名前もよく出すが読んだのはゴトーくらいだろ
基本的にアンチョコ頼りにハッタリかませる作品にしか触れない
それすら異邦人みたいにやらかす ちゃんと読んでるんじゃんww
異邦人の復習は終わったか、シッタカ婆さんww どうも「太陽のせい」で人は勘違いしがちになるようです。
けれども、それはお前が常日頃からきちんと読書について考えておらず、また学ぼうという意識のもとに生きてないからだと思います。バーカ。 これ一冊読めばあとは読まなくていいです
そのくらいの傑作 『異邦人』なんて中学生のときに読んでるだろ普通はさ