かこちらを見ているようにも思える。普通はあの空間に居ればなんなりと雰囲気に影響を受けるものだが、その女の子だけはその空間に居ないかのように浮いて見える。
(何やあれ、幽霊か?)
 素人っぽいウグイス嬢のアナウンスで注意事項等がが響いている中、選手達がベンチ前でスタンディングスタートの体勢になった。審判団の合図と共に両チームが中央に向かってダッシュして挨拶した後、グラウンドに散ったのは稲村実業だった。
 山田は俯いて地面を見つめていた。背中の1の文字は酷く貧相に見えていたが、それは山田の背中の大きさを物語っていた。
 体格に合わせてバランスとフォントサイズは変えろ、などと心で理不尽なヤジを飛ばしつつ美世は見守る。
 バッターがボックスに入って試合開始のサイレンがなった。審判が叫びながら手を上げた頃には山田は既にプレートを踏んで両手を大きくワインドアップしていた。
 右膝が大きく上がって大木が伐採されたようにゆっくりとバッターに向かって倒れた体は、突如加速回転して、あの大柄な体からは想像のつかない体捌きを見せた。
 山田の手から放たれたボールは白い矢のように影を引きながらキャッチャーミットに刺さった。パァンと歯切れのよい音がして、ミットを押し出すような格好のキャッチャーが、球の味を噛み締めるように固まっている。
 打者は一瞬ピクリと動いただけだ。
「ストライーク!」
 美世はその大きな目を見開いたが、口元は横に裂けた。ボールが返球されて山田は足元を蹴っている。顔を上げてキャッチャーを見ると、サインは出さずに単に頷いた。片方の足を地面スレスレに構え、ミットを突き出し、伏せるように構えた。
 山田は大きく足を上げ、腕を後ろに放り出す。
次の瞬間前に踏み出した足に引っ張られるように上半身がしなって回転する。先ほどよりも短く高い音が響いた。
 またもや動かなかったバッターは後ろに下がってバッターボックスを離れた。美世の背中に冷たい物が走ったが胸の奥は焼けるように熱くなった。美世はサングラスを外した。
 ベンチを見てうなずきながらチョイチョイとバットを振っていたバッターがボックスに入って構えた。山田が第3球を投げる。
 今まで以上に右足が大きく上がる。
バッターは勝負に出た。山田の右足が地面に食い込んだのを確認してスウィングに入るが、バットは空しく空を斬り、またもやボールはキャッチャーミットに突き刺さった。
 激しく体を捻って体勢を崩したバッターが膝をつきそうな体勢で踏みとどまっている。
「ストライクアウト!」
 美世は目を見開けるだけ見開いて眉毛はつり上がったが口だけは笑っていた。
「今、三段階でどんどん速よなりよった、しかもボールが落ちん、なんやあの球、重力無視か、揺さぶりもせんで全部正確にど真ん中の球速の違いだけ、寸分違わんコースやったのにバッターは最後までよータイミング合わさんかっ
おもろい、練習試合で惜しげもなく手の内見せてそれでも打たれへん自信があるんか」
 思わず某料理漫画のようなわざとらしい解説をしてしまう。

 その後3回を迎えたあたりで山田の球速はますます速くなり、まさに手の付けられない程の絶好調だったが、そんな中4回表でピッチャーは交代した。
 美世はもう一度山田が投げる事を期待したまま見守ったが、ピンチに見舞われる事もなかった稲村実業は
再び山田をマウンドに立たせる事は無かった。試合の結果は4対1の勝利。甲子園常連校相手としては上出来だ。試合後
美世が出口に向かって歩いている所に山田が駆け寄ってきた。それに気づいた美世が立ち止まって待つ
 山田はフェンス際まで来ると膝に手をついて美世を見上げた。
「はぁ、はぁ、すんません、少ししか出してもらえなかったです」
「ふむ、あの監督め、出し惜しみしよってからに、まあええ、気に入った、お前反省会とか打ち上げとか無いんか」
 山田は肩で息をしながら美世をじっと見た。
「急用が出来たって言いました、バレバレでしたがキャプテンが見逃してくれました」
 美世はチームの雰囲気から司令塔が誰なのかを敏感に嗅ぎとっていた。
「あのキャッチャーか、なかなかの変態やったな」
 美世はニヤリと笑って言った。
「ついてこい」
「あの、美世さん」
「なんや、中華嫌いか?」
「いやそうじゃなくて、僕が知ってる中華料理と少し違うんで正直何を頼めばいいか」
「さよか、ほな手堅く青龍いっとくか
白石君今日チャンさんおらんの?」
「あいにく用事で香港に行ってます」
「予約してないけどいけるか」
「はい問題ありません」
「ボリューム上げれるか?」
「はい、鷹山様の関係者にはNOと言うなとの仰せです」