僕は今、届くことのない手紙を書いている。
 直子の好きだったあの曲を聞くだびに、あの頃を思い出す。
 甘くも切ないあの日々を。
 昭和43年、僕らは大学生だったね。
 あの時代は狂っていた。
 ゲバ棒とヘルメットを被っていた連中が革命だと叫んでいたけど、
 何も変えられなかった。
 だってそうだろう?
 食べるもの、着るもの、住むところに困っていないのに、イキナリ革命だ! と言われても
 ピンと来ないさ。
 世間の人間は冷ややかに学生を見ていたことに、未だに気づいていなかっただろうね。
 本当は社会を変えたかったんじゃない、革命ゴッコがしたかったんだよ。
 彼らのゲバ棒は萎れて折れたバラみたいなものだったのかもしれない。
 だけど、定年になって元気な連中は沖縄で基地反対運動をやってるよ。
 世間ではサヨクなんて呼ばれてる。
 まるで七十過ぎた醜い老婆のストリップを見ているようだ。
 そうだ、直子!
 大きな社会の変革と言えば1991年にソ連が崩壊したよ。
 信じられるかい?
 直子が旅立ってから、もう50年経った。
 君はいつまも二十歳だ。
 まるで眠り姫のようにね。
 僕はイチョウの葉が黄色くなるように、髪も白くなってスッカリお爺さんになった。
 可笑しいだろう?
 直子が目の前にいたら、きっとクスっと笑って、
「ワタベ君、お爺さんだね。でもよく似合うわ!」
 って言うかな。
 だけど、僕の中で直子は瑞々しく美しいまま。
 あの頃は生は死の対局あるのではなく、その一部として存在しているって考えていたけど、
 今では、本当の死とは世間から、その人の記憶がなくなることだと、法事であるお坊さんが言っていた。
 そう考えると直子は未だ生きているのかなと思うことがある。
 年老いることもなくね。
 僕の記憶の中では色褪せることのない直子が生きている。
 僕は大学を卒業すると葵と結婚した。
 直子が療養しているときに話したことがあったね、葵のこと。
「面白い人ね。一度会いたいわ」
 って言っていたけど、結局は会わず仕舞いだったね。
 君を愛していたように、彼女のことを愛している。
 こんなことを書くと、「愛していたのはあたしだけじゃないの?」
 って葵が茶々を入れるかもしれないけど、彼女は僕の気持ちを理解している。
 僕は結婚するとき、心の中の気持ちを全て言って葵は全てを受け入れると言ってくれた。
 ちょうど、喫茶店の店内で直子の好きだったビートルズの曲が流れているよ。
 そう、書き上げたとき、僕の携帯電話が鳴った。 
 携帯に出ると葵の声がする。
「ねえ、あなた今、どこにいるの?」