「ナローシュの殺す覚悟が云々」は、まあ考えを進めるキッカケとして意味が無いこともないけど、
ナローシュについてだけ延々アーダコーダ言うのがアホというか、ナローシュ中心主義に染まってる。

バトロワで言うなら桐山という殺人に一切忌避感を持たないサイコパスが居て、その対比として七原は殺し合いを否定する。
で、その間に殺し合いを否定しつつ、最終的に猜疑心で破滅してしまう三村が居ることとかがドラマになる。

ナローシュ中心主義に染まると、周りのキャラが全部「さすなろ/ザマァされるクズ」みたいになるから、
相互的関係性でキャラの立ち位置を決めるという、当たり前のこととかが分からなくなる。