土御門への悪口が絶好調なので全文コピペしとくわ。


 究極を言ってしまえば、小説も人と人とのつながり。
 だから、信頼できない作家の小説はスルーされてしまうし、たぶん読者の心のどこにも響かないだろう。
 人を大切にしない作家、同業作家に手の平を返すような作家、読者を見下した作家は、一時期的に人気になることはあっても、
やはり読者の目を永遠に欺くことはできないと思う。やはり凋落の予兆に怯えることになるだろうね。
 この作家の言うことなら間違いないとか、この人は嘘を言う人ではない、そう思われてこそのWEB作家であり、二枚舌を雄弁に使う作家など、
どんな需要があろうが受け入れられるはずがない。
 こっちを向いて、紳士面したことを百編だらネットに書き込んだと思ったら、あっちを向き、手の平を返したように、裏でイヤガラセ行為を繰り返す。
 同業作家の足を引っ張るのは勿論のこと、同業作家に読者のふりをして酷評レビューを書き込んだり、なりすましをして、ネガティブ・キャンペーンを行い、
作家が売れなくなるよう仕向けたり、そんな性根の曲がった作家が、一部、WEB作家に混ざっているのも事実だ。
 だが、読者が騙される時代は終わった。
 今はネット社会なので、自分のことが気になれば、エゴサーチもするし、気になる作家がいれは、必ず一度は、ネットで検索をかける。
 そこにパクリ作家とか、パクツイ(パクリ・ツイート)の常習者とか、表紙画像をネットから盗む犯罪予備軍、ネットストーカーとか書かれていたら、
やっぱりその作家を心から応援することはできなくなってしまうし、残念、極まりないことだなって思うだろう。
 たかがWEB小説という人もいるかもしれませんが、それは心と心を結ぶ、短い手紙のような存在であり、作家から読者に送る貴重なメッセージに等しい。
だからこそ、作家の資質のようなもの、考え方が問われる。
 作家は心と心の触れあいを時に望み、心の結びつき、愛の情景を描写する。その作家が、もしも排他的で人を受け入れず、
人に意地悪や蛮行を繰り返すような作家である場合、やはり読者は小説に感情移入できないし、そういう作家が描く愛や性の描写に嘘を見出し、疑義を唱えるだろう。
 だってそうでしょ。
 表では人類愛の素晴らしさ、性の描写をキレイに描いたところで、趣味がストーカーだったり、ストリップ鑑賞で、イヤガラセを趣味にして生きているような男に、
どんな需要があるかなんて、たかが知れている。
 書いていることがダブスタ気質(ダブル・スタンダード、二重構造)で、裏と表があるような、嘘と建前のある作家を、応援しようと思う読者は皆無でしょう。
  究極を言ってしまえば、小説も人と人とのつながりなわけです。
 だから、作家は人の素晴らしさを描くわけで、男女のドロドロした心理描写を綴ったり、その前に、人としての最低限の礼節を問われる。。
 こういうのを無視して、表と裏の顔を使い分ける人。
 表では人の素晴らしさを伝え、裏で、イヤガラセ行為を繰り返すような人、WEB作家に、一部、紛れ込んでいますが、
そういう人は、どんなに売れて、間違って栄光を勝ち得たところで、必ずメッキが剥がれ、奈落の底に落ちていくような気がします。
 作家である前に、やはり一介の人格者であれよと思う。
 これは私が思う、率直な意見です。
 でも、人は変われます。
 どんな悪事を働いた人でも、いつか改心する時を迎えます。
 私は彼を否定しません。
 可哀想な人だなとは思います。