どうやら、山を駆け上った山県様の本隊が織田軍に中入りを仕掛けたようだ。

 喊声だけで戦況は分からない。
 ただ、拙者は中入りの成功を祈るのみ。
 拙者達は総崩れした敵に一撃を与え壊乱させる。
「始まったな! 兄者」
 隣に居る兵伍が耳元で囁いた。
 拙者は無言で頷いた。
 別動隊一千は林の如く、敵を待ち受けた。
 時の流れが遅く感じた。
 今にして思えば、僅かな時間であったであろうが、
 万劫の如く感じられた。
 高鳴る鼓動を抑えつつ、じっと待つ。
 寒い二月の山中であったが、闘気に満ちているので、震える事もなかった。
 山の上から駆け下る音が聞こえて来た。
 大人数ではない。
 満月に照らされた兵は数人ばかり、白襷をしていない。
 敵である。
 凡そ二町の距離か。
 壊乱した敵が零れ落ちて来た。
 間髪入れず、敵が山津波の如くやって来る。
「それ! 敵が壊乱した! 掛かれ!」
 拙者は大音声で下知した。
 先ず味方の喊声を浴びせた。
 月に照らされた敵兵は何れも恐怖に慄ている。
 まるで飢えた羆が逃げる兎に襲い掛かる光景に見えた。
 伏せていた別動隊一千が敵の首求め、一気に斜面を駆け上っていく。
 味方の喊声、敵の呻き声が混じり合い一帯が修羅場と化す。
 拙者も短時間に駆け下る敵兵七名を突き伏せた。
 駆け上って間もなく敵の群れに遭遇した。
 精鋭であれば、敵の行軍が腹に響くが、それを感じない。
 恐怖に憑りつかれた烏合の衆と言って良かった。
 白襷をしているお陰で敵味方の見分けが出来る。
 山で焚かれた篝火と満月で敵が良く見えた。