「この料理はマグロのタルタルステーキと申します。生のマグロを包丁で叩いたものにいくつかの素材と調味料を混ぜて練り上げました」
「聞いたことがない料理ね。さっそくいただくわ」

 その言葉と同時に、レナリール公爵はマグロのタルタルステーキに手をつけ…ようとした時
「閣下! 食べちゃダメだ!!」
叫ぶなり、ベナリッタ料理長はレナリール公爵の席に駆け寄り、フォークを持つ手を押さえる。
「ベナリッタ料理長、どういうことかしら?」
困惑と叱責の視線をむけられ、ベナリッタ料理長は手を離した。
「ご無礼しました。しかし、この料理は禁じ手です。口にしてはなりません」
どういうことだ? まさか自分の負けを認めたくなくて、レナリール公爵に出鱈目を吹き込むつもりか?

「これは漁師飯です。と言っても、漁師達は型の悪いマグロの身を適当に刻み、あり合わせの調味料で和えて食うだけで、
 小綺麗なソースや付け合わせなんか添えませんけどね。重要なのは、マグロを生で食って良いのは釣った船の上でだけ。それが掟です。
 実際にはもう少しは持つでしょうが、普通に馬車でこの街まで運んできたマグロを生で食って、中毒を起こさない保障はありません」

ベナリッタ料理長の説明と共に、俺は自分の血の気が引く音を聞いた。そうだ、ここは冷蔵技術の発達した21世紀の日本じゃない。
それどころか、氷詰めすら出来ない環境で輸送しているんだ。
前世の京料理ではマグロをあまり使わずハモを多用し、江戸前では逆にハモを使わない。これは京都ではハモが生きたまま内陸の京都まで
運べる魚であるため重用されたが、海が目の前の江戸ではその必要が無かったことから来ている。
話しぶりから見て、ベナリッタ料理長が生マグロの美味さを知っているのは間違いない。それでもムニエルを選択したのは、食中毒のリスクを
回避するためだったんだ。

「アルノルト次期准男爵。何か反論はある?」
レナリール公爵の視線は、あくまでも冷たかった……。

#月夜先生っぽい文章を書く事の難しさを思い知りました。