「パラレルワールドの存在がついに証明された」

そんなニュースが世界中を駆け巡ったとする。ひとはその時、その事実をどう受け止めるのだろうか。
証明はされた、だがそこに行く事は勿論の事、その世界を覗くことも出来ない。
ただ、存在の証明がなされただけ、である。
コンビニエンスで買って来たおにぎりを頬張りながら、朽田はそんな空想に耽っていた。
公園のベンチに腰をかけて、休日の昼下がり、太陽の光を遮る影は見当たらない。6月の湿った風に首すじは軽く汗ばみ、その匂いに寄せられた羽虫の音が時々耳に障った。
人生とは選択の連続により積み上げられるものである、と朽田は考えた。それならば、選択の数だけ違う自分がパラレルワールドを生きているはずだ。
出会うことのないもう一人の自分達が、また別の自分をそれぞれに案じながら生きていると思うと不思議な気がした。
有るか無いか分からない世界の話ならば、選択の後悔も諦めがつくのかもしれない。
けれども、自分の選択に過ちを認めているとするのであれば、ひとは、別世界を確実に生きている、もう一人の自分の存在を受け入れる事ができるのだろうか。
朽田の想像がいつもの後悔に差し掛かった時、がらんとしていた公園に人影が少しずつ戻ってきた。
昼食に帰った親子達が再び子供を遊ばせにやって来たのかも知れない。
母親と小さな女の子。母親と小さな男の子。お爺さんと小さな兄弟達。父親と小さな女の子。そして、ベビーカーを押して歩く仲の良さ気な若い夫婦。
いつの間にか公園はその本来の主人達を取り戻し、活気に溢れていた。