私闘としての決闘

このように、正式な制度としての決闘裁判は15世紀までに廃れたが、その後も私闘としての決闘はしばしば行われた。
フランスでは16世紀終わりから17世紀はじめ、アンリ4世の時代、年平均235人が決闘によって命を落とした。
申し込まれた決闘を受諾しないことは死に値する不名誉と考えられていたこともあり、決闘はしばしば行われた。
具体的には、貴殿は勇敢だという噂を聞いたので決闘を申しこむというような理由での決闘がしばしば行われた。

ヨーロッパ各国の王はたびたび決闘禁止令を出したが全く守られなかった。
決闘を行った者は死罪とされることが多かったが、実際に決闘を行うのは有力貴族が多く、それらの貴族を死罪にすることは、
支援者を失うことでもあったので、何度も恩赦が与えられ、実際に決闘による罪で死刑にされる者は皆無だった。
このため、私闘としての決闘は全くなくならなかった。これはさらに時代が下がっても同じだった。
ただし、平民と貴族などのような、身分の異なる者同士の決闘も行われるようになった。