1989年、アメリカ最高裁判事ブレナンは「国旗を汚損することを違法としたテキサス州法は違憲だ」とする判決のなかでこう述べました。

「我々は国旗への冒督行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、かえってこの大切な表章が象徴しているところの自由を希釈してしまうことになるからである」

「原告のテキサス州はもし国旗が粗末に取り扱われれば、国旗が国家及び国家の統合を象徴していることや、そもそも国家や国家の統一性そのものまで疑われるようになってしまうと主張する。
 しかし、言論の自由の原則は、社会がある思想それ自体を不快と感じ、あるいは好ましくないと判断したからといって、その表現を政府は禁止することが許されない点にこそある。
 この原則に例外はなく国旗は特別だとの議論は成り立たない」

「国旗損壊を処罰することは、国旗が尊重され、かつ国旗を尊重するに値するものにしている、自由そのものを稀釈することとなる」

「国旗は、アメリカ人皆が共有する信念、法と秩序と人間精神を支える自由への信念を表現するものとして存在する。
 国旗は、これを侮蔑視する者さえも保護するものなのである。こう述べるのは、辛いことだが、大事なことである」