「でもいっそんなヤツやったらよかったのに、そしたらこんな辛ぁないのになぁ」
 ブツブツと独り言を言いながら既に美世の目には大量の涙が溢れてきていた。涙も想いも振り切るように再び歩き始める。
「でもこれでええねん、ウチみたいんがおったら輝かしい未来がワヤになってまう、無理やり黒いスキャンダルみたいにされて週刊誌の餌食になってまう
どうせウチみたいなもん素性を洗いざらい調べ上げられて亮介がパトロンをたらしこんどるみたいな話になるんや、そやからゆうてなんで好きな男にあないボロクソ言わなあかんのやろ、ウチは男子児童か」
 美世は自問するように小声で独り言を言いながら車の近くまで来ると既にほぼ見えない視界でバッグの中を探ってキーを探した。
「あかん、全然見えん」
 美世はバッグから視線を外して真下を向き、涙がこぼれても化粧が崩れないようにしながら手探りでキーを探し続ける。
「なんでウチ気合入れてまつ毛まで盛ってきとんねん、アホちゃうか、なんで一番気に入ってる服着てきたんやもう、惨めや、死にたいわ」
 その時美世の腕は強烈に引っぱられた。体が回転すると同時に驚いて振り向いた勢いで涙が飛び散る。そこには憤慨とも取れる真剣な表情の山田が居た。
「なんで泣いてんすか」
 美世は目を逸らして言った。
「な……泣いてない」
「泣いてますよ」
「あ、ああ、フランダースの犬の最終回思い出してん」
「この短時間に急にそんなもの思い出してそこまで泣けるんですか?」
「あ……アホか、あのラストの悲しさはハンパないねんで、パトラッシュも死んでまうねんで、思い出したら2秒で泣くわ」
「僕が泣かせたんですか?」
「だからアニメが……」
 山田が美世の両肩を掴んでグっと寄ってきた。
「いや……やめて……」
「今なら嘘をついた事は許しますから本当の事を言ってください」
「お、大きい声出すで」
「構いません」
「蹴とばすで」
 脅しというよりは悲痛に漏れ出た訴えをまるで無視するように山田は間を詰めてくる。
「正直に言ってください」
「やめて、お願いやから……なぁ」
 美世の言葉はは拒絶からほぼ懇願に変わり、涙が溢れでたがそれでも山田は引かなかった。
「あかん、こんな所誰かに見られでもしたら」
「やっぱり僕の事を心配してるんですね」
「それはちゃう! ウチがマズイんや、こ、恋人がおんねん」
「嘘です、いままでそんな気配すら感じさせなかったじゃないですか」
「北海道におんねん、白いやつちゃうで、ほんまもんの恋人がおんねん」
「北海道の人にどうやったら見られるんですか」
お願い、堪忍して……」
「本当に嫌なら僕はタダの暴漢です、強盗のようにボコボコにすればいいじゃないですか」
 山田は美世の背中から右腕を這わせ首を支えて固定し、左手を腰に回している
「そんなんゆうたって、これじゃ動けん」
 山田がぱっと手を離すと美世は腕を抱え込んで俯いた。
「美世さんは間違っている人間に手加減なんかしない、そんな弱気な言葉を吐いたりしない、こんな横暴な輩に何も出来ないのは美世さんが間違ってるからじゃないんですか?」
「ちゃう、間違うたりしてない」
「いいえ間違ってます、その証拠に僕を見ない」
 山田は再び腰と背中に手を掛けてぐっと美世を抱き寄せた。
「あの日の返事は了承しましたが僕はがんばって約束を果たしました、ご褒美をもらいます」
「そんなんズルイ、やめてお願い」
「美世さん、今から言う事を注意深く聞いてください」
 山田は少し間を置くと強い口調で言った。
「美世さん、好きです、愛してます、美世さんがどう言おうと愛し続けます」
 勝利の約束を果たし、自信に満ち溢れた山田が、目を真っ直ぐに見ながら間を詰めてくると、美世は自分の偽りが如何に軽薄で卑怯な物なのかを嫌がおうにも認識させられた。抵抗する気力を削がれ
全身の力が抜けてまるで麻酔でもかかったように動けなくなった。美世が観念したように目を瞑ると山田は美世に唇を重ねた。
 美世は心の奥が痺れるような感覚に身を任せた。ずっとこうしていたい。このまま世界が終わればいいのに。そんな考えが美世を支配していった。しかし店からでてきた女性客の笑い声で我に返った。勢いよく山田の胸を突き放す。
「これでええやろ!」
 美世が再びバッグの中を探っていると山田が言った。
「三沢が何を言ったか知りませんが」
 美世はキーを探り当てたがドキっとして手を止めた。
「僕は諦めません、必ず美世さんの嘘を暴いてみせます、時間がかかっても必ずです」