プロのラノベの審査員は文章くんが執拗にいってる描写なんてこと一言も口にしてないな


ヤマグチノボル先生
今回はかなり弾けた感じの作品もあって、楽しく読ませていただきました。でも、こないだも言ったのですが、ほんとに一人称が多い! 
書きやすいからしょうがないとは思うんですけど、何個も読んでるともう、あんまり違いがわかんないんですよ。
軽快な語り口+一人称+学園物でこられると、正直言うともう区別つかない。
俺がどうした、こうした、こう思った、全部俺視点なもんだから、よっぽど“俺”が面白くないと、読み進めるのがつらい。
だってお話の最初から最後まで、その“俺”に付き合わなくちゃいけないんだから。
で、面白いってことは、そんだけ個性的ってことで、個性的ってことは、もうそれだけで敷居が高いってことです。
http://bc.mediafactory.jp/bunkoj/rookie/ann05

ヤマグチノボル先生
審査基準を始めにお知らせさせていただきますと、「おおっと思う部分があったか」です。
これはキャラでも、設定でも文章でもストーリーでも構成でもなんでもかまいません。一個あればOKです。
まず総評として感じたのは『一人称の作品が多い』ということと、『キャラクターが弱い』という二点です。
前者は究極、技法の好みになってしまいますが、一人称というのは書き手がダイレクトに出る分書きやすく、また感情移入もしやすいのですが、
物語が物理的に広がりにくく、どうしても似たような印象を持ってしまう。できれば三人称で書く訓練を積んでおくことをお勧めします。
物語の視点が自由に変えられるということは、映画的な手法(演出)を多く持ち込めるということであり、
ライトノベルのようなエンターテインメント作品においてこれは重要なことです。文庫一冊はほぼ映画一本分の密度を持ちます。映画から学ぶ点は非常に多いです。
その場合、一人称だとちょっと単調になりやすいのです。よほどの才能がないとシリーズ化するときにきついと思います。
次に『キャラクターが弱い』ということ。これはずばり『魅力がない』ということです。
ほんとうの意味で『魅力がある』ということは、同じ数の人に『嫌われる』ということです。もしかして嫌われるのが怖くて、
当たり障りのない、頭を捻って作り出したキャラにしてるんでしょうか? 大きな間違いです。世の半分を敵に回せば、残り半分は味方になってくれます。
どんなに少なくてもまあ十分の一は味方になってくれます。そしてその十分の一がいれば小説は商売になるんです。思いっきり少ない場合は、たぶん時代が追いついてません。
仕方がないと諦めましょう。そのうち風が吹きます。だから気にせずやっちゃってください。
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