>>414
明けましておめでとうございます
感想と詳細な指摘まで書いていただき、ありがとうございます

文章の多いため連続投下になります。本当に申し訳ありません

>主役二人の日記を見つけた第三者を、三人称で書く設定
日記を見つける、という設定は好きです。
時間差で届く手紙と同じで、読者側の時間経過を保ったまま、
異なる時間の回想を自然に行える手法で、合っていますか?
二人の日記があれば、ニサリー視点の世界観や心境を書けるため、
読者が寄りやすい文章になると思います

二人の知人が日記を手に入れた場合では、キャラ毎のストーリーを追加できて、日常会話も増やせそうです
(弟子の薬師>村人>ニサリーの孫が限界?
弟子視点で夜の騒音込みなら、書ききる自信はあります

ただ、日記を覗き見する場合、物語の結末部分が消えてしまいます
タレアが村を逃亡して以降の場面は、二人だけの秘密で、ニサリーは日記に残しません
神視点や第三者視点では、設定と矛盾してしまうので、物語を通して、どちらかの一人称視点にしています
(事実、タレアの意図をニサリーは誤認している)

タレアとニサリーは、ほとんど同じ存在である事も問題で
外見、母と子、困難に流された逃げた。の三点だけ不一致です
タレアの性格では本音を打ち明けられず、二人の日記は仕事の内容だけ
物語終盤で兵士が来なければ、葛藤だけで行動の変化はありませんでした
(ドラマを見つけられませんでした)
抑圧した状態で、互いに演技をしており、共依存も理解している
似た者同士のはずだったのに結果が違う、という結末にもなっています

テーマを多くした結果、制限が多く、物語を書ききれていない
小説が本来持っている自由度を減らした、悪い例になったと思います

技量さえあれば、嘘や否定を理解しやすい形で描写できるのかもしれません


>ただオープンエンドで結末が確定しないから「文芸」なんですかね?
ジャンルをヒューマンドラマ(文芸)に決めたのは、
親心や期待へのアンチテーゼ、をメインテーマとしているためです

タレアもニサリーも、親(義親)の期待通りに育っていない
親という存在は、周囲の環境の一要素でしかなく、
重きを決めるのは子供自身、期待に関係なく勝手に育つ(洗脳であろうと

などというテーマ性を含めたつもりですが、
物語では親の要素が少なすぎて、裏設定止まりになっている気がします