話は遡る。美世が山田を助けてから約一週間。美世は山田とのメールのやりとりで練習試合に誘われた。たまたま何の予定もなかった美世は軽い気持ちでOKしたが
実はあの強力打線が売りの大阪東條を一回表で完全に沈黙させ
プライドを捨てる作戦に変更を余儀なくさせたあの豪速球を生で見られると思うと浮き立つ気持ちを隠せなかった。
 山田の球はテレビ越しで見ても確かに速い。だが速いだけでは東條の打線を黙らせるのは無理だ。今日はその秘密をこの目で見極めるつもりだった。甲子園に行かなくても一流のプレイがみられるお得感と特権に、美世は少しウキウキしていた。
 喜び勇んでやってきた横浜球場で美世が座った三塁側の席は稲村実業ベンチの対面だったようだ。当然こちら側は相手チームの名門横浜金沢の応援団が多い。美世が腰を落ち着けて時計を確認していると
稲村実業側ベンチから。ユニホームを着た大柄な男が走ってきた。山田だ。山田は美世がよく見える横浜ベンチの少し前で足を止めてこちらを見上げた。
「美世さん」
 美世は巨大なサングラスの下にあるシャープな唇を横に広げた。
「おっす」
「来てくれたんですか」
「ああ、まあな」
 注目投手が殺風景なグランドを横切り始めたことで観客の視線はもちろん、隠密利に稼働していたカメラが横移動し、二人の姿を捕らえた。
 美世の周りはもちろん、足元でも人がざわつく声が聞こえた。それもそのはず、美世の足の下は横浜のベンチだ。話題の大型新人と正体不明の女のやりとりに周りが食いついている。
「しかしお前、ウチがおんのようわかったな」
「あの、なんていうか、一目でわかります」
 美世は黒いレースの日傘を差し、シルク地のゆったりした真っ白いブラウスに、ちょっとした風にもふわりと浮き上がる薄手の虎柄のストールを羽衣のように羽織っている。コーンローに編み上げた髪が頭頂部で纏められ
小鉢サイズのラホツのような団子からブレイズに編んだ髪が枝垂れ桜のように垂れ下がっている。
 オーバル型の巨大なサングラスをかけていてもなお美世である事は明らかだった。
「目がええんやな、調子はどうや」
「美世さんのおかげでたった今絶好調に仕上がりました」
「ほうか、ほな勝てるな」
「はい、勝ちます」
 美世の周りからはヒソヒソ話が聞こえていたが、横浜ベンチからはヤジが飛んだ。
「オイオイここドコだと思ってんだよお前!」
「ノーヒットノーランで勝ちます!」
「オイ!!!」
「ヘタレの癖におもっくそ喧嘩売っとんな、天然か」
「はい?」
 回りが見えていない山田に美世が呆れていると、横浜ベンチから誰かが顔を出して美世の方を見て引っ込んだ
すると二人、三人と同じように顔を出しては引っ込み、十人以上が美世の顔をチラ見していった。
「何やコレ、失礼なやっちゃらやな、こいつらいてまえ」
 美世は自分の足元を指差した。
「わかりました」
「しょーもない試合見せたら承知せぇへんで、わざわざ横浜くんだりまで来たったんやから」
 美世は完全に星一徹モードだった。
「任せてください」
 山田は左手で拳を作った。
「おお、なかなかの自信や、楽しませてくれたらなんか褒美やるわ、何がええ」
「ご飯食べさせてください」
 美世はニヤリと笑って言った。
「いてこい」
「はい!」
 山田がきびすを返してベンチに向かって走りさると足元のベンチから声が聞こえる。狭い空間に反響して思いのほか大音量になっている事に気づいてないようだ。
「顔がよくわかんねーよ」
「でも雰囲気はなんか綺麗系だぞ」
「スタイルもよかった」
 美世はふふんと笑った。
「でも関西弁だったぞ、あれってコンビニのあれだろ? 出刃包丁持った強盗を病院送りにした」
「ひえー、あんなナリして中身メスゴリラじゃん」
「アンタら聞こえてんで!」
 横浜ベンチから声がピタリと止んだ。山田が走ってベンチに戻ると仲間が囲んでこちらをチラチラと見ながら何か話している。そのうちに頭をはたかれたり尻を蹴られたりされ始めた。
(そうか、ウチの事に関して尋問中か、アイツヘタレやけどなんか愛されてる感じで青春を絵に書いたような風景やなぁ、綺麗系でスタイルええけど中身メスゴリラやってバレたらどないしょ)
 しかしそのベンチ内メンバーの横にいるジャージを来た女の子に美世は違和感を感じた。さしずめマネージャーといった所だろうか。
 他のマネージャーらしき女子や選手と山田達がじゃれ合っている事は気に止める様子もなくつったっていて、気のせいかこちらを見ているようにも思える。