悪役令嬢のモデル エリザベート・バートリ

700人以上もの少女を殺し、「血の伯爵夫人」とまで呼ばれたエリザベート・バートリ。彼女は1560年、ハンガリー随一の名門バートリ家に生まれた。
自分の美貌に絶対の自信を持っていたエリザベートだったが、4人目の子供を産んだあたりからその衰えが目につくようになってきた。
そんなある日、新米の侍女に髪をすかせていたエリザベートはその手つきの悪さにカッとなり、侍女の頬を殴りつけた。
侍女は鼻から出血しそれはエリザベートの手にも付いた。急いで拭い去ったが、彼女には血の付いた部分が他の皮膚よりも透明度が増し、若返っているように思えた。
それからというもの、彼女は道化師のフィッコ、子供達の養育係であるドルコやヨー・イローナ達従僕に協力させて、城内の侍女を次々と拷問しては殺していった。
ある者は出血多量で死ぬまで鞭で殴られ、また別の者は「鉄の処女」と呼ばれる拷問道具で全身穴だらけにされ血を搾り取られた。彼女はそうして集められた血を飲んだり浴びたりしていた。
若返るために若い娘の血を求めていたはずだったが、いつの間にか殺し自体が目的になり、寝ても覚めても血を求めるようになった。
エリゼベートの拷問は、人としてどうかと思うようなものばかりだった。真っ赤に焼けた鋼で性器を焼く、喉を焼く、乳房をやっとこで潰す、などなど。
しかしやがて拷問に飽きてしまった彼女は、ある日城に着いたばかりの侍女を60人程集めて宴を開いた。
娘達が何故召使である自分達がこんな所に招かれたのかと不思議に思いながら食事をしていると、下男が現れテーブルの上のロウソクを消していった。
全てのロウソクが消され真っ暗になった次の瞬間、部屋のどこかで衣をさくような悲鳴が上がった。
うろたえて騒ぎだした娘達を下男がしかりつけ席に着かせている間に、エリザベートは娘達の首を次々とはねていった。この時を楽しむために、彼女はなるべくゆっくり事を進めた。
再び明かりが灯され、生首やドレスを着た首のない死体の散乱する部屋で、彼女はひとり何事も無かったように晩餐を再開した。
殺された少女達は表向きは病死ということにされ城内に埋葬されていた。このような残忍な若返りの儀式は、実に10年以上も続けられていた。
そんな折、領民の娘では満足しなくなり下級貴族の娘にまで手を出したため、エリザベートは破滅することになった。
数多の下級貴族の訴えにより、1610年、事態を放置しておけなくなった王宮はやむを得ず捜査に乗り出した。城内の地下牢には柩が山と積まれ、床には血の付いたペンチや焼きごて、鋏が散らばっていた。
それら拷問道具に混じって毛布にくるまれた大きな塊が転がっていた。中から現れたのは乳房をもがれ、眼球をえぐり出され、手足をすべてもぎとられた、かろうじて若い娘と判る死体であった。
その近くには手足を切り刻まれ、ふるいのように全身穴だらけになった娘の死体も見つかった。
裁判の結果、部下たちは火あぶりの刑となり、処刑された。しかし、エリザベート本人には、高位貴族という身分から王権も司法権も及ばず、裁判の出廷も死刑も免れた。
彼女の身柄については、バートリ家の預かりとなり、生涯にわたって城に幽閉されることとなった。
しかし幽閉は対外向けの話であり、エリザベートは死ぬまで城内で悠々自適の生活を送ったとの説もある。