母の遺した道具で編み物をしていると、遠くで雷の音がした。21歳のわたしは屋敷の窓を大きく開いて、草原の向こうに目をこらすが、見えたのは大地の果ての雷雲だけだった。
EKは現れない。彼はエメラルドの都に去ったままだ。

EKを拾ったのはわたしが7歳の夏。彼は夏の日の午後に大麦畑の端に行き倒れていた。金色が流れる髪のそばで番犬が吠え立てていたのを覚えている。
だぶだぶの真っ赤なコートはクリスマスにサンタさんがくれた絵本の王様の服にそっくりだった。わたしは当時は掘っ立て小屋だった家に引き返し、
母を呼んだ。母は父を呼び、父は街に馬を走らせてお医者さんを連れてきた。が、金髪の王様はその間に元気を回復。いや、回復というより、とても怒っていた。

母がEKの看護をしようと、まず真っ赤なコートを脱がせようとした所、彼はぱっちりと目を開いて、透き通った白い肌を紅潮させた。そして、
「朕に触るな! 不届き者めが」と叫んだ。涙をにじませたエメラルド色の瞳は怒りに燃えていたけれど、とても美しかった。
父が連れて来た先生は一応EKを診て、「健康です。オツムが弱い事意外は」と言った。この時両親は顔を見合わせて、微妙な表情をした。
で、結局、EKはわたしの家で面倒をみることになった。
理由は彼のコート。彼が決して触らせようとしないそれは、見事な染め具合。もしかしたら、彼の家族は大金持ちで、そのうち彼を探しにきて、
謝礼をくれるのではないかと両親は考えた。後、人手も足りなかった。
が、自称Emerald king略してEKは完全に拒絶した。しかも『下賎の食事は口に合わぬ』といって、お湯に溶かした蜂蜜以外は何も口にしない。
困り果てた両親を助けるべく、わたしは知恵を絞る。まず、お願いをする時はスカートの裾をつまんで広げて、膝をかがめる。
『偉大なる王様、臣下をお助け下さい』というと、馬の番、雑草抜き、大麦の収穫作業と、意外と何でもやってくれる。『偉大な王様、こちらは供物でございます』
と恭しく差し出すと、わたしが焼いたホットケーキならちゃんと食べてくれるのだ。こうなるまでに3年かかった。
『実はこのコートにはな。エメラルドがぎっしりつまっておるのじゃが、取り出せんのじゃ』『何でですか』『落とさぬように、ポケットを固くぬいつけてしまってな』
『鋏で切ったらどうでしょう』『とんでも無い事を申す!! この小娘が!!』真っ赤なコートはEKの尊厳。
彼はそれを片時も放しはしなかったし、わたし以外の誰にも触らせなかった。
さらに共に過ごすうちにEKが不思議な人だと分かった。彼は歳をとらない。EKを拾ってから10年がたち、わたしが17になった夜のことだ。
夜中にEKが起こしにきた。眠い目をこするわたしを外に連れ出して、彼は嬉しげに言った。『魔女が復活した。朕はエメラルドの都に帰る』
声に紛れて遠くで雷がなった。わたしは身を硬くした。『安心せよ。朕をオズに迎える魔女の魔法じゃ。なあ……小娘』『はい』『そなたも来るか?』
わたしは謝絶した。怖かったからだ。EKは少し寂しそうに、でも美しく笑って、ズボンから鋏を取り出し、真っ赤なコートを切った。
春の草原みたいな緑色の石が、ごろころと出てきた。『お主にやろう。長年の奉公、大儀であった』EKの手からその石を受け取った時、辻風が吹いて、
彼だけを巻き上げた。魔女の魔法かもしれない。辻風は竜巻となって、EKのちょっと訳の分からない感じの声が夜の大気に響いた。わたしが寂しく想いながら、
夜の地平線の果てに小さく消えていく竜巻を眺めていると、ぱらぱらと小石が上空から降ってきて、全部エメラルド色をしていた。多分、彼の服から漏れたのだろう。
翌朝、両親とわたしはそこらじゅうに散らばるエメラルドを拾い集め、売り払ったお金で牧場を買い、大地主となった。けれど、昨年2人とも流行り病で他界してしまった。
愛犬もとうの昔に亡くなり、わたしは独りになってしまった。生活に不便はないけれど、考えてしまう。
あの時、EKとエメラルドの都にいくことを
選んだら、少なくとも寂しくはなかったのではないか、と。

わたしは窓を閉めた。ちょっと悲しくなって、ハンカチを棚から取り出そうとした時、ごうっという音がした。辻風。わたしは大急ぎで窓を開く。
屋敷の前に、金髪の男が倒れていた。真っ赤なコート。「EK?」『小娘とカカシとライオンとブリキのきこりにしてやられたわ。追放の憂き目にあったのでな。また、
朕に仕えさせてやろう』立ち上がり、相変わらず偉そうに話すEK。エメラルドの王に、わたしは笑顔を作った。が、視界は涙で熱くにじんだ。とても、とても嬉しかったからだった。