>>498
実験としては面白いけど、冒頭ではないのに、冒頭と書くのは良くないと思わない?
しかも、わざわざ描写ないシーンだけを切り取ったわけだ。
本当の冒頭をアップしようか。 


「廃線上のアリス
-------------------------
 ぼくに許されたのは、ただ一冊の本。
 「無人島に行くつもりで選べ」
 と父からの手紙には書かれていた。
 ノートも教科書も、数少ない友人のアドレスが入った携帯。電話も、中学のころから
描きつづけてきたスケッチの道具も、ありとあらゆる一切合切を置いてこいとも。
 父が手紙とともに、ぼく「譲羽朗」宛に速達で送りつけてきた切符は、夜の八時に
東京発の寝台列車。そして切符を手にしたのはその日の昼。
 木を選ぶ時間はなかった。悩む時間もなかった。くすんだ背表紙が並ぶ木棚を
さ迷うぼくの目に、ある一冊がとまった。

 それが、ポールーギャリコ『スノーダース』
 
 不具を抱えて孤独に生きる画家と、一人の少女の交流を描いた物語。
 折しも六月の第二週。梅雨まっただ中の夏に向かう季節に、ぼくは冬の本を選んだ。
流浪の旅にも近い行き先で、ぼくと。彼女”とを結びつける一冊になるとも知らずに。
……これは、ぼくが彼女を得て、彼女を失った話。
----------------------------

 これがプロローグ、つまり冒頭だよ?
 個性的だと思わない?
 
 主人公がこれから旅に出る話で、細かい事情は書かれてないけど、プロローグを
通じて、すべてを捨てて旅立つ主人公の決意が見えるじゃん?

 このプロローグがあるから、君が晒した部分で「事情」の説明が必要ないし
妹を捨てる決意をしているので、描写の薄さも、関心が薄いという間接心理描写に
なってるわけ。

 その続きのシーンの描写は濃密だからね。