>>793

大事なツカミ部分ですから「死傷者50万人の錬金術」については詳しめに申し上げてみます。

本文の書き出しを「目の前の男性から、『その』お話を」とするのはまずいように思います。
おそらく章タイトル「死傷者50万人の錬金術」を引き継いだものと思いますが、必ずしも意図通りに読めません。
続いて「そういうわけで」とあり、読者は既に何らかの話が終わったと思います。
この後、死亡者数で50万人と出てきますが、それ以外の話の可能性を感じてしまいます。
タイトルが本文とどう関わると思うかは、読者次第です。「こう読めるはず」で書くのはリスク大で「こう誤読するかも」に留意すべき。
(後述することと合わせて、タイトルと本文で「死亡」と「死傷」が混乱しているように見受けられます。用語統一は大事です。)

既出ですが、1スペル当たりの死者数が多すぎる。世界観からすると今の1/10くらいの人口かと思うので、余計に非常識感が強まる。
異世界の過酷な労働環境を、現実のいわゆる「IT土方」にかけてみたのかもしれませんが、やり過ぎで対比させた感じが出ない。
(作中で、異世界の労災死『亡』者数と現実世界の労災死『傷』者数を比べている点も気になる。主人公がアバウトな感じになる。)
(それでも数字を盛りたかったら、作中にせっかく自動車事故があるんだから、そっちを類推させてもいいかも。)
(どうも本日12日に修正入ったようですが、「1年あたり5万人も亡くなる」が残ってます。これでは死傷者と死亡者を同一視したままです。)

それでも目を引けるトピックではあります。なのに、主人公の異世界前の回顧や心情を長々と語り始めてしまってますね。
主人公は作者にとっては物語開始前から熟知した存在です。設定し、ストーリーでの行動・言動を考えんだたから当たり前ですね。
だから、何を言い、思っても作者には臨場感や切実さが感じられる。長年の友人の話を聞いているみたいなもんです(あるいは自分の物思い)。
だけど読者は違います。冒頭では主人公含め、どのキャラも赤の他人です。回顧や心情に興味は持てないのです。

さらに錬金術の設定が詳述されています。これも作者は書いていて面白いものです。考えて面白くなると思ったものなんですから当然です。
ですがこれも読者は違う目で見ます。自分で考えたものではない、他人の思い付きを延々と聞かされている気分になります。
自分でも書く人はもとより、読み専でもあれこれ妄想くらいはします。同じレベルだと他人の話より自分の妄想のほうがはるかに楽しいです。
ゲームで言えば、横で見ているより自分でやるほうが普通は面白い、みたいな感覚ですね(例外は、好みのゲームの超上級者のプレイ等)。

箇条書きにしてあるものもありますね(錬成手順)。簡潔にまとめるにはとても良い方法です。
だけど面白さを出すには、たいてい最悪の方法です。覚えろとか、こうやれと指示されているみたいなもんだからです。
勉強の方法であって、楽しむためのものではないということですね。上述したように作者は別ですが(自分のアイデアだから楽しめてしまう)。
第2章以降も箇条書きを用いる傾向が見えます。物凄く損です。大事ならイベントで見せる等、そうでないなら削る工夫を。

上記を簡潔に言い換えると、第1章「死傷者50万人の錬金術」は、「こういう主人公でこういう錬金術だから覚えておいてね」に堕してしまっています。
これから始まる物語のための準備ですね、だけど、読者が引き込まれるのは「興奮や興味が先、知識欲が後」です。
だから、動きがあって目に見える事件(イベント)を最初に出すことが多いわけです。例えば、爆発や剣戟なら、とりあえず目を引けます。

御作だと、せっかく錬金スペル錬成の危険性を設定してあるわけですよね。だったら、例えば事故を起こしてしまう手もあったはず。
もちろんそれに限りませんが、現実で起こったら必ず注視してしまう事件で、主人公が特異な行動を起こし、を冒頭に置くべきでしょう。
それも、8割分かって2割が不明な感じで。すると、どういう状況? 主人公は何者?という疑問が読者に湧きます。
すると、次章以降も読んでくれる可能性が高まります。知りたいという意欲が生じてますから、多少の説明は苦になりません。

たった1行ですが、内心台詞の文章技術についても少し。

>  ――ああ皮肉な死に方だなあ、と思った。
→「――」で内心台詞(口に出した台詞としても可)だと示せているので、「と思った」は余計な一言に感じます。
(続く)