>>791
>かわりに騎兵が馬上で使う短弓にかわった
>この短弓は徐々に巨大化していって(小型で強力な弓を作れなかった)

日本の弓は、大和朝廷の時代にはすでに身の丈よりも長い巨大な物。
おもに古墳時代の発掘品や文献をまとめた「倭王の軍団」によると、倭と交易や紛争をしていた朝鮮半島諸国は、倭人の特徴の一つに「身の丈より大きな弓を使う」と記している。

また、「弓矢と刀剣 中世合戦の実像」では単一素材の木製弓は古代より弩と並行して律令制軍団で用いられており、これは比較的脆い単一素材の弓で威力を確保するために、
7尺(約2m)を超える巨大なものだったという。平安時代中期あたりから合わせ弓(複合弓)が発明され、より威力を増していったが、長さはおおむね2〜230cmほどが標準

弩に関しては、導入時期は不明だが、9〜10世紀の新羅の入寇で新型の弩が活躍した記録から、その時期にはすでに律令軍団に普及していた。
武士階級の勃興期である11世紀半ばの前九年の役でも、源頼義の官軍に対し、安部氏の軍勢は弩を雨あられと射かけ、大いに苦戦させた記録があることから、少なくとも
11世紀あたりまでは継続的に使われていたことは間違いない。