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テンプレに沿うというのは、【タイトル】/【URL】/【ジャンル】/【一言紹介】/【指摘観点】も書いておくということです。
その順に並べればいいということではなさそうですよ。それは次回から留意して頂くということで。

おそらく、順に読み進むと、まず「主人公が狂ってるな」と思え、さらに「もしかすると、作者に狂気があるのか?」と感じさせる狙いでしょうか。
メタ的に狂気を感じさせるということですね。でも、狂気の扱いが甘いようです。単に「おかしなことをすれば狂気でしょ」となっています。
そうではないんです。精神医学書(医学生が読むような教科書がよい)で見てもらうと分かりますが、異質、つまり質的な差異が狂気ではありません。
質的に変えてしまうと、例えば人類、さらに地球とは無縁な宇宙人の考え方みたいになってしまいます。

狂気は量的な差異で生じます。ある思考・感情特性が異様に肥大する(ないしは弱まる)というものがほとんどです。
ですので、自分とある程度の同質性を(無意識に)感じ、だからこそ、異質と思いたくなり、否定もしたくなるのです。
なぜなら、明日は我が身かもしれないから。他人の死を恐ろしいと思ったり、悲しいと感じるのと似ているかもしれません。
自分も死ぬ可能性は常にあるわけですが、死にたくはないですので。量的な差異は、ある精神医学教科書では以下のように例えています。

演劇の舞台がある。普通は舞台全部に明るく天井ライトが当たって、全て見える。これが、いわゆる正常な精神に相当する(とする)。
もし、天井ライトが消え、スポットライトである一点を当てる。そこだけがよく見え、他は依然としたあるんだけど見えなくなる。
あるいは、天井ライトが全て弱まったとする。舞台は薄暗く、はっきり見えなくなる。こうしたものが、精神の異常に相当する。

しかし、これだけではないです。正常と異常について、単純な判断をしないよう、同教科書は、以下の例えで注意を促しています。

いつもバスが定刻より遅れて来るバス停がある。ある日、たまたま定刻通りにバスが来た(ので、バスに乗り損ねる人が大勢出た)。
いつもと違うという点では異常。しかし、定刻通りに来るのが正常ともいえる。どちらと判断すべきか。

狂気を安易に考えては、底の浅さを読者に見抜かれます。その短編集のセンスは、コメディに活かしたほうが人気を得やすいように思います。