更に条件を絞りましょう。
 ズバリ、季節は冬です。夜の暗さと静けさがより深化します。震えるばかりに。
 次点で春も良いかもしれません。細い通りの両脇に桜でもあれば、何とも趣深いものです。
 桜の花を愛でながら、時折夜空を仰ぎ見る。そこに真円を描くお月様があれば、最早言うことはありません。
 ああ、想像するだけで胸が一杯になるようではありませんか!
 そう、想像するだけで。つまり残念ながら今の季節は春ではありません。そして冬でもない。
 季節は六月です。いわゆる梅雨時ですね。幸い、今日は雨に降られませんでした。
 だからこそお家での晩酌……コホン、お薬を服用した後に、こうして夜の中へと彷徨い出てきたわけです。
 歩く、歩く、歩く。車の通らない車道の中央を我が物顔で歩いていきます。
 おやおや、どうしたことでしょう? もうじき三……コホン、コホン。二十代のいい大人が。そう、二十代、二十代な私ではありますが。まるで小学生がそうするように、中央に引かれた白線を踏み外したら負け、そんな遊びを知らず知らずの内に敢行していたようです。
 ですが何かがおかしい。私の意志に反して、踏み出す足は真っ直ぐに進んではくれません。
 おっ、わっ、ちょわ! ……僅か三歩で白線を踏み外してしまいました。
 思わず立ち止まってしまいます。そして一拍置いて鼻歌を奏でながら歩き始めました。
 いやぁ、かくも拙い歌を堂々と口ずさめるのも、誰とも行き会うことのない夜の散歩の恩恵ですね。
 はい? 先程までの遊びはどうした?
 何のことやら、私はただただ夜の中を歩いていくばかりではないですか。
 全く、変なことは言わないで欲しいものです。
 歌は尽きません。下手くそな癖にどうしたわけか、レパートリーは豊富なのです。この夜の中、いつまでもどこまでも歌い続けましょう。終わりなどないのだと、そう信じて。
 さて、次はあれでしょうか。『〇ーにゃー! うー〇ゃー!』と。名状しがたいモノたちが這い寄って来るかもしれません。
 実に心躍ります。ではではと、夜に響けと口を開こうとした時でした。
 不意に上着のポケットの中で振動するものがあります。
 私は反射的にそれを掴み取ってしまった。掴み取ってしまったのです。
 
 目にしたその電子画面は、まるで私の高揚した気分に冷や水を浴びせたかのよう。
 そこに映るのは、6月26日。月曜日。02:00の文字。
 ああ、終わる。夢のような時間は終わる。異世界を行くが如き夜の旅路はお終いだ。
 もう家に帰って寝床に潜り込まねば、明日に響く。だからお終いなのだ。
 そして寝床に潜り込み目を閉じて、目を開ければ鬱々とした朝日がまた上がる。
 一週間の始まりだ。また始まる。今の私には、週末は余りに遠くにあるものだ。
 私は苛立ち紛れに足を振り子のように振るう。ザッと、靴底がアスファルトに擦れた。
 やるせなさに、私は力なく夜空を仰ぎ見る。そこには依然と美しい星がある。
 私は無理やり視線を切ると、俯きアスファルトを見ながら歩き出す。
 歩く、歩く、歩く。私は後ろ髪を引かれたような気分を覚えて足を止める。そうして振り返ると、もう一度夜空を仰ぎ見る。
 終わったのだ。それは分かっている。それでも……。
 私は、このまま一人夜に取り残されたいと願わずにはいられなかった。